アルケストラトス

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アルケストラトスについて


 アルケストラトス(Archestratus)は紀元前4世紀頃のシシリア島ジェーラ出身の古代ギリシャ詩人である。アルケストラトスは地中海の美食を求めて漫遊し、長詩『ガストロノミア』を著した。ガストロノミーという言葉はこの叙事詩の言葉が起源であるとされている。

 ガストロノミー(仏: gastronomie、英: gastronomy)とは、文化と料理の関係を考察することを意味する、古代ギリシャ語の「ガストロス(γαστρος、胃あるいは消化器官)」+「ノモス(νομος、規範あるいは学問)」から成る合成語であり、料理を中心として、美術や社会科学、さらには人体の消化器系の観点からの自然科学などの幅広い文化的要素で構成されている。

『Gastronomia di Archestrato 1842年』


 日本では、美食術あるいは美食学とも訳されている。木下謙次郎が記した『美味礼賛』が目指すところもガストロノミーと同じ方向性であり、料理や美食についてだけ扱うのではなく、食を取り巻く文化・芸術・歴史や科学を包含した総合的なものである。よってガストロノミーとは単に美食を行う事ではなく、もっと深く広い範囲が含まれている学術的かつ文化的な領域であると捉えるべきである。

 ブリア=サヴァランの著作『美味礼讃』の原題は「Physiologie du Goût, ou Méditations de Gastronomie Transcendante; ouvrage théorique, historique et à l'ordre du jour, dédié aux Gastronomes parisiens, par un Professeur, membre de plusieurs sociétés littéraires et savantes」という長いものである。
 この長いタイトルを日本語で記すと「味覚の生理学、或いは、超越的美食学をめぐる瞑想録;文科学の会員である一教授によりパリの食通たちに捧げられる理論的、歴史的、時事的著述」というこになる。邦題では一般的に単に『美味礼讃』と呼ばれているが、原題をみるとガストロノミーに関係した様々な要素を改めて確認できるのである。


古代ギリシャの料理書『ガストロノミア』


 『ガストロノミア』は最も古い部類の料理書のひとつであると言って良いだろう。しかし残念ながらアルケストラトスの記した詩全文は失われてしまっていて現存していない。
 ではどのようにアルケストラトスの言葉は伝えられたのか?
 西暦2世紀頃、ローマ時代になってギリシア語の散文作家、雄弁家、文法家であるアテナイオス(Athenaeus)が、全15巻の『食卓の賢人たち』デイプノソフィスタイ:Δειπνοσοφισται (英)The deipnosophists を著しているが、その中に、アルケストラトスの詩編『ガストロノミア』の62編の断片が引用されており、そこからアルケストラトスの記した料理法を現代の我々は理解出来るようになっている。
 そこには、現代の我々が古代ギリシャでどのような食事が行われていたかを理解するにおいて有益な多くの情報が記されている。魚の入手方法や調理方法について書かれており、そのような地域の料理に出会う為、アルケストラトスが地中海の美食を求めて旅をした様子が垣間見れる内容となっているのは興味深い。

 John Wilkins & Shaun Hillが2011年以出版した『ARCHESTRATUS:The Life of Luxury』というアルケストラトス詩篇の翻訳本に注目したい。
 著者のJohn Wilkinsはイギリスのエクスター大学の古典文学の教授であり、この本の共著者であるShaun Hillはミシュラン星付きレストラン「The Walnut Tree Inn」のシェフである。この二人が共に著者となってアルケストラトスの料理を解明しているところが非常に興味深い。

『ARCHESTRATUS:The Life of Luxury』


 さてこの本の中で 「アルケストラトスの料理は、古代世界のヌーベル料理のようであり、強く風味のあるアピシウスの料理とは対照的である」と述べられている。

 『アピシウス』De re coquinaria とは西暦4~5世紀の間に書かれた古代ローマ・ローマ帝国時代の調理法・料理のレシピを集めた料理書籍である。ローマ時代にグルメとして知られたマルクス・ガビウス・アピシウスによって書かれたとされていたが、実際は複数の著者によって書かれているという解釈になっている。ただマルクス・ガビウス・アピシウスによる文献も『アピシウス』には含まれている可能性はある。


アルケストラトスとアピシウス


 確かに記されているアルケストラトスの調理法をみると、素材の持ち味を生かし、シンプルな料理法が選択されているので、その料理法は現代で言うところのヌーベル料理との相関性が高いと言えるだろう。
 アルケストラトスの記述によると、例えば、ブダイはチーズでコーティングしてクミンで味付けするとされているが、それが脂ののった良質なものであれば、塩とオイルをふりかけるだけで良いと述べていたり、最高のカジキはビザンチウム産であり、最高のワインはレスボス産であると述べて、産地や素材の良さを重視していることを示している。

 他にも鯛に関しては「天狼星が昇る時期(春)が食べごろだが、頭に尻尾を付けて買えばそれだけで良い。他の部分は買って帰る必要はない」と述べている。これは西園寺公望が鯛の目玉(頭部)の美味さを知っていて珍重していた事にも通じる。

 またマグロに関しては「雌マグロの身を薄く切り、それを炙る。それに塩を少々ふりかけ、オリーブオイルを塗る。それをピリ辛ソースにつけて食べる」としている。

 このようにアルケストラトスは素材そのものの味を理解し、それをシンプルな料理法に反映させているのが特徴である。

APICIUS 挿絵


 それに対してアピシウスは、ガムルという魚醤を使ったり、手の込んだ料理法を数多く残しているので、素材よりはむしろ料理法・調味に重きを置いているとされてる。その幾つかを以下、紹介する。

 ウナギはローマ時代でも食べられており、愛好されていた食材であった。『アピシウス』には、うなぎのソースについて「胡椒、ラヴィジ、セロリの種子、シリア産スマックの実、ジェリコ産ナツメヤシなどの香辛料を細かく砕き、蜜柑、酢、魚醤、オリーブオイル、マスタード、濃厚な葡萄液などを混ぜて、とろ火で煮る」というかなりの数の材料で作る手の込んだレシピを伝えている。
 ただしこの味はスパイスの味と、魚醤の塩気と、蜂蜜の甘さで構成されているので、日本の蒲焼に山椒をかけたタレの味と同じようなものであったのかもしれない。

 マグロの料理に関しても、マグロの成長過程によって異なるソースを合わせる方法を『アピシウス』は伝えている。
 コルドゥラ(マグロの幼魚)には「胡椒、ラヴィジ、セロリの種子、ハッカ、ヘンルーダ、ナツメヤシを細かく砕き、蜂蜜、酢、ワイン、オリーブオイルを加えて煮たソース」が合うとしている。
 またペラミュス(マグロの成長途中)には「胡椒、ラヴィジ、セロリの種子、ハッカ、ヘンルーダ、ナツメヤシを細かく砕き、蜂蜜、酢、ワイン、オリーブオイルにクミン、ヘーゼルナッツ、マスタードを加えて煮たソース」が合うとしている。
 最後にテュンノス(マグロ)には「ナツメヤシの代わりに干しブドウを使い、魚醤と澱粉を加えると良い」と述べている。
 このようにマグロの成長過程によって、複雑で手のかかったソースを使い分けていたようである。これはマグロそのものの料理法でなく、ソースに関するだけの記述であるので、この後にマグロの調理法が続くのである。このように先に述べたアルケストラトスのマグロのシンプルな料理法とは大きく異なっていることが分かる。

 こうした傾向は全体に見られており、特にウニの料理法はあまりにも手を掛け過ぎていて、完全にウニの持ち味を逸してしまっている料理法を『アピシウス』は伝えている。「ウニを熱湯に入れて煮たのち、キャセロール(平鍋)に並べて、胡椒を、蜂蜜、魚醤、オリーブオイルを少々、鶏卵を加えてもう一度煮込み、胡椒をかけて食べる」とある。これでは手がかかり過ぎていて、ウニの風味は完全に飛んでしまっているのではないだろうか。

 このようにアルケストラトスとアピシウスの料理は非常に対照的である。アプローチの仕方は、アルケストラトスは日本料理に近く、アピシウスは古典的フランス料理に近いように感じられる。

 中国には『菜根譚』という書物があり、そこにはこう記されている。

【 菜根譚 】
 醲肥辛甘真味   くどい味はウソで
 真味只是淡    ほんものはアッサリ
 神奇卓異非至人  奇抜な奴はまやかし
 至人只是常    平凡な人がほんもの


 アルケストラトスの料理は、こうした意味於いては、アピシウスの料理と比較して本質を突いていると言える。ローマ時代になると料理も奢侈に堕し、贅沢で手の込んだものを有り難がるようになるが、古代ギリシャの料理はシンプルでかつ素材重視であり、本味を引き出そうとする料理であった。こうした指向は、アルケストラトスの詩人としての感性にも深く関わる要素であったと私は考えている。

 人によっては、アルケストラトスの古代ギリシャの料理は、大昔の料理で、技術も知識も無かった為にシンプル(単純)な料理でしかなかったと思うかもしれないが、それは完全なる間違いである。何故なら西暦前1750年頃に書かれたレシピが粘土板に記録されており、それが「エール大学図書館」に保存されているが、これらのレシピは非常に複雑で、かなり手間がかかる料理だからである。或る意味、現代の料理よりも複雑で手間がかかっているものも含まれていると言っても良い。このメソポタミアのレシピから、1300年も後になってアルケストラトスのレシピは書かれた。そうであるならば、どうしてアルケストラトスのレシピが昔の人の書いた単純なものであるなどと言えるだろうか。むしろそれは考え抜かれた、素材重視の料理であり、それゆえのシンプルさだったに違いないのである。

 古代メソポタミアの粘土板に書かれたレシピは「料理書」の項でぜひ確認して頂きたい。


アルケストラトスの料理


 紀元前に記されたアルケストラスの料理はシンプルであるが故に、現代の我々でも容易に想像でき、かつ食べている料理にも近い。こうした素材の持ち味を生かそうとする料理を記したアルケストラスは、確かに味を知る者であったと言えるだろう。さらに食通という観点においても、歴史の中で最初に登場する人物であるかもしれない。

 アルケストラスは著作のなかで、様々な地域の素材について言及している。こうした様々な地域を漫遊して、その素材の料理を食べることで様々な料理法を記すことが出来たのである。

アルケストラスの言及している場所


 ①がアルケストラスの故郷であるジェーラであるので、そこからギリシャを中心に多くの地域を訪問し、その地域の食材に言及していることが分かる。遠すぎて地図には収まっていないのだが黒海やレバノンの方の事まで語られている。
 アルケストラトスの時代は古代ギリシャの最盛期であり、イタリア半島の事に関してはほとんど語られていない。この時代は、まだ現在のイタリア半島は食に関して知られておらず不毛の時代であったのかもしれない。
 その後、ローマ帝国の躍進により、世界の中心はギリシャからローマへと移る。その権力の移動と共に料理の中心も移動したと言えるだろう。しかしその料理の傾向は、アルケストラスのような素材を重んじるシンプルな料理から、アピシウスのようなローマ人の好む豪華で手の込んだ料理へと変わっていったのである。
 アルケストラス自身、シシリア生まれであるにも関わらず、料理に関してはギリシャ志向であったことが、地図からも分かるだろう。この当時、シシリア島はギリシャの属国であり、中心地のギリシャから見ると辺境の地であったと思われる。これはこの当時、ギリシャこそが料理における精錬された最先端の地域であるとアルケストラスが感じていた事の現れではないだろうか。


美食家としてのアルケストラス


 『美味求真』のなかでアルケストラスは味を理解する者のひとりに挙げられている。しかしその後のローマ時代の食通として名高いアピシウスに関しては、どこにも取り上げられていない。これは木下謙次郎が、アピシウスを知らなかったか、あるいはアピシウスのような調理法を良しとしなかったかのいずれかである。
 ただ木下謙次郎は、ペトロニウスを食通として挙げているので、後者の「調理法を良しとしなかった」という所には当たらないと考えられる。ペトロニウスを挙げているのであれば、必然的にアピシウスについても語らざるを得ないと私は思うのだが、アピシウスについては何も言及されていないところをみると、木下謙次郎はアピシウスについては知らなかったのかもしれない。

 ただアルケストラスのような人物についても言及したうえで、料理の味について語ろうとする『美味求真』の著者、木下謙次郎は、非常に良いセンスとテイストをもった人物だったということは間違いないだろう。





参考資料



『ARCHESTRATUS:The Life of Luxury』 John Wilkins & Shaun Hill

『食悦奇譚』  塚田孝雄

『APICIUS』 Christopher Grocock and Sally Grainger

『COOKING APICIUS - Roman recipes for today 』 Sally Grainger

『The deipnosophists:食卓の賢人たち』 Athếnaios : アテナイオス