佛書ふっしょ

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佛書とは


 佛書とは、仏教関係の本、仏典の全般を言う。『美味求心』のこの箇所は『大智度論』に記されている三十二相の「26」番目の特徴に該当している。


三十二相


 『美味求心』には、「仏だけが備えている完全な身体的特徴のひとつに長広舌があり、食べるものは皆上味とある」と記されているが、これは仏である仏(ブッダ)の身体に備わっている特徴であり、32種類あるもののうちのひとつである。以下その三十二相のすべてを示しておく。

1. 足下安平立相そくげあんぴょうりゅうそう:足の裏が平らで安定している。
2. 足下二輪相そくげにりんそう:手と足に法輪の模様がある。
3. 長指相ちょうしそう:指が繊細で長い。
4. 足跟広平相そくげんこうびょうそう:かかとが広い。
5. 手足指縵網相しゅそくまんもうそう:手足の指の間に水かきのようなものがある。
6. 手足柔軟相しゅそくにゅうなんそう:手足が柔らかく色が良い。
7. 足趺高満相そくふこうまんそう:足の甲が亀のように形が良い。
8. 伊泥延腨相いでいえんせんそう:足のすねが鹿のように繊細。
9. 正立手摩膝相しょうりゅうしゅましっそう:真直ぐ立って手が膝に届くほど長い。
10. 陰蔵相おんぞうそう:男根が目立たない。(男根が体内に密蔵される)
11. 身広長等相しんこうじょうとうそう:身体の均整がとれている。
12. 毛上向相もうじょうこうそう:身体の毛が上向きに生え右旋している。
13. 一一孔一毛相いちいちくいちもうそう:よい香りを放ち輝く毛が生えている。
14. 金色相こんじきそう:身体が金色である。
15. 丈光相じょうこうそう:身体が輝いてその光明は一丈四方を照す。後光はこれを表す。
16. 細薄皮相さいはくひそう :皮膚が繊細で柔らかく滑らか。
17. 七処隆満相しちしょりゅうまんそう:両手足肩・頭の肉付きバランスが良い。
18. 両腋下隆満相りょうやくげりゅうまんそう:脇腋が引き締まっている。
19. 上身如獅子相じょうしんにょししそう:身体が師子に似、平らかにして厳正がある。
20. 大直身相だいじきしんそう:身体が広く端正である。
21. 肩円満相けんえんまんそう:肩が丸みをもっている。
22. 四十歯相しじゅうしそう:歯が四十本ある。(常人は親知らずを含めて合計32本)
23. 歯斉相しさいそう:歯が白く揃っており、一本のように並びが美しい。
24. 牙白相げびゃくそう:白く鋭利な歯を持つ。
25. 獅子頬相ししきょうそう:ほほの肉が豊かで獅子のようである。
26. 味中得上味相みちゅうとくじょうみそう:何を食べても食物のその最上の味を味わえる。
27. 大舌相だいぜつそう:舌が大きく柔軟。その舌は顔面を覆って髪の生え際に至る。
28. 梵声相ぼんじょうそう:声が良く、遠くまで聞える。
29. 真青眼相しんしょうげんそう:瞳が青い蓮華のような色。
30. 牛眼瀟睫相ぎゅうごんしょうそう:まつげが牛の眼のように揃っている。
31. 頂髻相ちょうけいそう:頭の上が髪の毛を束ねたように盛り上がっている。
32. 白毫相びゃくごうそう:眉間に白く長い毛が生えている。右巻きに丸まっており、伸ばすと1丈5尺(約4.5メートル)あり光を放つ。

 上記については『大智度論』の巻第四(下)にその記述がある。このリンクからその箇所をご確認頂きたい。(ページの最下段に26番目の味覚に関する特徴が記されている)

 特に26番目の味中得上味相みちゅうとくじょうみそうという特質に注目してみたい。この該当部分の説明をさらに抜き出してみると「何を食べても食物のその最上の味を味わえる」という以上の詳しい情報が記されている。

二十六者味中得上味相。有人言。佛以食著口中。是一切食皆作最上味。何以故。是一切食中有最上味因故。無是相人不能發其因故。不得最上味。復有人言。若菩薩舉食著口中。是時咽喉邊兩處。流注甘露和合諸味。是味清淨故。名味中得上味。

 これを見ると、なぜ仏が最上に味わいを得られるのかの理由が解る。つまり美食を布施し受者を悩まるという因縁がないように、仏は「味中最上味相:何を食べても最上の味わい」を得ているのである。また「咽中津液得上味相」ともあり、この最上の味わいを得ている理由が、咽のつば(甘露)によって何を食っても上味を感じることができるようになっていることが説明されている。
 甘露とはつまりアムリタである。アムリタ(サンスクリット語: अमृत、amṛta)は、インド神話に登場する神秘的な飲料の名で、飲む者に不死を与える飲料である。またそれはソーマ(サンスクリット語: सोम、sóma)とも呼ばれ、ゾロアスター教の神酒ハオマとも同起源のものである。この故に、仏は最高の味わいを得ているのである。

 基本的に美食とされるものは高価で、豪華である。しかし仏はそうしたものに捉われず、どのようなものを食べても最上の味わいを得られることで因縁から解放されている。味は主観的なものであり、それにより個人差による好きや嫌いがあると思うが、仏はそうした個人的な求める感覚からも解放されているのだと言っても良いだろう。


八十種好はちじっしゅこう


 三十二相に加えて、さらに仏の容姿を細かく描写した八十種好はちじっしゅこうというものもある。その幾つかを下記に挙げておく。

 耳輪埵:耳の外輪の部分が長く、肩まで届く程垂れ下がっている。
 髪旋好:毛髪は好ましく渦巻いている。
 髪色如青珠:毛髪の色はサファイアのような青色。
 行相如鵞王:歩くときとは片足づつ交互に運び、鵞鳥のよう。


食あたりによる仏陀の死


 ちなみに仏陀は、食あたりで腹を下して亡くなった(入滅した)のだが、その経緯に関しては栴檀樹耳せんだんじゅじの項をご確認頂きたい。実は「栴檀樹耳」とはトリュフの事なのである。
 弟子のチェンダが差し出し、仏陀の食べた「栴檀樹耳」は食当たりを誘発する程まで傷んでいたのかもしれない。しかし仏陀は「味中得上味相」というその特質によってそれを美味しく頂いてしまった可能性もある。よく「腐りかけが美味い」というような表現があるが、そうした味と融合して、最後の食事も、最上の味わいであったことは間違いように思われる。( トリュフ × 腐りかけ × 味中得上味相で最強の味わいが実現された可能性がある ) すべてを美味く食べることが出来るという仏の特徴が、意外なところで仇になってしまったという事なのか...。
 もし仏陀が凡人であれば、臭いを嗅いだり味の変化を感じて、それを食べることは無かったのかもしれないのに...。
 三十二相では嗅覚に関する仏の特徴は語られていない。八十種好でも残念ながら「鼻高不現孔」という特徴、つまり鼻が高く、孔が正面からは見えないというルックス的な長所しか語られていないのである。あえて言うと、この長所ならざる嗅覚の為、腐敗に気づけず、さらに何を食べても最高の味覚という長所ゆえに、チェンダの差し出した傷んだ「栴檀樹耳」を食べてしまったのかもしれない。

 しかしながら、スジャータのミルク粥と並んで、チェンダが差し出した栴檀樹耳せんだんじゅじは、仏教における重要な意味合いを有するものであることは間違いないであろう。( ※この点に関しては「栴檀樹耳」で詳しく述べてあるので参考にして頂きたい。 )





参考資料



国訳・解説「大智度論入門」

「仏像の表象『白亳相』について」  清水眞澄

仏像の説明