ひし


菱は不味いのか?


 美味求心では、人にはそれぞれ味の好みがあり「蓼食う虫も好きずき」として「屈到の菱」を始めとして幾つかを列挙している。 では、菱は一般的には不味い食べ物なのか?それを考えるにあたり、まず菱がどのような食べ物かをご紹介したい。

オニビシ


菱の性質:


 菱(ヒシ)は一年生の水草で、池や沼に自生し、葉が水面に浮く浮葉植物である。 秋になると熟したとげのある実が水底に固着して越冬する。春になると水底に根をおろし、発芽すると水面に向かって芽を伸し、水面で葉を叢生する。
 日本の在来種は「オニビシ」や「ヒメビシ」などの品種であり、とげのある実の部分を食用にすることが出来る。 「トウビシ」は角が二箇所であるが「オニビシ」や「ヒメビシ」には鋭い角が4本あり、 かつて忍者が追っ手から逃れる為に使ったとされる「撒きビシ」は、この「オニビシ」を乾燥させたものである。

菱の実:トウビシ写真    菱の実:オニビシ写真

補足:


 アイヌ民族はヒシの実を「ペカンペ」と呼んでおり、湖畔のコタンの住民にとっては重要な食糧であった。 北海道東部、釧路川流域の塘路湖沿岸では、住民がヒシの恵みに感謝する「ベカンベカムイノミ(菱の実祭り)」という収穫祭が行われていた。
 忍者は乾燥させた「オニビシ」を竹筒にいれて持ち歩いていた、これは追っ手を振り切るためであるとともに 潜伏時の非常食としても使われたとも言われている。

菱の味:


 ヒシの実は白い果肉が固い殻に包まれた中にあり、その部分を食することが出来る。 自生している「オニビシ」や「ヒメビシ」は棘が四本あるため小さく、食べられる部分も小さい。 しかし「トウビシ」などの栽培されている菱は実が大きく、食べられる果肉も大粒の栗ほどになる。 茹でた果肉は、茹で具合によって食感が変わり、浅いとシャキシャキとした食感で中国料理のクワイと同じ感じ。 しっかり茹でた場合は栗とレンコンを足して割ったようなポックリとした食感となる。 味はクセがほぼ無く、香りもほとんど感じられない。 食感以外強く主張する風味は無いので色々な料理に使うことができる。

 上記の記述を見ると、菱は美味いものである(不味いものではない)ことが分かる。 ではなぜ「蓼食う人も好きずき」という文脈で、この菱が取り上げられているのか。それは。美味求心のこの一連の説明のくだりが、どこからの出典であるのかという事と関係している。本文では著者の木下謙次郎がどこからそれを引用したかについて言及されていないが、その箇所を調べると「柳宗元全書 卷二十一·題序」から多くを引用している事が分かった。以下、柳宗元の記した原文を引用しておく。


 柳宗元全書のこの部分を見ると、美味求心の冒頭は実際にはこの部分の翻訳であることが分かる。簡単にまとめると、言わんとしていることは以下のように要約出来るだろう。
 ① 柳子厚(柳宗元)の唇を刺し鼻を裂き舌を縮め歯を渋くするような食経験。
 ② 文王は菖蒲の漬物を好んでいた。
 ③ 屈到は菱を好んで食べていた。
 ④ 曾晳が羊棗を好んで食べていた。

 この当時、柳宗元は失脚・左遷されて永州と柳州にという南方に滞在していた。その蛮夷(古代中国で中華に対して四方に居住していた異民族に対する蔑称)における 経験を記した際に、自分の食経験を「奇異、小虫、水草、櫨梨、橘柚といった苦、塩味、酸、辛味によって、唇を刺し鼻を裂き舌を縮め歯を渋くした」 と語っている。左遷されて、南方の異文化でその半生を終えなければならなかった柳宗元は「永州八記」を記したことで有名だが、 それは「異郷」の孤独感を紛らわすために、長安とは異質な風物を見て回ったものを記録したものだった。つまり柳宗元にとっては蛮夷とは、最後まで異界の地であったのである。
 この当時、柳宗元だけでなく、他にも韓愈、劉南錫、自居易、元積といった文学者・役人はみな左遷され、それぞれが記述を残しているが、各々が「異郷」に対してネガティブな感情を抱いているのが読み取れる。

こうした唐代の文学者の感情に関しては以下の論文をぜひ参照されたい。
「蠻夷の光景 : 中唐の異文化受容史」 好川 聰
「元稹の異文化認識 : 白居易との應酬を中心に」 好川 聰

 こうしたネガティブ感情は食に対しても同様であった。特に食は、自分の食べてきたものと異なる場合は口に受け付けない人がいるものだか、 左遷された柳宗元も、食に対しても同様であったようである。 彼の記した「同劉二十八院長述舊言懷感時書事奉寄澧州張員外使君五十二韻之作因其韻增至八十通贈二君子」は『永州八記』の翌年の元和八年(八一三年) に記された五言排律の唱和詩であるが、この中に蛮夷の食に対して以下のように述べている。

俚兒供苦筍,傖父饋酸楂
「俚兒は苦筍を供え、倫父酸棟を韻る」

 つまり土着の子供や大人から苦い筍や、渋く酸味が強い実を勧められると述べている。 こうした長安と異なる味覚の「異郷の食」に対しては、異質なものとして柳宗元には「蓼食う虫も好きずき」のような感情が生まれたのであろう。
 したがって菖蒲の漬物、菱、羊棗もそのようなもののバリエーションであって、人によってはそれを好きかもしれないが万人に迎えられる味ではないという事である。 しかし、ここで言う「万人の美味」とは何か?というと、それが中国的に言うのであれば、やはり「肉」という事になるのだと思われる。 それは孟子が述べた「膾炙(生肉の細切りと肉の炙り)のほうが美味い」という事にも関連するのだろう。
 とどのつまり、やはり中国においては美味を語る場合は「肉」にこそ、その万人の好みは集約されることを、私は逆に強く印象付けられた気がするのである。




参考文献


「蠻夷の光景 : 中唐の異文化受容史」 好川 聰

「元稹の異文化認識 : 白居易との應酬を中心に」  好川 聰