曾晳そうせき

 曾晳そうせきは孔子の弟子であり、名は曾点、字は子皙である。また孔子からは親しみを込めて「点」と呼ばれていた人物でもあった。曾晳は羊棗ようそう(ナツメの一種)が好物であったと伝えられているが、この事は羊棗の項で詳しく述べてあるので参考にして頂きたい。

 さて論語には、孔子が曾晳・子路・冉有・公西華という四人の弟子たちとフランクな雰囲気の中で行われた議論の様子が「子路、曾皙、冉有、公西華侍坐」として描かれている。そこでの議論には、それぞれの弟子の性格が如実に現れていているのが興味深い。その中でも曾晳の答えは変わっていて、かつ彼の人柄をよく伝えている面白いエピソードになっている。

四子侍坐図


「子路、曾皙、冉有、公西華侍坐」(原文へリンク)

 孔子は弟子たちに「お前たちを認めて用いてくれる人があったら、お前たちはどのように応えるか?」という質問したとき、子路・冉有・公西華の三人は、国をどのように強くし、人民を治めるかに関する自分の志を力強く述べている。

 しかし曾晳だけはそのニュアンスが他の弟子たちとは異なっていた。
 ちなみにこの時、曾晳は琴をポロンポロンと奏でながらこの議論に参加しており、その琴を置いてこのように答えている。
「晩春の好時節に、春服に軽く着替えをして、元服したばかりの二十歳ぐらいの青年五六人と、十五、六歳のはつらつとした童子六、七人を連れて郊外に散策し、沂の温泉に入浴し、舞雲の雨乞い台で一涼みして、歌でも詠じながら帰ってきたいと存じます」 (引用先)
 孔子は、曾皙のこうした意見に対し、いかにも感に堪えぬといった様子で「私も点(曾晳)に賛成する」と応じた。

 安岡正篤やすおかまさひろは曾晳について「洒脱でなかなか達人的風格な人であります」と述べているが、孔子に対するこの答えからも、曾晳は風流を解するユルい感じの人物だったのであろうと感じさせられずにはいられない。


曾晳の息子


 この曾晳の息子が、孔子の弟子の中でも有名な、名は曾参、字は子輿、よく「曾子そうし」として知られている人物である。孔子が彼の弟子を評した言葉の中に、次のようなものがある。

「柴也愚,參也魯,師也辟,由也喭」(原文へのリンク)

 これを安岡正篤は「柴(子羔)は馬鹿正直、参(曾参)は血の巡りが悪い、師(子張)は偏って中正を欠く、由(子路)は口やかましく粗暴である」と訳しており、続けて 「愚も魯もまことに味のある言で、実のところ訳しようがない、いわゆる以心伝心で会得するほかない。曾参(曾子)はそういう人であるから、性格が内省的で、節度があったのは当然であるが、反面また非常に直覚の勝った人でもあった」と述べている。『論語の活学: 安岡正篤』

曾子


 これは想像でしかないが、ユルい感じの曾晳の教育のもと、曾子はこのような性格の通りにのんびりと育ったのではないだろうか。孔子が彼について述べた「魯」には、安岡正篤も訳せないというような微妙なニュアンスが込められており、血の巡りが悪いというような表現には、単にネガティブな意味だけでなく、マイペースとか大らかとかそんなニュアンスも感じ取れない事もなさそうな雰囲気を感じるのである。父親の曾晳も、孔子へ述べた自分の志は、のんびりしたユルいものであったが、そのようなところが「魯」として孔子が曾子を表現した人となりにも表れているのかもしれない。

 ちなみに曾子は孝の道(親孝行)に優れていたとされている。それを孔子より見込まれ、『孝経』を著したと言われており、朱子学でいうところの四聖(顔回・曾子・子思・孟子)のひとりとなっている。

 実は、この曾子の孝行さという事が、彼が羊棗ようそうを食べないことと深く関係しているのであるが、その詳細は羊棗の項からぜひ確認して頂きたい。






参考資料


「[新装版]論語の活学: 人間学講話 」 安岡正篤 - プレジデント社; 新装版 (2015/4/23)

「子路・曾晳・冉有・公西華待坐す 論語 孔子」 学び Learnings