美味求真

Menu


美味求真

1925年出版の「美味求真」を通して
「食」を文化,哲学,歴史,人類学などの
様々な分野から考察します。



更新註釈記事



堀越藤吉

堀越藤吉は、中川嘉兵衛と共に、まだ日本で牛肉が一般的に食べられていなかった時代に販売に取り組んだ、食肉産業におけるパイオニア的な存在の人物です。

中川嘉兵衛

『美味求真』で言及されている中川嘉兵衛と堀越藤吉は、日本における牛肉食のパイオニアとされている人物です。

宇佐津比古、宇砂都比売

宇佐津比古と宇砂都比売は、宇佐の国造であった宇佐氏の祖です。宇佐という読みは、他にも菟狭という漢字に置き換えられて、『古事記』では、菟狭津彦ウサツヒコ、および菟狭津媛ウサツヒメと記載されています。

渟浪田

渟浪田とは『日本書記』の中で述べられている田の事です。天孫瓊々杵尊(テンソンニニギノミコト)の妻となった木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)がこの田を作ったとされていて、これが最初の田であるとされています。

日本人の米飯における本質

日本人の食の中心は間違いなく御飯です。日本人は稲作が始まった歴史の始まりから、稲作を中心とした祭祀や、食文化を築き、米によってその生命を支えてきました。

ウィリアム・E・ラキソン

ウィリアム・E・ラキソンは、“William.E.Laxon.Sweet”というのが正式な本名です。ウィリアム・E・ラキソンはロンドン留学中の夏目金之助(夏目漱石)の紹介で日本で英語を教える為にやってきて、明治34年(1901)10月中旬から第五高等学校 (旧制)で英語教師となった人物です。

野邊地尚義

『美味求真』で、野邊地尚義は、紅葉館という料亭の主人であると紹介されています。この項では、なぜ野邊地尚義が紅葉館の主人になったのかの経緯を述べ、野邊地尚義がそこに至るまでのキャリアと、紅葉館という料亭について説明します。

ダゴン

ダゴンは古代フェニキアの神で、旧約聖書にも数多く言及されるペリシテ人(フィリステア人)と古代中東全域で崇拝されている豊饒の神です。紀元前2500年ほど前から崇拝されていたことが知られており、ダゴンという神の名前は、ヘブライ語の「穀物」、 セム語の「トウモロコシ」という言葉から派生したと考えられています。

百取の机代物

百取の机代物は、種々の飲食物などをのせた机のことです。 モモは数が多いこと、トリは持つという意味、ツクエは杯ツキ・給ツキと据ウエの約であるとされているので、多数の品物を意味しており、それが机に並べられている様が伺える。

イクテュオケンタウロス

イクテュオケンタウロス(英:Ichthyokentauros ギリシャ語:Ἰχθυοκένταυρος)は、ヘレニズム、グレコ・ロマンの彫刻に多く表現されている実在しない空想上の幻想生物です。イクテュオケンタウロスは、いわゆるケンタウロスに属する種類であり、その中でも半身が魚になっているものであるとされています。

八百比尼

八百比丘尼とは、「人魚の肉」を食べたために、八百歳まで生存した尼の事です。

亀の尿

『美味求真』には、亀の尿は浸透性が高く墨と混ぜてると石にも入ってゆくので、石碑に文字を書くときにも使われると述べられています。ここでは亀尿がどのようなもので、なぜこのような事が行われるようになったのかの根拠を考えてみたいと思います。

ワインにおけるマリアージュの真意

日本人と西洋人の間にあるマリアージュにおける相違とは何か?なぜそのような相違が存在するのかという根拠を示しながらマリアージュにおける真意を明らかにする事としてみたいと思います。

五穀

五穀とは基本的に穀類全般を表した言葉ですが、その内容が時代や場所により変化します。 日本も中国からの五行の影響を受けているため、五穀の概念があり『古事記』『日本書記』の両方の記録の中に五穀に関する記述を見ることができます。

進士流

進士流は室町時代末期に、細川晴元(1514年~1563年)に仕えた進士次郎左衛門尉が 大草流 から分かれて創始した流派であるとされています。室町時代に入り、将軍家が京都に拠点を置くようになったことから、公家社会だけでなく武家社会内においても料理の重要性が高まっていきます。こうした武家社会での応饗は新たな料理流派の需要を生むことになり、これまで公家に仕えてきた従来の庖丁家ではなく、武家出身の氏族がそれを担うようになっていったのです。

鮒魚の頭

臨川王の蕭宏は、日に鮒の頭を300食べていたというのは、かなりの量であり、何かそこに偏執的なものを感じさせられます。

賀屋澹園 河豚話

賀屋澹園の澹園は号です。名は敬。字(あざな)は子恭あるいは恭安。号は澹園、榧陰。その著作に『好生緒言』『続医断』があり、さらに日本で最初のフグに関する専門書が『河豚話』です。

広瀬淡窓

広瀬淡窓(1782年5月22日-1856年11月28日)は、江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人です。

竹内始萬

竹内始萬(本名:順三郎)は1898年(明治31年)静岡県生まれ。国民新聞社学芸部長を経て1933年(昭和8年)に退社し、雑誌『水之趣味』の創刊に携わり、1949年(昭和25年)3月1日に佐藤垢石の後を継ぎ、つり人社の社長となった。

佐藤垢石

佐藤垢石「本名:亀吉」(1888年 6月18日 - 1956年7月4日)は文筆家であり、釣り人でもありました。佐藤垢石は非常に変わった人物であり、その生き方は破天荒、まさに畸人と呼ばれるに値する自由奔放、豪放磊落な人物だったと言えるでしょう。

布津純一

布津純一は大分県の現在は宇佐市出身のビジネスマンです。啓成社の社長であり、啓成社は『美味求真』の出版元として書籍を世に送りだしています。また釣りが趣味であり、釣り雑誌『水之趣味』を発行。またこの雑誌を分社化させた水之趣味社の中に、昭和22年7月、釣友同和会を結成し、布津純一は代表として釣りの普及活動を行いました。

伏莬

奈良にある春日大社では、神饌として米粉でギョーザのような形を作り、胡麻油で揚げたもの「餢飳(ぶと)」と呼び、長年作り続けられています。

柳楢悦

柳楢悦(1832年10月8日~1891年1月15日)は日本の海軍軍人・数学者・測量学者・政治家として活躍した人物です。海洋測量術の技術向上において大きな貢献をした人物であり、「日本水路測量の父」「海の伊能忠敬」と称されています。

栴檀樹耳

「栴檀樹耳」はチュンダという弟子が供えた、ブッダが最後に取った食物です。そしてこの食物こそがブッダの死因と関係があるとされていますが、この「栴檀樹耳」が何を表しているかに関しては過去から色々な説が唱えられてきました。

饅頭

饅頭はどのように日本に伝わったかに関しては幾つかの説が存在してるようです。饅頭の起源とどのように伝わったのかを説明します。

赤壁の賦

「赤壁の賦」は蘇東坡の代表作の詩である。宋の元豊五年(1082年)旧暦七月十六日夜の時の事が詩の中で詠まれています。 三国志で有名な赤壁の戦いは西暦208年の出来事で、それから約800年後に、蘇軾が訪れた古戦場とされる場所の景色と、それを前にしての蘇軾の心情が綴られているのです。

竈神

中国でいう火の神は「竈神」つまり、料理の火の神です。

羽倉簡堂

中羽倉簡堂(1790年12月6日 - 1862年7月29日)は江戸時代後期の儒学者です。  父の羽倉秘救やすひらの日田代官としての豊後赴任により、子供の頃から豊後(現在の大分県)の日田の広瀬淡窓のもとで学んでから日田代官となるのに始まり、各地で代官職を歴任し、最終的には水野忠邦に抜擢され、幕府の中枢で財政の立て直しに貢献し、勘定吟味役にまで昇格することになりました。

虎大尽の虎料理

山本唯三郎(1873年11月8日 - 1927年4月17日)は、明治から大正にかけて活躍した実業家です。山本唯三郎は松昌洋行という貿易商社を設立して石炭や材木の貿易に従事していたが、第一次世界大戦の開戦を見て船舶輸送業を強化する。するとこれが見事に当たり、巨万の富を築きあげることになりました。最盛期の資産は約4千万円だったとされており、戦争で大儲けした「成金」としても有名です。

満漢全席

満漢全席(满汉全席:Mǎn Hàn quánxí)は清朝の食通であった乾隆帝けんりゅうて(1735年10月8日 - 1796年2月9日)の時代から始まったとされている豪華な宴会様式のことです。

イポリート・テーヌ

イポリート・テーヌ(1828年4月21日 - 1893年3月5日)はフランスの哲学者・批評家・文学史家です。彼の著書である『近代フランスの起源 Origines de la France contemporaine』という歴史書の中で、ベルサイユ宮殿での料理や豪華な生活について書き残しています。

アルケストラトス

ギリシャの詩人であり、また料理通でもあったアルケストラトスに関する記事です。『食卓の賢人たち』の中に、アルケストラトスの詩編『ガストロノミア』の62編の断片が引用されており、そこからアルケストラトスの記した料理法を現代の我々は理解出来きます。

興津彦、興津姫

興津彦は奥津日子神(オキツヒコノカミ)、興津姫は奥津比売神(オキツヒメノカミ)という正式名称を持った日本古来からの神である。『古事記』によると「奧津日子神、次奧津比賣命、亦名、大戸比賣神」とあり興津姫は、大戸比賣神(オオへヒメノカミ)という別名をもっていることも示されている。

伊尹

伊尹は紀元前16世紀頃、殷王の「湯」に宰相として仕えた人物です。

ペトロニウス

ペトロニウス(Petronius)は西暦20年頃 ~ 66年のローマ帝国ユリウス・クラウディウス朝期の政治家、かつ文筆家であった人物です。皇帝ネロの側近でもあり、小説『サテュリコン』(Satyricon)の作者と考えられています。

細川勝元

細川勝元(1430年~1473年)は第11代細川京兆家当主で、応仁の乱の東軍総大将として知られている人物です。この京兆家が、細川氏一族の嫡流(本家)であり、摂津・丹波・土佐などの守護職を世襲したと同時に、代々室町幕府の管領職として重要なポジションにありました。

細川幽斎

細川幽斎(1534年6月3日~1610年10月6日)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した戦国武将です。将軍・足利義藤(後の足利義輝)から字を賜り、細川藤孝を名乗っていましたが、本能寺の変以降、剃髪して幽斎という雅号を名乗るようになります。幽斎は戦国武将であったが、また歌人としても優れており、当時の一流の文化人としても歴史に名を留める人物でもありました。

カール5世

カール5世(Karl V., 1500年2月24日 - 1558年9月21日)は、ハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝です。  当時の神聖ローマ帝国は「太陽の沈まない国」と称されているように、ヨーロッパから新大陸、アジア(フィリピン)に至っており、領土のどこかがいつも太陽に照らされている広大な領土を有する世界帝国でした。こうした帝国の王として統治してたのがカール5世でした。

西園寺公望

西園寺公望(1849年~1940年)は内閣総理大臣を務めた政治家です。彼は只の政治家というだけではなく、通人として、料理においても鋭い感覚をもっている人物として高い評価のある人物でした。

大草流

大草流派包丁流派であり、料理道に関しては、1380年頃に室町幕府将軍の足利義満の料理人となった大草三郎左衛門公次が創始者とされています。

生間流

生間流は宮家に使えた包丁流派で、もともとは初代の兼慶(1196年)が、源頼朝公に仕えた時から生間を名乗り、そこから生間流が始まったとされています。

八珍

周代の「八珍」については『周禮﹒天官』の中で「珍用八物」,「八珍之齊」として挙げられています。また『禮記』内則の中でも同様の「八珍」が述べられており、ここではその8種類の調理法を紹介します。

四條園流

園別堂入道基氏という人物が、四條園流の創始者であるとされている。この人物は百日間、毎日、鯉を切って練習をしたという事が記載されている。この百日の鯉に関係した話は、吉田兼好の『徒然草』の二百三十一段にも取り上げられており有名な話となっています。

四條流

四條流とは、四條家によって代々守られてきたとされる庖丁流派です。四條家は、公家となる権利を有している家系であり、また包丁家としても知られています。まずはこの四條家について説明することから、包丁流派の四條流について説明しています。

包丁人

一般的には庖丁人とは料理人のことであると考えられているかもしれない。しかし、例えばフランス料理、イタリア料理のような西洋の料理人を、庖丁人と呼ぶのにはなんだか少し違和感がある。それでも庖丁人=日本料理人ということになると、なんだか我々にはしっくりくるイメージになってくる…。

伊勢貞丈随筆纐纈の巻

伊勢貞丈(1718年-1784年)は、江戸時代中期の伊勢流・有職故実研究家です。庖丁式についても書き残しており、説明を行います。

その見聞の源頭

「その見聞の源頭」はイギリスの詩人であり、劇作家であり、俳優、文芸評論家として17世紀に活躍したベン・ジョンソン (Ben Jonson:1572 – 1637) の作品です。ベン・ジョンソンの交友関係は、シェイクスピア、フランシス・ベーコン、ジョン・ダン等の、その時代を牽引した文学者や哲学者に広がっており、こうした面々がロンドンのセントポール寺院の近くにあったマーメイド・タバーン(Mermaid Tavern)というパブに集いサロンを形成していました。

佛書

佛書とは、仏教関係の本、仏典の全般を言います。『美味求心』のこの箇所は『大智度論』に記されている三十二相の「26」番目の特徴に該当しています。

易牙

易牙は、春秋時代、斉の桓公に仕えた料理人です。中華料理の基礎を作ったとも言われる人物でその料理は非常に美味であったとされています。

随園食単

『随園食単』は袁枚の記した著書です。著者の袁枚は清代の大詩人で、食通としても著名な人物です。『随園食単』は料理の作り方を記した書物であり、ブリア・サヴァランの『美味礼讃』と美食に関する書籍の東西の双璧を為している名著です。

美味礼讃

『美味礼讃』とは美食家であったブリア=サヴァランの著作(1825年)の邦題で、袁枚の記した『随園食単』と並ぶ、東西の美食に関する双璧をなす名著であると言えるでしょう。

荆楚歳時記

『荆楚歳時記』は中国の年中行事やしきたりをまとめた最古の書です。この『荊楚歳時記』が我が国に伝えられたのは 奈良時代初期の頃で、朝廷は『荊楚歳時記』に習って年中行事を定めました。

木下謙次郎

木下謙次郎(1869年4月9日 - 1947年3月28日)は、豊前宇佐郡安心院町木裳(大分県宇佐市安心院町木裳)出身で、日本の明治から昭和初期にかけての政治家として、衆議院議員、関東長官、貴族院議員を歴任した人物で、美味求真の著者でもあります。

曾晳

曾晳は孔子の弟子であり、名は曾点、字は子皙である。また孔子からは親しみを込めて「点」と呼ばれていた人物でもありました。曾晳は羊棗ようそう(ナツメの一種)が好物であったと伝えられています。

羊棗

羊棗は曾晳の好物として知られている食べ物です。羊棗が好きだった曾晳と、その息子の曾子(曾参)に関しては、公孫丑と孟子が行った会話のエピソードの中に残されています。

祝融

祝融(しゅくゆう)は、中国神話の火の神です。炎帝の子孫とされており、火を司る祝融は南の神でもある。その姿は獣面人身であるとされています。

蜀志

『美味求真』では、山椒魚を木に縛り付け、叩いて白い汁を出してから料理すると述べてあり、その出典を『蜀志』であるとしています。

日本の端午(たんご)の節句は、奈良時代から続く古い行事です。日本では季節の変わり目である端午の日(5月5日)に、病気や災厄をさけるための行事がおこなわれていて、急に暑くなるこの時期は、昔から病気にかかりやすく、亡くなる人が多かったため、健康増進のための行事として端午の節句は定着するようになりました。

美味求心では、人にはそれぞれ味の好みがあり「蓼食う虫も好きずき」として「屈到の菱」を始めとして幾つかを列挙しています。 ここでは菱がどのような食べ物かをご紹介することにします。

屈到

屈到くつとうは楚国の臣で、襄公十五 (B.C.558) 年に莫敖ばくごう(軍の最高位である司馬の次位)として公子午政権に参画しています。またこの人物は菱を好物としていました。

柳子厚

柳宗元は中国中唐の文学者・政治家。子厚(しこう)は字である。[773年~819年没] 王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せ、散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の1人に数えられています。

注釈集 +