鯉はもともと中国の魚で、『神農書』には「鯉最為魚之主三十六鱗」と書かれています。ここからも鯉が最も貴重とされていたことが分かります。

『詩経』には「豈其食魚、必河之鯉」とあり、『國朝律』には「取得鯉魚即宜放,仍不得吃,號赤鯶公。賣者杖六十」とあるので、唐時代には鯉を食べた者が刑罰に処せられていたことも分かります。

昔、孔子に子供が生まれた時に、魯君(孔子の君主)が鯉を贈ると。孔子は喜んでその子を鯉と名付けて、字(あざな)を伯魚としたようです。ここからも分かるように鯉は縁起が良い魚としてとても貴ばれていました。

鯉には種々の伝説があって、百年を生きると龍となる言われています。
黄河の源流は崑崙山脈にありますが、河は積石山を経て龍門と呼ばれる三級の大瀑布となります。春の三月頃、桃の花が流れる中を魚は上流へと遡って、この鯉龍門を上がることができれば鯉は龍になるとされているのです。

しかし鯉龍門の前で多くの鯉は昇りきることが出来ず、落ちて死んでしまいます。『後漢書』李膺傳には「士有被其容接者,名為登龍門」と書かれていいて、人が出世する事を「登龍門」と言うのはここが起源なのです。中国では陰暦9月の風を「鯉魚風」と言います。李賀の詩に、

鯉魚風起芙蓉老

とあるのはこの季節ににつて詠じたもので、仙人の琴高が鯉に乗って江湖を飛んでいる様子がモチーフとなっています。このモチーフは詩だけでなく、絵画としても描かれています。

『二十四孝』には、王祥が氷上で二匹の鯉を得た事、また『烈女傳』には、姜詩の妻が、自宅の側に湧いた泉からいつも鯉を得ることが出来た等の話がありますが、こうしたエピソードは、現在でも格好のお伽噺で人気のお題目となっているようです。

日本でも中国でも同じように、鯉を魚類のなかの王とみなしています。こうした理由もあり、鯉は出世魚であるとして中国で登竜門の伝説が始まったのでしょう。年々、端午の節句で、都市部でも地方でも鯉のぼりを立てたり、祝い事の宴会では必ず鯉が出されるのもこれに由来しています。

鯉は温かい淡水の深淵に群れて棲むのを好み、その産卵は4~5月頃に行われます。この時期になると雌は雄を誘って、浅く水藻が茂っている場所で早朝に産卵し、一匹の一回の産卵量は31万~70万粒とされており、20℃の水温であれば一週間で孵化します。

鯉の起源は中央アジアですが、まず最初に中国に移植され、それから朝鮮半島を経て日本に入ってきたと考えられえています。ヨーロッパの方にはロシアやノルウェーを経てからギリシャ、ローマに移植され、その後ドイツにも入ったのは1258年のことでした。イギリスには1514年、オランダも同年頃であり、フランスには1400年代であったそうです。アメリカに鯉が輸入されたのは1872年の事で5尾、続いて1877年に日本から77尾、ドイツから再び298尾、6年間に合計394尾が送られ、今ではアメリカの太平洋沿岸地域の川や沼には鯉が沢山生息するようになっています。ここからも鯉の繁殖力の強さを見ることが出来るのではないでしょうか。アメリカ人は鯉の繁殖力に驚き、鯉が増えると他の魚の発育を妨げるとの理由から、一時期は鯉の流入に猛烈な反対をしていましたが、近年はその価値が理解されるようになったてきています。このように鯉の生息範囲は世界中に広がっていると言えるでしょう。

水が清いと魚は住まないと言われていますが、鯉もあまり清らかな冷水よりも、少し濁った水を好みます。日本では鹿児島の川内川、久留米の筑後川、宮崎の大淀川、大阪の淀川、茨木の利根川等が鯉の生息地として有名です。

寿命は大抵50~60年位で、普通の大きさで60cm~1.5mまでになります。琵琶湖で捕獲された鯉は体長1.7m、同周り1.2m、重量が45kgもあったことが報告されています。中国の揚子江、黄河には3.5mにもなる大鯉がいますが、泥臭さがあるので味は日本産と比べると劣っています。

鯉の形は、川にいる天然産のものは円筒形なのですが、養殖鯉の形は幅が広く、体が高くて一見すると鮒のような形をしています。味についても容姿についても円筒形のものが優れていますが、近年は養殖が盛んで養殖鯉が川に逃げ出した為に多く雑種が生まれおり、純粋な円筒形の天然物が減少しています。いわゆる「悪貨が良貨を駆逐する」のと同じことが起きていて、天天然鯉が減少している事はとても惜しむべきことです。

鯉の変種には緋鯉ひごい斑鯉ぶちごいなどは良く知られていますが、他にも郡山の頬金ほほきんという品種があります。これは頬の辺りが銀色を帯びている珍しい種類です。

中国のある地方では、鯉の勇敢なことを良馬と比較して、赤鯉を赤駒せきことよび、白鯉を白駿はくしゅん、黄鯉を黄騅くわうすいと呼んでいます。また近年、ドイツから輸入された鏡鯉、または革鯉などの変種もいます。鏡鯉とは大きな鱗うろこが側線上と鰭ひれの付近に少ししかないもので、鏡のように光っているのでこのように名付けられており、革鯉は鱗が無く側線が現れていて、あたかも革で張られたように見える事からこのように名付けられています。側線とは鯉の胴体に頭から尾にかけて引かれている線の事で、鯉の鱗はこの側線の上に36枚が規則正しく並び、その大きさや年齢によって鱗の数が異なることはありません。

『本草網目』に「鯉鱗有十字紋理,故名鯉其鱗従頭尾,大小,皆三十六片」とあります。鯉が六六魚と呼ばれているのはこの為です。ただし実際には必ずしも鱗の数は三十六という訳でもないようです。また鯉の特性は、水中では非常に勇敢で活発なのにも関わらず、ひとたび人に捕らえられ俎板の上に置かれると、まったく暴れずに大人しくなるので、その安んじて最後を待つ様子が、死に臨む古武士の態度に似ているとも言われています。

【 備考 】
中国には海に鯉がいる。その事が『直省志』、『桃洞遺筆』『廣東通志』などに書かれてあります。日本では鯉は淡水だけで海にはいません。中国の海鯉は多分、海に住んでいるウグイの事ではないでしょうか。

 

第二項 鯉の漁法

 

鯉釣りは冬以外であれば季節を選ばず行えます。曇天あるいは小雨の日が良いとされています。ただし水中の魚影が見えている場所だと餌に食いつくことが無いので注意が必要です。鯉は杭などがある所を好みますが、いつも杭の下流にいて、上流にいることはありません。また水の渦巻く場所や、塵芥のある場所には住まないとされています。餌を食べる時は頭を上流に向け、下流に向いている時は決して食べません。天然産のものは中々釣針にはかからないとされています。

鯉は5~6月頃、増水で水が濁っている頃に産卵します。沼地のものは岸辺に出て来て、川の本流にいるものは支流や小溝にまで上ってくるので、その時に網で捕らえたり、帰路を塞いで網に追い込んだりする漁法がとられています。

冬期は深く静かなところに、半分冬眠状態のようになって群れているので、網を張って取り巻き、ヤスで突き捕る方法もあります。また深淵に潜って鯉の居場所を探してヤスで突いて抱き上げる方法も行われています。竹を編んで簀を作って湖や沼に置いて一定の場所に魚を誘い出口を塞いですくい取る等、地方によって漁の方法に様々な様式があるようです。

 

第三項 鯉の料理

 

東京では鯉を夏に食べることが多いですが、実は夏が最も鯉の不味い時期であって、実際は12月から3月頃までがシュンである。肉の色は鮮やかな紅色で鱗に金色の光沢があるものが良いとされている。河流で育った純粋な真鯉まごいであれば、味は非常に良いが、近年、鯉の多くは人工の養殖物であったり、また養殖魚が川に逃げ出した雑種魚であったりするので、純粋な真鯉は皆無で鯉の価値はかなり下落している。昔、日本人は鯉を魚類の最上のものとして珍重したのは、純粋な円筒型の真鯉であって、現在のものとはその性質が全く異なっています。

『徒然草』には
「鯉の羹を食べた日は、鬢が毛羽立たないということだ。膠も鯉から作るので、ねばりがあるものなのだろう。鯉だけが天皇の御前で切られる魚なので、高貴な魚なのである」
とあるように、昔は 四條流 でも、 大草流 でも鯉料理は最高の料理で、将軍家の御前料理は鯉に限られていました。鯉の割き方は血を拭うには必ず白紙を用いなければならず、決して水で洗ってはいけません。水を使うならば腥気が付くと伝えられているからです。現代では養殖鯉が一般的となってしまって、真鯉がほとんど種切れになっているのは本当に嘆かわしいと言うほかありません。

【 備考 】
鯉料理に養殖物を使う際には独特の癖があるので味があまり良くありませんが、「鯉こく」の場合も「洗い」の場合も、その切った肉を一度塩水で洗うようにすると良いでしょう。その後に鍋に入れるか、または冷水を何度もかけて洗って「なます」にすれば肉味は養殖魚特有の癖を取り除くことが可能になります。