料理書(ギリシャ・ローマ時代)


歴史的な料理書の変遷


 現在、書店に行くと様々な料理書が並べられている。それはプロの為のものから、主婦向けの家庭料理と多種多様である。こうした書籍類を見ると、人は出来るだけ旨いものを食べたいという欲求が本質的に備わっている事を強く感じる。いわゆる料理関係書籍と言われるものは、さらに以下のように細分化されている。

 ① 専門料理書(プロ向け)
 ② 家庭料理書
 ③ デザート
 ④ 飲料(ワイン、日本酒、スピリッツ等)
 ⑤ レストラン紹介・食べ歩き・旅行
 ⑥ 料理の歴史・研究本
 ⑦ 食事医療(医食同源)

 このように「食」に対する関心の高さを、料理本の種類や出版部数からも感じることが出来る。では過去から現代に至るまで、料理に関する知識はどのように共有・提供されてきたのか、それをこの項では明らかにすることで、料理史を捉えてみることにしたい。

 以降、年代別に料理に関するいくつかの書籍を紹介する。




 西暦前17世紀  世界最古のレシピ


 世界最古のレシピとして紀元前17世紀の粘土板が残されている。これらはアッカド語によって書かれており、この時代のハンムラビ法典と同じく楔形文字で記されている。他に残されている何千もの粘土板の記録から、食品種類のリストや、労働者や兵士への支払い、食料の配送と出荷を記録が読み取れるため、そこから標準的なメソポタミアの食事のかなり正確な様子を理解することが出来る。

 肉類では牛肉、子羊、山羊、豚肉、鹿、鶏が食べられており、鳥は肉と卵の両方が食されている。魚類はカメや甲殻類が食べられている。野菜や果物は、古代近東料理に不可欠であった。よってこの当時から棗やし、リンゴ、イチジク、ザクロ、ブドウなどの様々な果物が食べられてている。また根菜類、球根、トリュフ、キノコも収穫し食卓で提供されていた。

 調味料は、塩、様々なハーブが用いられ、食材にフレーバーを添えていた。また甘味料は、蜂蜜、棗やし、葡萄酒、レーズンが使用されていた。牛乳、澄ましバターおよび脂肪が動物性オイルとして、さらに植物性オイルとしてはゴマ、アマニ油およびオリーブ油が調理に使用されていたことが記されている。

 かなりの種類のパンについても言及されている。記録では、労働者に割り当てられる低品質の大麦のパンから、宮殿で供される金型に入れられて焼かれた、甘くスパイスを効かせた高級なパンまで幅広く記録されている。

 紀元前3000年頃から大麦を砕いて発酵させたビールは一般的な飲み物だった。しかしメソポタミア北部で栽培された葡萄から作られるワインはまだ非常に高価であり、王家や豊かな人々だけが飲んでいた。

「シチューのレシピ25種類」
古代バビロニア時代のレシピ:粘土板(紀元前1750頃)


 上記の写真は、こうした数多くの粘土板に含まれていたレシピの記録である。これは現在、イェール大学図書館に所蔵されている。25種類のシチューのレシピが記されており、21種類は肉のシチュー、そして4種類は野菜のシチューである。レシピには必要な食材と、調理手順は記載されているが、分量や加熱時間などが記されていないので、経験のあるシェフのための記録ではないかと思われる。

「7つのレシピ」
古代バビロニア時代のレシピ:粘土板(紀元前1750頃)


 上記の写真は、7種類のレシピが記されている粘土板で、同じく紀元前1750頃に作られたものである。粘土板は所々傷んでしまっているので、2番目のレシピの名前は失われてしまっているが、これはヤマウズラのような小鳥の料理であると思われる。以下がレシピである。

 ・鳥の足と頭を取り除く。
 ・鳥を割いて、砂嚢と内臓を取りだして綺麗に掃除をする。
 ・砂嚢には切り目をいれて、皮をむく。
 ・鳥を濯いで、内臓を細かく刻む。
 ・鍋を準備して、火にかける前に、鳥肉、砂嚢、内臓を入れておく。
 ・鍋を火から下ろしたら、中身に水を注いで洗う。
 ・大鍋の中にミルクを煮詰めたものを加えて火にかける。
 ・鍋から鳥を取りだし、水気を拭う。
 ・食用に適さない部分をカットして、塩をふり、大鍋で合わせる。
 ・脂肪を入れ、香木とヘンルーダの葉を加える。
 ・煮立ったら、玉葱、サミドゥ、ポロネギ、にんにくを加える
 ・煮込んだ肉を取り出し、皿に伸ばして焼いたパンの上に載せ、小さなパンを散らした上で、上から別のパンで蓋をする。

 レシピを見ると分かるが、かなり手の込んだ、複雑な料理となっている。記録者の記述が錯綜しているところがあり、料理の手順がうまくフォローできない部分もあるように思える。しかし逆に考えると、それだけこの料理は単純なものではなかたということになるのではないだろうか。

「3枚目のレシピ粘土板」
古代バビロニア時代のレシピ:粘土板(紀元前1750頃)




参考資料


『The Oldest Cuisine in the World: Cooking in Mesopotamia』 Jean Bottéro

『Encyclopaedia of Food and Culture』  Charles Schribners & Sons

『Middle Eastern & Islamic Cuisine』 Yale University Library






 紀元前5世紀  ミタイコスの料理書


 ミタイコス(英語:Mithaecus ギリシャ古語: Μίθαικος)は、紀元前5世紀後半の古代ギリシャの料理人であり料理書を記した人物である。ミタイコスは、ギリシャの植民地であったシシリア島のシラクサが出身地であるが、この当時のシラクサは非常に発展していた都市であり、料理においても先進的な場所であったようである。シシリアの料理人が裕福なギリシャ人に召し抱えられていたようで、ギリシャに料理の面で与えた影響は大きい。

 そのことは、同じシシリアのジェーラ出身のアルケストラトスが100年程後に、料理書を記したことからも、この地域の料理のレベルが高かったことが分かるだろう。

 ミタイコスはプラトンの『ゴルギアス』の中でも言及されている。医療=技術、料理=経験としての理論が語られている文脈のなかで、パン職人(Thearion)とワイン商人(Thearion)と並んで料理書の筆者としてミタイコスが挙げられている。この当時、ミタイコスが著名であったことには間違いないといえるだろう。
 またテュロスのマクシモスが記した『Dissertations』の中では、ミタイコスはスパルタに居たのだが、去るようにと命じられスパルタを去った事が述べられている。

 ミタイコスが記した料理書の内容の大部分は失われており、残念ながらひとつのレシピしか残されていない。そのレシピは、アテナイオスの記した『食卓の賢人たち』 (Deipnosophistae) で引用されており、それが唯一、後代に残されることになった。そのレシピを以下引用する。

【 The deipnosophists:食卓の賢人たち 】
The most beloved Tainia, which are thin, But highly flavour'd, and need little fire. And Mithaecus, in his CookeryBook, says-" Having taken out the entrails of the tainia, and cut off its head, and washed it, and having cut it into slices, sprinkle over it cheese and oil." But this fish is found in the greatest number and in the finest condition off Canopus, which is near Alexandria; and also off Seleucia, which is close to Antioch.

【 訳文 】
 細いが味わいの良いアカタチウオは非常に人気がある。ミタイコスはその料理書のなかで「内臓を取り出し、頭を落として洗ってから、身をスライスして、オリーブオイルとチーズを振りかける」と記している。
 この魚はアレクサンドリアの近くにあるカノープス沖で良く獲れる。またアンティオキアの近くにあるセレウキアでも獲れる。


 ここでミタイコスが述べている魚は翻訳上「アカタチウオ」としているが、日本にはいない種類の魚で、学術名は「Cepola macrophthalma」というのが正しい名称である。これは赤みを帯びた細長い魚であり、体半分を砂に埋め、頭を出して餌を食べる。

 ミタイコスが言及している魚(Tainia)が「Cepola macrophthalma」であることは『Food in the ancient world from A to Z』 のなかでAndrew Dalby :(アンドリュー・ダルビーは言語学者で翻訳家、また古代料理に関する書籍を多数著している) によって説明されている。さらにアンドリュー・ダルビーは、同書のなかで、この魚は、今ではいくつかの国(イタリア、スペインなど)では消費されてはいるが、他の国(ギリシャなど)では、あまり消費されていない為に捕獲されても雑魚として捨てられているとも説明してある。

「Cepola macrophthalma:アカタチウオ」


 さて改めてレシピに注目すると、ミタイコスのレシピは非常にシンプルである。料理は現代のカルパッチョに近いものに思える。塩がかかっていないが、チーズの塩味がその役割を果たしているのかもしれない。
 ただこのチーズを使った料理に関して、後のギリシャの料理書を著したアルケストラトスは批判的に捉えている。これは次のアルケストラトスの書のところで言及することとする。

 いずれにせよ、古代ギリシャ料理は非常にシンプルで、素材の持ち味を生かそうとする料理であった。先に述べたメソポタミアの粘土板に記されていたレシピを比較してもらいたい。この時代から、さらに1200年も昔に遡る料理であるが、非常に複雑で手が込んでいる。

 ミタイコスのようなシンプルな料理は、シシリアを中心としたエリアを特徴づけるものだったのかもしれない。(ミタイコスの郷里であるシラクサから、アルケストラトスの郷里のジェーラまでは、車で2時間ぐらいである)こうした土壌が、次の料理書の著者であるアルケストラトスにへとつながったものと考えられる。



参考資料


『The deipnosophists』 Athenaeus

『Food in the ancient world from A to Z. Abingdon』 Andrew Dalby

『Mithaikos and other Greek cooks』 John Wilkins, Shaun Hill

『Gorgias』  Plato

『Dissertations』 Maximus of Tyre






 西暦前4世紀  アルケストラトスの料理書


 西暦前2世紀に『ガストロノミア』が書かれており、著者はアルケストラトス(英語:Archestratus ギリシャ語:Ἀρχέστρατος)である。アルケストラトスは、紀元前4世紀頃のシシリア島ジェーラ出身の古代ギリシャ詩人で、地中海の美食を求めて漫遊し、長詩というかたちで『ガストロノミア』を著した。
 残念ながら、ミタイコスの料理書と同様、アルケストラトスの記した詩全文は失われてしまっていているので完全なかたちでは現存していない。
 どこでその著書を読めるかと言うと、またこれもミタイコスの料理書と同様に、アテナイオス(Athenaeus)の記した『食卓の賢人たち』デイプノソフィスタイ:Δειπνοσοφισται (英)The deipnosophists の中に、アルケストラトスの詩編『ガストロノミア』の62編が引用されており、我々はその料理法を読むことが出来るようになっている。

『Gastronomia di Archestrato 1842年版』


 古代ギリシャでどのような食事が行われていたかを理解するのに多くの有益な情報が記されている。特に魚の入手場所、調理方法が書かれており、シンプルな料理方法が取られており、素材重視のレシピとなっている。詳細に関してはアルケストラトスの項を参考にして頂きたい。

 アルケストラトスのレシピは、素材の持ち味を失わないシンプルな料理を真骨頂としている。例えばブダイの料理法として「脂ののった良質なものであれば、塩とオイルをふりかけるだけで良い」としてある。
 先に述べたミタイコスは、アカタチウオにチーズとオリーブオイルを振りかける料理のレシピ(唯一のこされたミタイコスのレシピ)を残したが、アルケストラトスはこの料理法をを拒絶している。これはあくまでも素材の良さを引き出す料理法を良しとするアルケストラトスの信念が現れている言及であると私は考えている。



参考資料


『The deipnosophists』 Athenaeus

『ARCHESTRATUS:The Life of Luxury』 John Wilkins & Shaun Hill






 西暦2世紀  アテナイオスの料理書


 西暦2世紀頃、エジプト出身のギリシア語の散文作家、雄弁家、文法家であるアテナイオス(英語:Athenaeus ギリシャ語:Ἀθήναιος)が、全15巻の『食卓の賢人たち』デイプノソフィスタイ:Δειπνοσοφισται (英)The deipnosophists を著す。

The deipnosophists


 『食卓の賢人たち』には多くの引用があり、その為、原本の失われたミタイコスやアルケストラトスのレシピは残されることになった。

 『食卓の賢人たち』の内容は、アテナイオスが、友人のラレンシスが開催した4日間に渡る宴の様子を、聞き手であるティモクラテスに語ったものである。宴に出された料理に関して、列席者たちが食材、食べ方、関連する先人の著作などを引用しつつ蘊蓄を述べている。その話題には料理だけでなく、音楽、文芸、セクシュアリティーについてもなども取り上げられている。



参考資料


『The deipnosophists』 Athenaeus






 西暦4世紀  アピシウスの料理書


 『アピシウス』De re coquinaria とは西暦4~5世紀の間に書かれた古代ローマ・ローマ帝国時代の調理法・料理のレシピを集めた料理書籍である。ローマ時代にグルメとして知られたマルクス・ガビウス・アピシウス(2番目のアピシウス)によって書かれたとされていたが、実際は複数の著者によって書かれている。

The deipnosophists


 澁澤龍彦の『華やかな食物誌』には、4人のアピシウスがいたと記されている。澁澤はこの4人が一族関係にあったというように説明しているが、これは単にコグノーメンと呼ばれる氏族名がアピシウスという呼称で共通しているだけで、この4人全員には必ずしも血縁関係があったとは言えないようである。

 1番目のアピシウス 

 まず最初は紀元前1世紀(正確には紀元前90年頃)に、やはりグルメかつ奢侈家として知られたアピシウスである。このアピシウスに関しては特にエピソードは伝わっていない。ただ2番目の「マルクス・ガビウス・アピシウス」が、この一番目のアピシウスにあやかってアピシウスと名乗ることにしたところから、逆算的に一番目のアピシウスがいた事が明らかになっている。つまりここには親族関係は無い事を意味するので、澁澤龍彦の説明に対する修正が必要かもしれない。

 2番目のアピシウス 

 2番目のアピシウスは、先ほど名前を挙げた「マルクス・ガビウス・アピシウス:Marcus Gavius Apicius」である。ティベリウス帝(在位:紀元14年9月18日 - 紀元37年3月16日)の時代を生きた人であるので、西暦前~西暦の両方の1世紀間を生きた人である。このアピシウスは多くの美食のエピソードが残されている。

 アフリカの海老が大きいと聞いて、それを手に入れるために地中海を航海してアフリカの海岸に近づくと、船に漁師がもってきた海老を見て、その海老が自分の地元よりも大きいものがないのであることが分かると、陸地には見向きもせずそのまま同じ航路をまっすぐイタリアめざして帰ったという話が残されている。
 このエピソードは西暦2世紀にアテナイオスの『食卓の賢人たち:The deipnosophists』の、このリンク先に書かれている。この事からも、このアピシウスがその前の西暦1世紀頃の人物であることが証される。

 またこのアピシウスは美食の為の膨大な金を費やしていたが、自分の財産が1千万セステルティウスしか残されていなことを知ると、もう昔のような贅沢な食事を行うことが出来なくなったとして、友人を集めて最後の晩餐を行い、その席で自ら毒をあおいで自殺してしまう。この1千万セステルティウスがどれくらいの価値があるかと言うと、紀元1世紀初めごろの平均的な軍団兵は年俸として900セステルティウスを受け取っていたとある。よって普通の人の10000倍の財産がまだ残っていた事になる
 2番目の人物が料理書『アピシウス』の著者とされていたが、実際は彼がひとりで書いたものではない。ただ、このアピシウスは多くのレシピを残しているので、そうした断片が料理書『アピシウス』には含まれていると考えるべきだろう。

 3番目のアピシウス 

 3番目のアピシウスは「アピシウス・チェリウス:Apicius Caelius」である。彼が料理書『アピシウス』の大部分を書いた人物である。ある資料によると全体の3/5を彼が書いたとしてある。

『アピシウス』De re coquinaria
西暦9世紀の版

 9世紀の『アピシウス』の書籍表紙には「API CAE」とあるため、ルネッサンス期からはアピシウスという著者名はこの2つを組み合わせたふたりの人物の名前であるというような間違いが広がった。しかし、実際はもっと多くの複数の人々が記した部分が集められてひとつの書物を成しているというのが定説となっている。
 この3番目のアピシウスは、クラウディウス帝(在位:西暦41年1月24日 - 西暦54年10月13日)の饗宴の思い出を語っているので、この時代に生きた人物であることが分かる。

 4番目のアピシウス 

 4番目のアピシウスはトラヤヌス帝(在位:西暦98年1月27日 - 西暦117年8月8日)の時代の人物である。このアピシウスはパルディアに遠征したトラヤヌス帝に牡蠣を送った人物として知られている。

 こうした4人が少なくとも『アピシウス』の成立には関係していると言えるのかもしれない。『アピシウス』は以下の10章で構成されている。

 Epimeles - The Housekeeper (家政学)
 Sarcoptes - Meats(肉)
 Cepuros - Foods from the garden(庭師)
 Pandecter - Various dishes(種々の材料)
 Ospreos - Leguminous plants(豆料理)
 Aeropetes - Birds(鳥料理)
 Polyteles - Lavish dishes(グルメ)
 Tetrapus - Quadrupeds(四つ足獣)
 Thalassa - Sea creatures(海鮮料理)
 Halieus - Fish (漁師)

 アピシウスには468例の料理が掲載されているが、そのほとんどでガムルという魚醤が使用されている。傾向としては素材の持ち味を生かすという方法よりは、味を足してゆくというイメージである。アピシウスは手の込んだ料理法を数多く残しているので、素材よりはむしろ料理法・調味に重きを置いているとされてる。その幾つかを紹介する。

 ウナギ 
 ウナギはローマ時代でも食べられており、愛好されていた食材であった。『アピシウス』には、うなぎのソースについて「胡椒、ラヴィジ、セロリの種子、シリア産スマックの実、ジェリコ産ナツメヤシなどの香辛料を細かく砕き、蜜柑、酢、魚醤、オリーブオイル、マスタード、濃厚な葡萄液などを混ぜて、とろ火で煮る」というかなりの数の材料で作る手の込んだレシピを伝えている。
 ただしこの味はスパイスの味と、魚醤の塩気と、蜂蜜の甘さで構成されているので、日本の蒲焼に山椒をかけたタレの味と同じようなものであったのかもしれない。

 マグロ 
 マグロの料理に関しても、マグロの成長過程によって異なるソースを合わせる方法を『アピシウス』は伝えている。
 コルドゥラ(マグロの幼魚)には「胡椒、ラヴィジ、セロリの種子、ハッカ、ヘンルーダ、ナツメヤシを細かく砕き、蜂蜜、酢、ワイン、オリーブオイルを加えて煮たソース」が合うとしている。
 またペラミュス(マグロの成長途中)には「胡椒、ラヴィジ、セロリの種子、ハッカ、ヘンルーダ、ナツメヤシを細かく砕き、蜂蜜、酢、ワイン、オリーブオイルにクミン、ヘーゼルナッツ、マスタードを加えて煮たソース」が合うとしている。
 最後にテュンノス(マグロ)には「ナツメヤシの代わりに干しブドウを使い、魚醤と澱粉を加えると良い」と述べている。
 このようにマグロの成長過程によって、複雑で手のかかったソースを使い分けていたようである。

 ウニ 
 ウニの料理法を『アピシウス』は伝えている。
「ウニを熱湯に入れて煮たのち、キャセロール(平鍋)に並べて、胡椒を、蜂蜜、魚醤、オリーブオイルを少々、鶏卵を加えてもう一度煮込み、胡椒をかけて食べる」とある。これでは手がかかり過ぎていて、ウニの風味は完全に飛んでしまっているのではないだろうか。

 先にアルケストラトスの料理について述べたが、アピシウスの料理はこれと非常に対照的である。アプローチの仕方は、アルケストラトスは日本料理に近く、アピシウスは古典的フランス料理に近いと言えるだろう。



参考資料


『Apicius - De re coquinaria』 Apicius

『Cooking Apicius - Roman Recipes for Today』 Sally Grainger

『APICIUS』 Christopher Grocock and Sally Grainger

『アピーキウス・古代ローマの料理書』  ミュラ・ヨコタ 宣子 (翻訳)

『魚酱の起源と伝播 ―魚の発酵製品の研究(8)』 石毛直道