蜀志しょくし

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 『蜀志』は、『魏志』『呉志』と合わせて『三国志』を形成する書のひとつである。ちなみにこの『三国志』の『魏志』に含まれる「倭人伝」に邪馬台国や卑弥呼に関する記述があり、我々日本人にとっては高い関心の対象になっている。

 さて『美味求真』では、山椒魚を木に縛り付け、叩いて白い汁を出してから料理すると述べてあり、その出典を『蜀志』であるとしている。しかし出典を探るため実際に『蜀志』を探してもそれに関する記述は見つからないのである。
 では、なぜ『蜀志』としてあるのだろうか。調べてみると興味深いことに『本草綱目』に、『蜀志』には下記のような鯢魚(山椒魚)に関する説明が存在すると記されている。

蜀志云︰雅州西山峽谷出魶魚,似鮎有足,能緣木,聲如嬰兒,可食。酉陽雜俎云︰峽中人食鯢魚,縛樹上,鞭至白汁出如構汁,方可治食。不爾有毒也。

① 山椒魚には鯰に似ているが足があり、木に登り、その鳴き声が幼児のようであり、食べることも可能である。
② 山椒魚を木に縛り付けて、叩いて白い汁を出してから料理する。


 まず『本草綱目』には①の記述が『蜀志』に存在すると述べている。しかし実際には、そうした記述は『蜀志』には私が調査した限りにおいてはどこにも無い。

『本草綱目』によるとその鯢魚の説明が、
 ① のパートは『蜀志』からの引用であるとしている。
 ② のパートは『酉陽雜俎』からの引用である。

 『美味求真』は、この①②の説明を混同して、両方が『蜀志』からの引用であるとしている為に、出典に正確さを欠いてしまっている。さらに①のパートはそもそも『本草綱目』が、その出典元を間違えているのではないかと私は考えている。何故ならば、『蜀志』のどこにも鯢魚(山椒魚)に関する説明は存在していないからである。

 結論を言えば、『美味求真』の作者の木下謙次郎は、『蜀志』から直接この部分を引用したのではなく『本草綱目』から不正確な引用を、さらに引用してしまっている事に混乱の原因があるのではないだろうか。
 つまり①は『本草綱目』の出典間違いを『美味求真』が再び誤引用し、②の部分は『酉陽雜俎』からの引用であることを示している部分を見落としてか『蜀志』としてしまった事が間違いの原因である。


魯山人の引用


 『美味求真』以外にもこのエピソードが「蜀志」からの引用であるとしているのは北大路魯山人である。彼の書いたエッセーの「山椒魚」の中には以下の一節がある。

 中国の『蜀志』という本には、「山椒魚は木に縛りつけ、棒で叩いて料理する」 と出ているということであるが、山椒魚の料理法など知っているものは、そういないだろう。


 上記のような記述がある。ただ北大路魯山人も、引用元を当たった訳ではなく「出ているということであるが...」というような表現を使っている事から分かるように、この部分もやはり引用の引用である事が伺える。これは私の推測であるが、魯山人は木下謙次郎の『美味求真』を読んで、そこから引用したのではないだろうか。過去『美味求真』はベストセラーだったことを考えると、あり得ない話では無さそうである。
 あるいは魯山人の力量を1ランクアップして考えると、魯山人が『本草綱目』を読んで引用元をそこから抜き出したという事になるだろう。

 美味求真.comでは、木下謙次郎が引用した文献は英語・中国語・古文を問わず片っ端から原典にあたり、読んで確かめてからリンクを付するようにしている。ぜひリンク先の原典も確認して頂きたい。



魯山人の述べる山椒魚の味


 魯山人は山椒魚の味について美味であると述べている。その味を「すっぽんとふぐの合の子」と絶妙な表現で述べている。また腹を裂くと家全体が山椒の芳香につつまれてしまったというエピソードも興味深い。

Fauna Japonica. Mammalia ; Reptilia
オオサンショウウオ


 山椒魚の名前の由来として、木に登って山椒の実を食べるためにこの名前が付けられたと言われていたり、皮膚の肌合いが山椒の木の色に似ている為であるとも言われているが、魯山人の言う、腹を割いた時の山椒の香からするので、その名前が付けられたというのも案外正しいのかもしれない。もしそうであるとすれば、やはり山椒魚は昔からよく食べられていたという事にもなってくるのではないだろうか。
 いずれにしても『蜀志』にはその記述がないのは不可解であるので、今後も引き続き調査を進め、この正しい出典元に関しては明らかにしてゆきたい。





参考文献


『本草網目』  李時珍

『酉陽雜俎』  段成式

『山椒魚』  北大路魯山人

『日本動物誌 Fauna Japonica』  フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト