鮒魚の頭

 木下謙次郎は、『梁書』を読んでいてこの記述を見つけたとあるが、私も『梁書』を当たり、この記述があるかを調べてみたが見つからなかった。
 実際に『梁書』巻22 列伝第16には、臨川王であった蕭宏しょうこうに関する記録が記されてはいるのだが、ここには蕭宏と鮒の関係は書かれていない。よって木下謙次郎の『梁書』という記述はやはり間違いである。そこでさらに調べてみると実際はもう一つの蕭宏に関する記録の有る『南史』に記されていることが分かった。そこには以下のように書かれている。

 好食鰿魚頭,常日進三百
 「鰿の頭を好み、日に300匹を食べた。」

 後年に編纂された『廣博物志』を参照しても、同じ内容が書かれており、そこには『南史』が出典である記してある。よってやはり『梁書』は引用間違いであると断定できる。

 さてここでまた問題が起る。「鰿鱼」とは何だろう。 鰿に関する説明を『康熙字典』から見るとこのようにある。

 【博雅】鰿,鮒也。
 【類篇】小魚也。今鯽(鮒)魚。

とあるので、鰿とは鮒であることが分かる。

 さて臨川王の蕭宏に話を戻すと、日に鮒の頭を300食べていたというのは、かなりの量であり、何かそこに偏執的なものを感じさせられる。過去の記録を見ると、権力者は何らかの食品の中毒になる者が多いように思われる。例えば カール5世 は鰻のパイが大好物でをかなりの量を食べた過食症の王として記録されている。またイングランド王 ヘンリー1世も命と引き換えのリスクを犯してまでウナギを過食していた。ローマ教皇マルティヌス4世もウナギ中毒と言って良いくらい、偏執的にウナギを食べていたようである。

 これと同じような偏執的な傾向を、毎日300もの鮒の頭を食べた蕭宏にも投影してしまうのでは、私だけではないと思う。ただ数を別にすると、食通は魚の頭を美味として珍重する傾向があることも様々な記録から読み取れる。例えば 西園寺公望 が鯛の目玉を賞味していたことは魯山人が指摘している通りである。鮒の頭にもこうした食通を引き付ける、美味なるものがあるのかもしれない。






参考資料


『南史』 李延寿

『廣博物志』 董斯張