賀屋澹園 河豚話かやたんえん ふぐばなし

  •  
  •  


 賀屋澹園の澹園は号である。名は敬。字(あざな)は子恭あるいは恭安。号は澹園、榧陰。その著作に『好生緒言』『続医断』があり、さらに日本で最初のフグに関する専門書が『河豚話』である。

 賀屋澹園は1779-1842年、江戸時代後期の医師であった。 安永8年11月3日生まれ。長門(山口県)の萩にあった藩校明倫館でまなび、京都で吉益南涯に師事。 後に萩藩主の侍医として江戸藩邸に勤務する。 天保11年に能美洞庵と共に藩の医学所(好生館)を創設する。 天保13年10月14日死去。64歳。

 賀屋澹園は医師であっただけでなく、博学であり過去の文献から河豚について、あるいは河豚毒について語っている。
 木下謙次郎は蘇東坡が河豚を嗜んでいたとして、賀屋澹園河豚話を引用している。 そこには、「東坡が詩に蔞蒿蘆芽を言う、是皆味の軽佳なるにもあるへけれ」とある。
 この箇所のページは賀屋澹園河豚話のここからご確認を。

 さて、賀屋澹園がここで引用したのは蘇軾(蘇東坡)の詩である。そのタイトルは「惠崇の春江曉景」で、以下その詩を記す。

【 惠崇春江曉景 】
 竹外桃花三兩枝,春江水暖鴨先知。
 蔞蒿滿地蘆芽短,正是河豚欲上時。

【 訳文 】
 竹藪の外では桃の花が二、三本咲き始め、
 春の川の水が暖かくなってきたことはカモが先ず知る。
 ヨモギは地を満たし、葦の芽は短く芽を出している、
 これは今まさにフグが川を上って来ようとするその時である。


 蘇東坡の詩に描かれている光景は春の風物詩である。豚のような鳴き声を発することからフグは「河豚」と名づけられている。沿海に生息しているフグは、春になると河を遡上して淡水に産卵を行う。この地方では、フグの遡上する姿をみると春を感じたに違ないだろう。
 賀屋澹園は蘇東坡の詩を引用したうえで、『本草綱目』から李時珍の説として「荻芽 蘆花 蔞蒿共ニ解毒ヲ言フヲ見レハ全ク是ヲ以テ毒ヲ消スル心得ナリ」と述べている。つまり荻の芽、蘆の花、ヨモギ等は、フグの毒を消す効果があるとしているのである。これらの植物は、単にフグと季節が同じというだけでなく、その食べあわせにおいても効果があると考えられていたようだ。

 また蘇東坡に関する河豚に関するエピソードを掘ってゆくと面白い話が『履齋示兒編‧卷十七雜記』に記されている。
 常州にいた頃、蘇東坡は河豚の宴席に招かれた。家人は屏風の後ろに隠れ、蘇東坡の様子を観察していたが、箸を置き溜息をついたので家人は失望したが、そうではなく蘇東坡は河豚を味わった後、溜息をついて「一死の値打ちがある(ほど美味しい)」と言ったのである。
 「命を引き換えにしてでも味わう価値があると」河豚を絶賛している。

 ところで河豚の白子は「西施の乳」と呼ばれている。ここで言う西施とは中国四大美人のひとりで、美人の名前を河豚の珍味につけたネーミングセンスは非常に秀逸である。ちなみに牡蠣のことは「太真の乳」という。太真と言うのは、これも中国四大美人のひとりである楊貴妃の別名である。

 他にも「西施の舌」と呼ばれている食材もあるが、これは蛤のことである。なぜならば、西施は越王の勾践夫人や呉の民からその美貌を恐れられ、生きたまま革袋に入れられ長江に沈められた死んだ。その後長江ではハマグリがよく獲れるようになりそこから呉の人々はハマグリのことを「西施の舌」と呼ぶようになったとされている。

 ちなみにではあるが中国四大美人とは以下の4人である。

  ① 西施(春秋時代)
  ⓶ 王昭君(漢)
  ③ 貂蝉(後漢)
  ⓸ 楊貴妃(唐)

 このように絶世の美人の名を借り、「西施の乳」や「太真の乳」と表現して、その食材の高い価値と美味を巧みに言い表している。
 ところで日本では四大よりも、どちらかというと常に三大として取り上げる傾向があり、世界三大美女を「楊貴妃」「小野小町」「クレオパトラ」としている。実は日本は奇数を陽数とするのに対し、中国では偶数を陽数、つまり嘉数であるとしている。よって中国四大●●美人の“4”という数も、ここからもたらされものであると考えられる。


河豚毒について


 賀屋澹園の『河豚談』には、フグの危険性と共に、その解毒方法についても諸説述べられている。小野蘭山は砂糖がフグの毒には効くといい、賀屋澹園は他にも解毒方法としてスルメが良いという説や、樟脳、そして金汁という薬についても述べている。金汁とは『本草綱目』にも製法が述べられているが、実はなんと人糞から作る薬である。

 確かに江戸時代にはフグの解毒方法については十分な知識がなく、昔からその当時に至るまで、まさに手探り状態であったに違いない。フグの毒は、テトロドトキシン (tetrodotoxin)という猛毒であるが、こうした毒の部分を如何に取り除いて食べるかという試みが昔から何度も行われてきたのである。猛毒のために命を落とす危険があるにも関わらず、フグが食べられてきたのは、それだけフグには抗いがたい味覚の魅力があるからに他ならない。
 賀屋澹園の『河豚談』には、河豚の毒の恐ろしさを説いて食用を戒めている。しかし現代ではフグ毒を回避するための方法が解明され、安全にフグの美味を楽しむことが出来る。これも美味いものを食べたいという人々の情熱のうえに築きあげられたものに違いない。

 本来は危険な部位であるとされているので、フグの肝は食べられないが、大分県には、フグの肝を食べる食文化があり、全国で唯一「ふぐ条例」がないので適正な処理を行うことでフグの肝も食べることが出来るようになっている。
 私の郷里は大分なので、ずっととフグの肝は必ず食べるものだと思いこんでいたが、東京に住むようになって始めて、フグの肝は大分でしか食べられないものであることを知った。こうした文化圏にいた為か、今でも、肝が無ければフグは食べる意味が無いと感じ、東京ではフグを食べたいとは思わない程である。フグの肝にはそれほど強い魅力があり、肝なしのフグ料理は、何か画竜点睛に欠けてしまっているように思われどうしても食指が動かないのである。よって日本国内でフグの肝を食べる事が可能な場所はとても貴重である。これも死というリスクと背中合わせで行われてきた先人たちの『美味求真』の偉大な成果であると思いたい。





参考文献


『河豚話』  賀屋澹園