百取の机代物ももとりのつくえしろのもの


百取の机代物ももとりのつくえしろのものとは?


 百取の机代物は、種々の飲食物などをのせた机のことである。
 モモは数が多いこと、トリは持つという意味、ツクエはツキキとエの約であるとされているので、多数の品物を意味しており、それが机に並べられている様が伺える。
 異伝には「百取飲食」とあるので、並べられているものは飲食物であることが想像できる。

 「百取の机代物」は婚礼に際して、女性の側から男性側に贈られるものであって、『古事記』には百取の机代物が贈られた事例を三か所で見ることができる。まずはその三か所の記述を取上げておきたい。


邇邇藝命ニニギノミコト

 邇邇藝命(ニニギノミコト)が、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)と結婚する際に、父親である大山津見神(オオヤマツミ)が「百取の机代物」を邇邇藝命に贈っている。

【 古事記 】
 爾詔「吾欲目合汝奈何。」答白「僕不得白、僕父大山津見神將白。」故乞遣其父大山津見神之時、大歡喜而、副其姉石長比賣、令持百取机代之物、奉出。故爾、其姉者、因甚凶醜、見畏而返送、唯留其弟木花之佐久夜毘賣、以一宿爲婚

【 訳文 】
 邇邇藝命は「あなたと目合い(交ぐわい=性的な意味で)たいと思うが、どうだろうか?」と問うと、 木花佐久夜毘売は「わたしの父の大山津見神(オオヤマヅミノカミ)がお答えしましょう」 と答えた。 そこで邇邇藝命は、大山津見神元へ使者を派遣してその旨を伝えると、大山津見神は喜び、木花佐久夜毘売に、姉の石長比売(イワナガヒメ)を一緒に、「百取の机代の物」を持たせて差し出した。


 天孫降臨したニニギが、コノハナサクヤヒメを娶る際に、父親のオオヤマヅミノカミが「百取の机代の物」を贈ったとある。この百取の机代の物は祝いの為の贈り物という意味合いであろう。


火遠理命ホオリノミコト

 火遠理命は、先の邇邇藝命(ニニギノミコト)と木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の子供であり、海彦山彦として知られる兄弟の、弟の山彦の方であり、この孫が神武天皇であり、そこから天皇の子孫が繋がってゆく。

【 古事記 】
 爾豐玉毘賣命、思奇、出見、乃見感、目合而、白其父曰「吾門有麗人。」爾海神、自出見、云「此人者、天津日高之御子、虛空津日高矣。」卽於內率入而、美智皮之疊敷八重、亦絁疊八重敷其上、坐其上而、具百取机代物、爲御饗、卽令婚其女豐玉毘賣。故、至三年、住其國。

【 訳文 】
 豊玉毘売命(トヨタマヒメ)は、不思議に思い、宮から出て、火遠理命(ホオリノミコト)を見ると、一目惚れした。そして父親に言うには「わたしたちの門に美しい男性が居ます」、そこで海神も宮から出て、その男を見ると「この人は、天津日高(アマツヒコ)の皇子の虚空津日高(ソラツヒコ)だ」と言い、すぐに宮殿内に招待して、美智(アシカ)の皮を八重に重ねて敷いて、その上にさらに八重に重ねて敷いて、その上にホオリ命を座らせた。さらに「百取の机代物」を載せ、ご馳走でもてなして娘の豊玉毘売命(トヨタマヒメノミコト)と結婚させた。それから三年もの間、火遠理命は海の国に住んだのである。


 火遠理命は海の国でもてなしを受け、豊玉毘売命を娶ったことで「百取の机代物」が贈られたとある。これも父親のワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)からの贈りものであった。


③ 雄略天皇

 大分時代が下がった第21代天皇の雄略天皇に関する故事でも「百取の机代物」が言及されている。

【 古事記 】
 亦一時、天皇遊行到於美和河之時、河邊有洗衣童女、其容姿甚麗。天皇問其童女「汝者誰子。」答白「己名謂引田部赤猪子。」爾令詔者「汝、不嫁夫。今將喚。」而、還坐於宮。故其赤猪子、仰待天皇之命、既經八十歲。於是、赤猪子以爲、望命之間已經多年、姿體痩萎、更無所恃、然、非顯待情不忍於悒。而令持百取之机代物、參出貢獻。 然天皇、既忘先所命之事、問其赤猪子曰「汝者誰老女。何由以參來。」爾赤猪子答白「其年其月、被天皇之命、仰待大命、至于今日經八十歲。今容姿既耆、更無所恃。然、顯白己志以參出耳。」於是、天皇大驚「吾既忘先事。然汝守志待命、徒過盛年、是甚愛悲。」心裏欲婚、憚其極老、不得成婚而賜御歌。

【 訳文 】
 ある時、雄略天皇は遊びに出かけ、美和河(ミワガワ)に到着したとき、川辺に衣を洗う童女が有った。その容姿はとても麗しく、天皇はその童女に「お前は誰の子だ?」 と問うた。 童女が答え「私の名前は引田部(ヒケタベ)の(大和国城上軍辟田=現在の奈良県桜井市初瀬付近)の赤猪子(アカイコ)といいます」
 それで詔を出し「お前は夫に嫁がないでいろ。今に宮中に呼び寄せるから」 と言い、天皇は宮に帰って行った。それでその赤猪子(アカイコ)は天皇の命令のままに待って80歳になりました。それで赤猪子は「命令を待ち望んでいる間に、わたしは多くの年を取ってしまった。姿形は痩せ萎びてしまい、もう嫁ぐところもない。しかし天皇を待つ気持ちを表さないでいるには耐えられない」と思い、「百取の机代物」を持たせて、参上して献上した。しかし天皇はそのことを忘れて赤猪子に問うた。「お前はどこの老女か? どうして参上して来た?」
 赤猪子は答えて「これこれの年のこれこれの月に天皇の命を受けて、宮中へと呼び寄せる命を待って今日に至り80歳になりました。今は容姿はすでに老いてもう嫁ぐところもありません。しかし私の志をお伝えしようと参上しました」
 天皇はとても驚き「私はもう以前のことは忘れてしまった。しかしお前が志を守り、命令を待って、盛りの年を過ぎたのはとても愛しく悲しいことだ」 。天皇は内心では結婚しようと思ったが、極めて老いており、結婚するのはできないと悲しんで歌を歌った。


 ここでは老女が、雄略天皇に百取の机代物を贈ったとある。
 このように上記三か所の記述はいずれも女性の側が、男性の側に百取の机代物を贈っているので、現代で言う処の結納品のような意味合いであることが分かる。


当時の結婚形式


 この当時の結婚観は、現代の我々の結婚観とは感覚において大きな乖離がある。例えば『万葉集』では結婚と書いてヨバヒと訓読みする。また仇麗という語もありこれもヨバヒと読む。当時の日本では男女交際は自由で気が向けば結ばれ、婚前交渉が一般的であったのだ。(後に「夜這い」という俗語もできたが、これは万葉集でいうところの意味とは少し異なる)

 さらに関係が進むと妻問い(ツマドイ)という、男性が女性のもとに通う関係となる。その際に求婚の意を示す贈り物(ツマドヒノタカラ)を男性は女性に贈るようになっていた。

 それに応じるかたちで、女性側は「百取机代物」を両親の承諾を得た上で男性側に贈っていたようである。これは持参財のような意味合いがあり、さらに結婚の証として饗宴なども開かれることで男女両方が婚姻関係を結ぶことになっていた。つまり『古事記』にあるように、あくまでも女性が男性に贈るものであったということが理解できるのである。
 ただ『古事記』では、百取机代物については書かれていても、残念ながらその品目がどのようなものだったのかは書かれていない。この内訳もわかると「食」においてはさらに興味深いものとなったに違いない。


庭積の机代物にわづみのつくえしろもの


 机代物とは、種々の飲食物などをのせた机のことであるが、百取の机代物と別に、庭積の机代物というものもある。ただこちらは天皇が即位して最初に行われる新嘗祭である「大嘗祭」で、臣民が捧げる食品のことを指し、百取の机代物とはその主旨を全く異にする。

 「大嘗祭」は天皇が行う最重要の神事であり、それにおいては多くの準備が事前から行われる。庭積机代物は、大嘗祭の際に日本各地の食産物が、臣民によって捧げられる儀礼である。
 基本的に大嘗祭は天皇が悠紀殿・主基殿の内部において祭祀を執り行うことになっているので、臣民が捧げる庭積の机代物は、悠紀殿・主基殿の外の庭に机が据えられ捧げられる。『御即位大嘗祭大礼通義』には「庭上に案を据えて之に積みてそなえらるる故かく名づけられたるなるべし」とあり、名前の由来が野外の庭に置かれることにあると述べている。

 庭積机代物は昔からあるものではなく、実は明治時代(明治4年)に行われた大嘗祭から始まった。そういう意味ではまだまだ新しい、後代になって創作された儀礼であると思われるかもしれない。
 しかしこの庭積机代物は、『延喜式』にある、大膳職(朝廷において臣下に対する饗膳を供する機関)が、奈良時代の大嘗祭でアワビ、イリコ、イカ、カツオ、鮭、昆布、橘、栗、干柿、梨、柚、餅などを献上したことを拡大解釈して始められているので、そうした意味では古儀に則ったものであるとも言えるだろう。

 百取の机代物と対比して、庭積の机代物を述べたが、いずれにしても机代物とは台にのせられて献上される食品であるとこには違いは無さそうでである。特にあらゆる神事においては、食品が机に載せられて捧げられることがあるので、そうした一形態であると捉えるべきであろう。





参考文献


『日本古代の婚礼について: 中国の「六礼」との比較』 劉佩宜

『大嘗祭の本儀』  折口信夫