佛書
佛書とは
佛書とは、仏教関係の本、仏典の全般を言う。『美味求心』のこの箇所は『大智度論』に記されている三十二相の「26」番目の特徴に該当している。
三十二相
『美味求心』には、「仏だけが備えている完全な身体的特徴のひとつに長広舌があり、食べるものは皆上味とある」と記されているが、これは仏である仏(ブッダ)の身体に備わっている特徴であり、32種類あるもののうちのひとつである。以下その三十二相のすべてを示しておく。
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上記については『大智度論』の巻第四(下)にその記述がある。このリンクからその箇所をご確認頂きたい。(ページの最下段に26番目の味覚に関する特徴が記されている)
特に26番目の
二十六者味中得上味相。有人言。佛以食著口中。是一切食皆作最上味。何以故。是一切食中有最上味因故。無是相人不能發其因故。不得最上味。復有人言。若菩薩舉食著口中。是時咽喉邊兩處。流注甘露和合諸味。是味清淨故。名味中得上味。
これを見ると、なぜ仏が最上に味わいを得られるのかの理由が解る。つまり美食を布施し受者を悩まるという因縁がないように、仏は「味中最上味相:何を食べても最上の味わい」を得ているのである。また「咽中津液得上味相」ともあり、この最上の味わいを得ている理由が、咽の
甘露とはつまりアムリタである。アムリタ(サンスクリット語: अमृत、amṛta)は、インド神話に登場する神秘的な飲料の名で、飲む者に不死を与える飲料である。またそれはソーマ(サンスクリット語: सोम、sóma)とも呼ばれ、ゾロアスター教の神酒ハオマとも同起源のものである。この故に、仏は最高の味わいを得ているのである。
基本的に美食とされるものは高価で、豪華である。しかし仏はそうしたものに捉われず、どのようなものを食べても最上の味わいを得られることで因縁から解放されている。味は主観的なものであり、それにより個人差による好きや嫌いがあると思うが、仏はそうした個人的な求める感覚からも解放されているのだと言っても良いだろう。
八十種好
三十二相に加えて、さらに仏の容姿を細かく描写した
耳輪埵:耳の外輪の部分が長く、肩まで届く程垂れ下がっている。
髪旋好:毛髪は好ましく渦巻いている。
髪色如青珠:毛髪の色はサファイアのような青色。
行相如鵞王:歩くときとは片足づつ交互に運び、鵞鳥のよう。
食あたりによる仏陀の死
ちなみに仏陀は、食あたりで腹を下して亡くなった(入滅した)のだが、その経緯に関しては「
弟子のチェンダが差し出し、仏陀の食べた「栴檀樹耳」は食当たりを誘発する程まで傷んでいたのかもしれない。しかし仏陀は「味中得上味相」というその特質によってそれを美味しく頂いてしまった可能性もある。よく「腐りかけが美味い」というような表現があるが、そうした味と融合して、最後の食事も、最上の味わいであったことは間違いように思われる。( トリュフ × 腐りかけ × 味中得上味相で最強の味わいが実現された可能性がある )
すべてを美味く食べることが出来るという仏の特徴が、意外なところで仇になってしまったという事なのか...。
もし仏陀が凡人であれば、臭いを嗅いだり味の変化を感じて、それを食べることは無かったのかもしれないのに...。
三十二相では嗅覚に関する仏の特徴は語られていない。八十種好でも残念ながら「鼻高不現孔」という特徴、つまり鼻が高く、孔が正面からは見えないというルックス的な長所しか語られていないのである。あえて言うと、この長所ならざる嗅覚の為、腐敗に気づけず、さらに何を食べても最高の味覚という長所ゆえに、チェンダの差し出した傷んだ「栴檀樹耳」を食べてしまったのかもしれない。
しかしながら、スジャータのミルク粥と並んで、チェンダが差し出した「
参考資料
「仏像の表象『白亳相』について」 清水眞澄