リーズィズ(Lees's)

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もうひとつの最古のフィッシュ & チップス店


リーズィズ(Lees's)は、マリンズ(Malin's)と並んで、イギリス最古のフィッシュ & チップスの店であると考えられている。マリンズがロンドンにあったのに対して、リーズィズはイングランド北部のランカシャー州モスリーにあった店で、人によってはこちらの方が最古のフィッシュ & チップス店であると考える人もある。

最古のフィッシュ & チップス店は何処なのか? この問題に関してはNFFFが最古のフィッシュ & チップス店認定をした1968年当時から大きな論争があった。調査がはじまった頃に、ロンドンのマリンズの祖であるジョセフ・マリン(Joseh MALIN)がフィッシュ & チップスを売り始めたという説と、イングランド北部のランカシャー州のモスリー(Mossley)という町でジョン・リーズ(John LEES)が売り始めたとする意見があり、最後の最後までまでどちらが最古のフィッシュ & チップス店だったのか大いに議論が紛糾したようである。

結果的にはロンドンのマリンズが最古であると認定され、NFFFは銘板を授与したのだが、マリンズがその4年後に閉店し消失してしまったのである。この辺りの詳しい経緯についてお知りになりたい方は、せひ マリンズ(Malin's)の項を参照して頂きたい。


リーズ家の歴史


フィッシュ & チップスの歴史を解明するにあたり、その販売を始めたジョン・リーズ(John LEES)とその家族の歴史も理解することで、いつ、どのようにフィッシュ & チップスを売り始めたのかを確認する必要があると考え、残された国勢調査記録などからリーズ家の家系図を作成したので以下に掲載しておく。

Malin Family tree

クリックでPDF拡大図が確認できます。


リーズ家といっても地方の小さな町に住む市井の人物たちであり、歴史に登場する人物たちと比べるとはるかに少ない情報量しかない。しかし文献的な証拠から最古のフィッシュ & チップス店であるかを解明するため、こうしたアプローチも必要ではないかと考え家系図を作成することにした。特に主要な人物をピンク色でマークしてあるので、これから行う説明の参考にして頂きたい。

まず注目すべきなのは、ジョン・リーズ(John LEES)という人物である。


 John Lees(1833- )


1863年にジョン・リーズ(1833- )はモスリー(Mossley)のマーケットにある木製の小屋でフィッシュ & チップスの販売を始めたと考えられている。しかし実際にこのような早期から本当にフィッシュアンドチップスを販売していたのだろうか。まずはそれを裏付ける記録を探し出し検証を試みることから始めたい。

John Lees, Fish & Chips

John Leesの自署



「1840年代」のジョン・リーズ


ジョン・リーズについての最初の記録は『1841 England Census:国勢調査』に存在している。当時のジョン・リーズはまだ8歳であるが、父のジョン・リーズ(名前が同じでややこしい)が亡くなり、母親のAliceが、George Wadsworthという男性と1840年に再婚した為にステップ・ファミリーのメンバーとして記録されている。母は再婚したので名字がWadsworthになっているが、連れ子のジョンの名字はリーズ姓のままである。

ジョン・リーズの地元はヨークシャー州のサドルワース(Saddleworth)であり、若い時代はこの地で暮らしていた。サドルワースはヨークシャー州ではあるが、後にジョン・リーズがフィッシュ & チップスの店を始める、ランカシャー州モスリーと境界を接する地であるので、地理的にはほとんど同じエリアと言っても良いかもしれない。ジョン・リーズは双方の地を往復して何度か引っ越しを何度か行っており、その生涯を送った中心的なエリアであったということになる。


「1850年代」のジョン・リーズ


ジョン・リーズの次の記録は『1851 England Census:国勢調査』であり、当時はまだ18歳だったジョン・リーズは実家と同居していたことが記録されている。注目すべきはジョン・リーズの当時の職業が「糸巻:Cotton Reeler」と記録されていることである。この地元はランカシャーに近く、他にも紡績産業に従事する者がこのエリアには多数おり、ジョン・リーズもまたこうした産業に従事する一人だったということなのだろう。


「1860年代」のジョン・リーズ


次の記録は『1861 England Census:国勢調査』である。29歳になったジョン・リーズは結婚をして世帯を持ち一子をもうけている。職業は「毛織物工:Woolen Spinner」とある。 こうした記録から読めば、1860年にロンドンでジョセフ・マリンがフィッシュ & チップスを売り始めたとされる時期、ジョン・リーズはまだイングランド北部で紡績業に従事する労働者だったということになり、やはりロンドンの マリンズ(Malin's)にはフィッシュ & チップス販売において遅れを取っていたということになる。

ジョン・リーズは、この調査から2年後の1863年にフィッシュ & チップスを売り始めたことになっているが、実際のところはどうだったのかを、続く文書記録から確認することにしておきたい。


「1870年代」のジョン・リーズ


続いてジョン・リーズの動向を確認できる文書記録は、1871年まで年代が下がることになり、先の文書記録からは十年間のブランクがある。

その記録は、『1871 England Census:国勢調査』であり、39歳のジョン・リーズの職業が「毛織物工:W Spinner」と記され、住まいはヨークシャー州のサドルワース(Saddleworth)となっている。1863年から既に8年が経過しているが、つまりはこの時点でまだジョン・リーズは、モスリーでフィッシュ & チップス店を営んでいなかったということになる。しかしこの記録をもって、ジョン・リーズが最初にフィッシュ & チップスは売り始めたのではないと即座に否定はできない。なぜならジョン・リーズが販売していたモスリーのマーケットは固定の店舗ではなく、週末などに開かれる野外マーケットのようなものだとも推測できるからである。

John Lees, Fish & Chips

モスリーのマーケット:1910年発行地図


上図は1910年発行の地図である。モスリー市街の道の集まる場所が広場になっていて、そこがマーケットの場所になっていたことが分かる。この場所は現在「Mossley Market Place」と呼ばれる広場で、ここに設置されているブループラークによると1800年初めからコミュニティライフの中心地であったことが記されている。つまりこの広場は固定の店舗が常に営業していたとう訳ではなく、週末やイベント時に人々が集まるようなタイプの野外市場だったということである。

John Lees, Fish & Chips

「Mossley Market Place」ブループラーク


ここからジョン・リーズは、通常は織物工として仕事しながら、週末に副業としてフィッシュ & チップスを売り始めたのではないかということが考えられる。後年に実店舗でフィッシュ & チップス店を営業するようになっているが、そうした過渡期の経験があったからこそ、やがて本格的にフィッシュ & チップスの販売を始めるようになったとも言えるだろう。


「1880年代」のジョン・リーズ


『1881 England Census:国勢調査』には、49歳のジョン・リーズの職業は綿織物工:Cotton Spinner」とあり、登録された住所はヨークシャー州のサドルワース(Saddleworth)である。ここでもまだフィッシュ & チップス店を始めていない。『1885 Kelly's Directory』を確認したが、モスリーにジョン・リーズの名前はなく、1885年の段階ではまだモスリーに住んでいなかったということになる。


「1890年代」のジョン・リーズ


1891年の記録になって始めてモスリーに移住したことが分かる。『1891 England Census:国勢調査』では、58歳だったジョン・リーズの職業は「喫茶店(軽食店)経営:Refreshment Room keeper」とあり、住所は 10 Waterton Lane, Mossley となっている。つまりここでようやくフィッシュ & チップスを売っていたのではないかと推測される範囲内の職業が記録に登場したということになる。

さらにこの記録で注目すべきは、9歳の四男のチャニング・リーズ(Channing Lees)の存在である。この人物もまた、後に父親の仕事と同じくフィッシュ & チップス店を経営することになるからである。

この記録の翌年に出版された、『1892 Kelly's Directory』には職業別の項目があり、Fried Fish Dealerのリストのなかにジョン・リーズの名前と Stamford St という住所の記載が記載されている。ここには番地は記されていないが、その場所はその後に記載されるようになる41番地だったことは間違いない。
Fried Fish Dealerとして挙げられているこの記録をもって、文献的な証拠から確実にジョン・リーズが現在のフィッシュ & チップスを販売していた確実な証拠とすることが出来る。しかし1892年のこのリストが示すように、既に62軒のフライドフィッシュの店がランカシャーだけでも存在しており、これだけだとジョン・リーズが特に新しくフィッシュ & チップスを販売したという証拠にはなっていない。

41 Stamford St, Mossley はフィッシュ & チップス史を語る上では重要な店の場所である。なぜならば後にこの店のウィンドウには「OLDEST ESTD. IN THE WOURLD」が掲げられ、世界で最も古い店であることを自ら主張した場所だからである。
こうしたことから、この店こそが最古のフィッシュ & チップス店であるとする意見があるのだが、この 41 Stamford St の店をもって、最古のフィッシュ & チップス店と断定するのは間違いである。なぜならこの店の歴史は、記録が示すようにどんなに古くても1892年ぐらいまでしか遡れないからである。しかもそれまでのジョン・リーズの職歴は機織工となっており、この記録よりも約30年前の、1863年にジョン・リーズが最初にフィッシュ & チップスを販売し始めたという意見を証明するのは非常に難しいように思える。

いずれにせよ、この 41 Stamford St, Mossley の店は長く続いたようで、ジョン・リーズの後には、四男のチャニング・リーズがその後を継ぐようにしてフィッシュ & チップス店を営業するようになる。つまり親子二代がフィッシュ & チップスを数十年にわたって販売し続けたのが、正にこの店だったのである。


「1900年代」のジョン・リーズ


『1901 England Census:国勢調査』の記録には、当時69歳になっていたジョン・リーズが 84 Stamford Rd, Mossley に住んでいたことが記載されている。この場所は、先の Stamford St とは異なる住所で、町の北側に位置する場所になる。 なぜかジョン・リーズは家族から離れてひとりだけこの住所に間借人(lodger)として登録されている。ジョン・リーズの妻マーサは少し離れた四男のチャリングの家族と同居しており、主人のジョン・リーズとは同じモスリー内で生活しながら別居して生活していたようである。理由は分からないが、何らかの複雑な夫婦関係がこの記録から垣間見ることが出来そうである。

数年後の1905年に出版された、『1905 Kelly's Directory』の中の「Fried Fish Dealer」の項目には、ジョン・リーズが 83 Stamford Rd で営業していたことが記載されている。1901年の記録では住まいが 84 Stamford Rd とあったので、店の場所は道路を隔てた向かいだったということになるのだろう。


 Channing Lees(1871-1952)


引き続き『1905 Kelly's Directory』に注目すると、この時に息子のチャニング・リーズ(Channing Lees)が、 41 Stamford St でフライドフィッシュの店を営業していたことが記載されている。1892年頃にこの地でジョン・リーズが始めた店は、1901年~1902年頃に息子のチャニング・リーズに引き継がれたと考えられる。

1902年に撮られた写真を見てみると、この頃の 41 Stamford St にあった店の雰囲気を知ることが出来る。店名は「Lees's」となっており、その下に「Chip Potato Restaurant」と書かれている。チップポテトのレストランとあるが、既に『Kelly's Directory』(住所録)に1892年からFried Fish Dealerの項目に掲載されているので、フィッシュ & チップスの店であることには間違いない。

Fish & Chips

1902年のLees's Chiped Poteto Restaurantと現在


また店には「OLDEST ESTD. IN THE WORLD」とも書かれていて、世界で最初のフィッシュ & チップスの店であると自認している。現在、リーズの店は無くなってしまい、その跡地で「Man's Wok」というオリエンタル料理の店が営業をしている。上記の写真は当時の写真と、現代の写真を並べたものだが、建物の雰囲気は変わらず昔のままなので、当時の面影を十分に感じることが出来るだろう。

さてここに写っている三人は誰なのかという疑問が生じることになる。これをあたかもジョン・リーズであるかのように紹介している記事を見かけることがあるが、1902年にジョン・リーズは別の場所に店を開いていることや、この当時の年齢は既に70歳になっていることを考えると、写真に写っているのはジョン・リーズではなく、息子のチャニング・リーズであると考えるべきであるように思える。左隣の子供はチャニング・リーズの長男で当時4歳になっていたFrank Lees(1898–1971)ではないだろうか。これに対して右隣の男性を誰かを推測するのは難しい。しかし『1901 England Census:国勢調査』では、チャニング・リーズの世帯の中に、14歳で甥のチャニング・リーズ(同じ名前で紛らわしい)が含まれている。よって1902年に店の前で撮られたこの写真に写っているのは、当時15歳だったチャニング・リーズだったと思われる。

Fish & Chips

チャニング・リーズ(Channing Lees)自書


1902年に 41 Stamford St にある店の前で撮られた写真には、このような背景があり、既にこの頃はジョン・リーズではなく、息子のチャニング・リーズが店主であったとうことを証明するものとなっているのである。


「1910年代」のジョンとチャニング・リーズ


『1911 England Census:国勢調査』のジョン・リーズの職業欄には「引退した紡績工」と記載されている。この時にジョン・リーズは79歳になっており、仕事を辞め一人でリタイア生活を送っている。住所は 86 Stamford Rd とあるので、1901年調査の時の隣に引っ越して住んでいたことになる。残念なことにこの翌年の1912年10月2日にジョン・リーズは79歳あるいは80歳で亡くなっており、モスリー墓地にあるジョン・リーズの墓からこの死亡年月日が分かるようになっている。

同年の息子チャニング・リーズについては、『1911 England Census:国勢調査』では、1 Mountain Street, Mossley に住所が登録されている。しかしチャニング・リーズは後年まで 41 Stamford St で店を開いており、ここから自宅と店舗は分けていたということが分かる。自宅はMarket Placeという広場を挟んだ向かいにあり、店との距離も都合の良いものだったと言えるだろう。
チャニングの職業欄はチップポテト店(Chiped Potato Shop)とあり、父親のジョン・リーズから受け継いだ店でフィッシュ & チップスを販売し続けたということになる。


その後の記録


ジョン・リーズは亡くなってしまったが、その後も息子のチャニング・リーズがフィッシュ & チップス店を続けていたことが、『1924 Kelly's Directory』から分かる。この記録にはそれまで靴製造を営んでいた、兄のSquire Lees(1862–1930)が始めたフィッシュ & チップス店の住所 32 Manchester Rd も記載されている。

このようにモスリーでは、リーズ一族がフィッシュ&チップスを先駆けて販売し、店を展開していった。こうした店の歴史的な背景があったことから、ジョン・リーズがフィッシュ&チップスの販売を昔から始めていたと考えられるようになっていったのではないだろうか。しかし残された文献的な記録を調べるならば、それが本当に1863年からだったかについては大きな疑問が残ることになる。

ランカシャー・モスリーのリーズの店(Lees's)と、ロンドン・イーストエンドの マリンズ(Malin's)のどちらが先に販売を始めたのかについては、こうした文献記録をたどっても正確な開始年数を断言することは難しいというのが現実である。それでも共にフィッシュ&チップスの草創期に販売を始めたというところだけは間違いないように思えるのである。


イングランド北部のチップスの拡大


1863年にジョン・リーズがモスリーのマーケットでフィッシュ&チップスを売り始めたとされる頃、モスリーから車で15分ほど離れたオールダム(Oldham)では既にチップの販売が始められていた。オールダムにある、トミーズフィールド・マーケット(Tommyfield Market)がチップス発祥の地であるとされており、ここでチップスの存在を知ったジョン・リーズが、フィッシュフライとチップスを合わせて販売を思いついたという説もある。

しかし『Frying Tonight: The Saga Of Fish And Chips』を著したジェラルド・プリーストランドによると、リーズの店は当時はまだチップスの販売のみで、フィッシュフライは販売していなかったとして、フィッシュ & チップを売り始めたのはもう少し年代が下がるという見方をしている。一通りの文献調査をしてみた私の感想も正に同じで、ジョン・リーズが1860年代からフライドフィッシュを売っていたかについては懐疑的な見方をしている。

加えてリーズの店の店名は「Lees's Chiped Poteto Restaurant」であるので、やはりフィッシュフライとの関係が希薄であることは否めない。これはロンドンの店のほとんどが、初期は「Fish Fry Shop」と名乗っていたことと非常に対照的である。
フィッシュ & チップの発展の歴史を見てゆくと、ロンドンではフィッシュフライが先行しており、後からチップスが組み合わされていったのに対して、イングランド北部のランカシャーではチップスが先行しており、後からフィッシュフライ組み合わされていったことが理解できる。このようなロンドンとランカシャーでのフィッシュ&チップへの発展を考察するにおいて、当時のランカシャーの各都市がどのような性格を有していたのかも知っておく必要があるだろう。

まずは産業革命という時代が、フィッシュ & チップがランカシャーで発展したことに大きく関係している。なぜならば産業革命による多くの産業の工業化によって、多くの労働者たちが北部で紡績業に携わるようになっていたからである。特にランカシャーの中核都市であるマンチェスターは綿織物の生産地として、急速に発展を遂げた場所であった。このグレーター・マンチェスター(中心部)を取り囲むようにして、ボルトン、プレストン、ストックポート、オールハムなどの各都市も、綿織物産業に関係した労働者が住むようになっていた。実際に当時のランカシャーの住所録にある職業欄を見てゆくと、綿織物に関係した仕事に従事している人々が実に多いことに気付かされる。

こうした労働者の「食」として、フィッシュ & チップスが人気を得て、この地に根付いていったと考えるのは理にかなっったことだと言えるだろう。1992年に出版された、ジョン・K・ウォルトン(John K. Walton)の『Fish and Chips, and the British Working Class, 1870-1940』では、イングランド北部においてフィッシュ & チップスがどのように始められ、広がって行ったのかが詳しく説明されている。

John Lees, Fish & Chips

Fish and Chips, and the British Working Class, 1870-1940


この本のなかでジョン・K・ウォルトンは、フライド・フィッシュはユダヤ人由来の料理としてロンドンで先行していたのに対して、イングランド北部のランカシャーではチップス(揚げたジャガイモ)が先行していたとして、チップスを売る販売業者が、どのタイミングでフライド・フィッシュの販売も始めたのかが、フィッシュ & チップスの始まりを考える上では重要なポイントであることを指摘している。

リーズの店も、その正式名が「Lees's Chiped Poteto Restaurant」であり、やはりイングランド北部特有のジャガイモを中心とした店であったことが明らかである。「リーズの店」は看板に「OLDEST ESTD. IN THE WOURLD」を掲げ、最古の店であることを売りにしている。だがもしそうであるとするのならば、1860年にフィッシュ & チップスの販売を始めたロンドンのマリンズの主張とは相対することになる。なぜならばマリンズがリーズの店よりも3年も前に、フィッシュフライにチップスを付けて販売していたということになってしまうからである。

そこで最古のフィッシュ & チップスを考えるにおいては、ジョン・K・ウォルトの指摘の通り、リーズの店がどのタイミングでフライド・フィッシュも販売していたのかという事がどうしても最重要ポイントとなる。しかしながらそれを裏付ける文献的な証拠はなく、マリンズのように店が世代を超えて継承されなかったためか、口承による情報も少なく、リーズの店が最古の店であるとはっきり断定することは難しいように思える。こうした観点から考えるとロンドンのマリンズも、ランカシャーのリーズの店も、どちらが古いのかを断定することは難しい。現在はNFFFも、フィッシュ & チップスの始まりについて言及する際には、マリンズとリーズの店の両方について触れるようにしているようなので、やはりその始まりを断定することは難しいというのが答えということになるのだろう。


移民、貧困と織物産業


今回の マリンズ(Malin's)とリーズィズ(Lees')のうちどちらが最古であるのかを考察するにおいて、わたしはフィッシュ & チップスの始まりには「貧困と織物産業」という大きな二つの要素が関係していたことに改めて気付かされることになった。

ロンドンの貧困層の多くには、移民としてイギリスに入ってきたユダヤ人が含まれており、ユダヤ人たちは特定の地域(ゲットー)に居住して治安の悪い貧民街を形成していた。そうしたエリアはロンドンのイーストエンドに集中し、その地域は正にフィッシュ & チップスが生まれたエリアになっていったのである。なぜならフィッシュフライはそもそもユダヤ人の料理、ペスカド・フリートに由来し、セファルディ系ユダヤ人たちによってイベリア半島(スペイン・ポルトガル)からイギリスにもたらされた料理だったからである。

ランカシャーでも同様で、チップスの誕生もジャガイモ飢饉のために、アイルランド人がイングランド北部に流入したことや、そうした人々が産業革命によって拡大した産業労働者として働くようになったことからイギリスに定着するようになっていった。かつては貧困層にあった人々が、工場労働者として雇用されることで安定的な賃金を得られるようになったこともフィッシュ & チップスの拡大に大きく関係していたと言えるだろう。これもまたいわゆるワーキングクラス(労働者階級)の人々の間でフィッシュ & チップスが消費されたことの理由となっている。

さらにロンドンにおいても、ランカシャーにおいても織物産業の担い手の層と考えられる人々が、フィッシュ & チップス店営業の担い手になっていったというところも興味深い共通点である。産業革命以前のロンドンでは、もともとこうした手間を要すにも関わらず、実質収入の少ない仕事に従事していたのは移民などの貧困層の人々であった。イーストエンドのマリン家も「敷物織工:Rug Weaver」に従事した人々であり、その後、フィッシュ & チップス店の経営に商売替えしたのもそうした理由があったからかもしれない。マリン家の記録を調査するにあたり、同じエリアに住んでいる人々の家族構成や職業も見ることになったが、やはり「織工:Weaver」が多く含まれていたことは印象的であった。ひと頃はこのような織工の人々の居住地と、ユダヤ人居住地、さらには貧困層の人々の居住地はある程度重なっていたのではないかと考えられる。

産業革命によってランカシャーは織物産業の世界的な一大拠点となる。特に工業化を進めることで綿織物では世界トップの生産量を誇っていた時代もあった。このような工業的な綿織物産業の担い手として、飢饉によってアイルランドから移民として定住していった人々が従事するようになったということも「貧困と織物産業」という観点から見ると象徴的であるように思える。こうしたワーキングクラスの人々の需要に支えられてイングランド北部ではフィッシュ & チップスが広がっていったというのは大変に興味深い事実なのである。

イングランド北部でフィッシュ & チップスの販売を始めたとされるジョン・リーズも人口調査記録などを見ると元々は紡績産業に従事する職工であったことが分かる。彼が店を持ったのは、ランカシャーのモスリーという町であるが、このモスリーはランカシャー州、ヨークシャー州、チェシャ―州に接する州境の街である。ランカシャーの綿産業が中心であったのに対して、ヨークシャー州は毛織物産業の地である。ジョン・リーズは綿織物、毛織物と両方の織工として仕事を行っている記録があり、またその家族やそれ以外のモスリーに住む人々の記録を見てゆくと、ほとんどの家族を構成する誰かが、こうした繊維・織物産業に従事していたことが分かる。

イングランド北部では、産業革命によって夫婦あるいは家族成員が総出で紡績産業に従事するようになったことも、家事の軽減のためのフィッシュ & チップス店利用を後押ししたのではないかと考えられる。産業革命は主婦にも女性にも労働の機会を広げることになるが、労働者として従事するようになった女性にとっては、持ち帰りのフィッシュ & チップスは、家族に料理を提供するために便利な手段となったことだろう。こうした産業的な背景も、イングランド北部においてフィッシュ & チップスの販売が最初に始められたとする見解や、また実際にその地域において急速に広がっていったことの理由として考えられるのである。

こうした背景を考えてみると、ロンドンにおいても、またランカシャーにおいても、その成り立ちは多少は異なれど、フィッシュ & チップスという料理はやはり庶民の生活と共に発展してきた「食」であるということが理解できる。第二次世界大戦の最中の困難な時期に、時の首相だったウィンストン・チャーチルはフィッシュ & チップスの事を「よき友:Good Companion」と呼んだが、これは正にフィッシュ & チップスという料理の歴史が、困難、貧困、飢餓と共にあり、そうした逆境をくぐり抜けてイギリスに根付いていった料理だったからに他ならない。

フィッシュ & チップスはこうした困難な時代を乗り越える下支えとなったことで、イギリス社会に根付き、愛される親しみ深い料理になっていったものと考えられる。そしてそれは、やがてイギリス人のアイデンティティを表す料理にへと成長したのである。そういう意味で、フィッシュ & チップスにはイギリス的なものを感じるイギリス人は多いのではないかと思う。それと同時にイギリスを語る時にフィッシュ & チップスも引き合いに出されることがあるのは、こうした背景の故なのだろう。こうしてフィッシュ & チップスはイギリスのナショナルフード(National Food)となっていったのである。







参考資料


『フィッシュ・アンド・チップスの歴史-英国の食と移民』 パニコス・パナイー 著 栢木清吾 訳

『Fish and Chips: A History 』 Panikos Panayi

『Frying Tonight: The Saga Of Fish And Chips』 Priestland, Gerald

『Fish and Chips, and the British Working Class, 1870-1940』 John K. Walton