ペトロニウス
ペトロニウスについて
ペトロニウス(Petronius)は西暦20年頃 ~ 66年のローマ帝国ユリウス・クラウディウス朝期の政治家、かつ文筆家であった。皇帝ネロの側近でもあり、小説『サテュリコン』(Satyricon)の作者と考えられている。
ペトロニウス(Petronius)
ペトロニウスは、タキトゥスによって「優雅の判定者」と呼ばれたように、快楽的で贅沢な暮らしを送る上流階級に属しており、かつ執行官を務めていた人物である。
また皇帝ネロにとってペトロニウスは、流行の助言者であり、かつ遊び仲間でもあった。
小説『サテュリコン』は、もともとネロを楽しませるために書かれたともされており、有名な「トルマルキオの饗宴」の場面は、ペトロニウスがネロと過ごした経験や、裕福で快楽的な生活の実体験から描き出されたものであると考えられている。
ペトロニウスとネロが近い関係にあったことを示すエピソードがある。皇帝ネロは妻のポッパエア・サビナを亡くした後、彼女をなかなか忘られないでいた。こうした気落ちした状態にあったネロの為に、ペトロニウスはスポルスという美少年送り込む。ネロはポッパエア・サビナに似ていたスポルスを大変気に入り、去勢させ妻に迎え歴代の皇后の装身具で着飾らせ、結婚式まで挙げるという入れ込みようであった。このようにペトロニウスはネロの友人として非常に近い場所におり、重要な地位を占めるようになってゆく。
一時期はペトロニウスはネロと親密であった。しかしライバルであったガイウス・オフォニウス・ティゲッリヌスが、ペトロニウスは陰謀に加担した人物と繋がっていると讒言を行う。そのためネロからペトロニウスは最終的には死を命じられる事になってしまうのである。
ペトロニウスの死に関してはタキトゥスが『年代記』Annales 16巻で以下のような説明を加えている。
Tacitus : Annals Vol.16
Yet he did not fling away life with precipitate haste, but having made an incision in his veins and then, according to his humour, bound them up, he again opened them, while he conversed with his friends, not in a serious strain or on topics that might win for him the glory of courage. And he listened to them as they repeated, not thoughts on the immortality of the soul or on the theories of philosophers, but light poetry and playful verses. To some of his slaves he gave liberal presents, a flogging to others. He dined, indulged himself in sleep, that death, though forced on him, might have a natural appearance. Even in his will he did not, as did many in their last moments, flatter Nero or Tigellinus or any other of the men in power. On the contrary, he described fully the prince's shameful excesses, with the names of his male and female companions and their novelties in debauchery, and sent the account under seal to Nero. Then he broke his signet-ring, that it might not be subsequently available for imperiling others.
タキトゥスの記録によると、ペトロニウスは静脈を切り、少しづつ出血させながら、友人たちと会話をし、夕食をとって自ら死に向かい、眠るように死んで行った。またネロと性的関係をもった男性・女性の名前を記録させ印章指輪で封印した後、他の者に害が及ばないように、自分の印章指輪を破壊している。
こうしたネロに関するスキャンダラスな情報をペトロニウスが知っていたという事は、逆に考えれば、ネロと非常に近しい関係にあったという証拠でもあるだろう。これも小説『サテュリコン』(Satyricon)の作者がペトロニウスであることの根拠のひとつであると言えるのかもしれない。
またネロは、宝石好きで、特に螢石(fluorite)には目が無かったらしく、気に入ったものはどんな強引な手段を使っても手に入れていた。タキトゥスは述べていないが、プリニウスは『博物誌』で、ペトロニウスがネロに対する敵意から、自分の所有物を相続することがないように、30万セステルティウスもかけて買った螢石の柄の長い柄杓(trulla)を破壊したことを記録している。
プリニウスの『博物誌』37巻VII.にその記載がある。
When the exconsul Titus Petronius was facing death, he broke, to spite Nero, a myrrhine dipper that had cost him 300,000 sesterces, thereby depriving the Emperor's dining-room table of this legacy. Nero, however, as was proper for an emperor, outdid everyone by paying 1,000,000 sesterces for a single bowl. That one who was acclaimed as a victorious general and as Father of his Country should have paid so much in order to drink is a detail that we must formally record.
小説『サテュリコン』
『サテュリコン』はペトロニウスによって書かれたとされている、退廃期のローマを舞台にした小説である。しかし多くの部分が失われ、14、15、16巻の3巻しか現存しておらず、しかもそれらは完全な形では残っていない。比較的分量の残っていると言われている「トルマルキオの饗宴」の場面が有名であり、フェデリコ・フェリーニによって「サテリコン」という邦題で1969年に映画化されている。ここで描かれる宴会の料理のシーンは圧巻である。
サテュリコン:フェリーニ
好色で遊び好きな男性三人組が、同性愛や饗宴、大胆ないたずらを繰り返しながら放浪するという内容で、退廃期のローマを象徴する作品となっている。
余談だがある人のブログを読んでいると、ペトロニウスの『サテュリコン』は悪者小説の一種であり、その系譜としてマルキ・ド・サドの『ソドム百二十日』、アポリネールの『一万一千本の鞭』にへと繋がると述べてあった。しかしここに至る同じ系譜に属する作品として、私は、フランソワ・ラブレーの『ガルガンチュワとパンタグリュエル』も含めるべきだと考えているが、その事はまた別の機会に譲ることにしたい。
小説『サテュリコン』で描かれる饗宴
『サテュリコン』は登場人物である若い修辞学生・エンコルピウスを語り手として話が進行する。
以降『サテュリコン』の中の「トルマルキオの饗宴」の食事部分を引用する。トルマルキオとはこの宴会の主催者であり、かつては奴隷であったが解放され、一代で莫大な財産をなした悪趣味な成金として描かれている人物である。
ここにある饗宴の記述を理解することで、その当時のローマの食事がどのようなものであったのかを深く理解出来るだろう。
以下の饗宴に関する引用は、一回の宴会で次々に供されれる膨大な料理の描写である。手の込んだ料理がこれでもかという程までに出てくるので、読んでいるだけで膨満感が溢れてくるのを禁じ得ない。
【 第一幕 前菜 味見 】
人々が席についたので非常に見事なオルドーヴル前菜が運ばれてきた。さて前菜盆の上には小さなコリントス産の黄銅の小さな驢馬が二つの籠をつけていて、その片方には白の、他方には黒いオリーヴの実が入っていた。また驢馬は二枚の銀皿がかぶせてあって、その皿の縁にはトリマルキオの名と銀の重量とが彫りつけてあった。それから蜂蜜とけし罌粟の実を入れて蒸したグリス〔リスに似た美味な動物〕が皿に結合した小さな橋を支えていた。また銀の焜炉の上に湯気の立っているソーセージがあり、焜炉の下には炭火に擬してシリア産のすももとざくろの実とが入れてあった。
【 第一幕 前菜 卵の前菜 】
ぼくらがまだオルドーヴル前菜にかかっているうちに、柳の籠をのせた盆が運ばれてきた。そのなかには木製の雌鶏がまるで卵をかえしているかのようにまるく羽根を拡げていた。二人の奴隷がすぐつづいて現われると、いちだんと高まる音楽の響きにつれてわらくずのなかをさがし始めた。するとたちまち孔雀の卵〔その肉は卵とともに美味なため高価であった〕が転び出てきて一同の客に手渡された。トリマルキオはこの光景に視線を転じていった。「友人たちよ、孔雀の卵が鶏の下に置かれてあったのは私の命令によるものです。けれどもやれやれ、どうかまだかえっていなければよいがな。まだ吸えるかどうかためしてみてください」 そこでぼくらは重さが少なくとも半リーブラもあるスプーンをとって卵を割ってみた。それは捏子で出来ているものであった。それをぼくはひな雛がすでにかえっているのだと思ったものだから、危うく自分の分を棄ててしまうところであった。
しかし「なにかこのなかにうまいものが入っているにちがいない!」と経験を積んだ客がいうのをもれきいたので、ぼくはさらに殼のなかを指先でさがしてみると胡椒で味をつけた卵黄にとりまかれている肥えたフィケドラ鳥〔小さな渡り鳥の一種で丸ごと食べられ非常に美味であった〕を発見したのである。
【 第二幕 メインコース 主菜①黄道十二宮尽くし 】
ぼくらの称讃はつぎの盆が運ばれてきたので一様にさえぎられた。それは期待していたような大きさではなかったけれども、その珍奇な形がぼくらの目をいっせいに惹いた。黄道十二宮をかたどった丸い皿がぐるりと並べられて、それぞれの星座に適応する料理が料理頭の手によって盛られていた。すなわち、白羊宮の上にはエンドウ豆で作った牡羊の
頭、金牛宮には一片の牛肉、双子宮には油で揚げた睾丸と腎臓、巨蟹宮には王冠〔トリマルキオはこの星座の下で誕生したから〕、獅子宮にはアフリカのいちじく〔獅子もいちじくもともにアフリカで得られる〕、処女宮にはまだ子を生まぬ牝豚の子宮、天秤宮には片方はパン菓子を、他方には菓子をのせた天秤、天蝎宮には海のいせえび、射手宮には野うさぎ、磨羯宮には山羊の角、宝瓶宮には鵞鳥、双魚宮には二尾の鯔がのせられ、さらに中央には緑の草をつけた芝生の上に蜂蜜の巣が置かれてあった。一人のエジプト生まれの奴隷が吐き気をもよおさせるような声でぶどう酒とラセルピキウム〔北アフリカ沿岸に産する高価な珍味の植物〕を讃美する一曲をきしらせなから、パンを銀のパン焼き器にのせて持って廻った。こんなとても食べられないような料理には手がつけられないので興ざめしているぼくらをみると、「どうぞ召し上がってください」とトリマルキオはいった。「これは食事の調味料でもあり、慣例でもあるのです」かれがそういうかいわぬうちに四人の奴隷が音楽に合わせて駆けよると、盆の上部を取り除いた。するとその下には実際またもう一つの皿があって、肥えた雄鶏と牝豚の乳房とさらに中央にはペガススに見える翼を生やした野うさぎが現われた。盆の隅にある四つのマルシュアス〔サテュルスの一つと考えられ繁殖の神として売笑婦などのしばしば行く広場にその像は立てられていた〕の像もまた目をひいた。かれらはまるで溝のなかで泳いででもいるかのような恰好の魚の上におちんちんから胡椒入りのソースを小便していた。ぼくらはみな、奴隷たちによって始められた拍手に加わって、笑いくずれながらこれらの珍味にとりかかった。トリマルキオもまたこの道化た思いつきにぼくらと同じように喜んで、「切れ」といった。するとただちに肉切り人が進み出て、音楽につれ水オルガン〔アレクサンドリア人クテシビウスの発明になる楽器〕の音で剣闘士が戦っているかのように思われる身振りで肉を切り裂いた。
【 第二幕 主菜② 帽子をかぶるイノシシ 】
召使たちが入ってきて、鳥網と狩猟用の槍とを持って待ち伏せている狩人や、あらゆる種類の狩立て道具等を刺繍した絨毯を臥台の前にひろげた。ぼくらがまだどう解釈すべきか当惑していたとき、食堂の外部で一騒動がおこった。すると見よ、ラコニア〔いわゆるスパルタ〕産の猟犬の一群が入ってきて食卓の周囲をあちこちに走り始めたのである。それにつづいて頭には解放奴隷の帽子をかぶり、その牙には棕櫚の小枝で編んだ二個の籠に一方には乾した棗椰子の実、他方には生の実をいっぱいに入れたのをかけた非常に大きな野猪を載せた盆が運ばれてきた。その周囲には捏粉菓子で出来た仔豚がまるで乳を吸っているかのように横たわっていて、ぼくらの前に持ち来たされたものは牝であることを示していた。この仔豚こそ客人の家へのみやげの贈り物であった。しかしながら野猪を切りに近づいてきたのは鶏を引き裂いたことのあるぼくらになじみの肉切り人ではなく、脚絆をつけた軽便な緞子の猟衣を着た長いひげのある巨大な男であった。かれは猟刀を引き抜いて野猪の脇腹に猛烈な勢いで突き刺した。するとその一撃でそこから多くのツグミが飛び出したのである。鳥もちを塗った竿を用意していた捕鳥者たちが食卓の周囲をひと廻り飛んだツグミをただちに捕えた。するとトリマルキオは来客におのおの一羽ずつ受け取るように命じて、そしてつけ加えていった。
「さあどんなに美しいどんぐりを森の豚が食べていたかをごらんください」
すると奴隷たちがやってきて牙にかかっている籠から来客一同に乾したのと生まのと二種の棗椰子の実を分配した。
【 第二幕 主菜③ 贓物を残した豚 】
巨大な豚を載せた盆が食卓の上いっぱいに置かれた。
料理人は下着をつけると、ナイフを手に取り、豚の腹をあちらこちらふるえている手で斬りまくった。切口はすぐに内部からの圧力でひろがってソーセージと黒いプディングが転がり出た。これを見て奴隷たちはわれを忘れて喝采し、「ガイウス〔トリマルキオの名〕に幸いあれ!」と叫んだ。料理人はぶどう酒と銀の冠とを報いられたのみならず、コリントスの皿に載せた杯をも与えられた。
【 第二幕 主菜⓸ 茹でた仔牛 】
奴隷たちは煮た仔牛に本当の兜をかぶせたのを載せた奉納用の皿をあちらこちらへと駆け廻りながら運び込んだ。つづいてアヤクスが入ってきて小刀を引き技くと、狂人のように突撃して縦横に突き刺し、切先の上に肉片を集めて驚いている客たちに仔牛を分配した。しかしぼくらにはこの素敵な工夫を嘆賞する暇もなかった。とつぜん天井ががたがた鳴って食堂全体が震動しはじめたからである。ぼくは屋根を貫いて軽業師でも落ちてくるのではないかと心配して、狼狽して立ち上がった。他の客もまた同様に驚いて、空からどんな変ったことを知らせているのかといぶかりながらじっと見上げた。すると見よ、天井が裂けると、明らかに巨大な樽からはずしたものと見える大きな箍が下がってきて、その周囲には黄金の冠や雪花石膏の香料函が掛けてあった。そしてぼくらはこれらの贈物を受け取ることを懇請された。食卓をふたたび見返ったと
き、いくつかの菓子を載せた皿がもうそこに置いてあった。その中央には菓子職人によってつくられた(プリアプス)生殖神の像が立っていて、型通りの風采でその広い前掛けにぶどうやあらゆる果物を抱えていた。待っていたとばかりにぼくらはこの珍味に手を伸ばした。するととつぜん新たなトリックの繰り返しがわれわれの愉快な笑いを取り戻させた。じっさい、菓子と果物とにはそれぞれわずかに触れただけなのに、サフランを勢いよく噴出しはじめたのである。そしてぼくらの口のなかにまで間断なくわずらわしい液がふりかかった。
【 第二幕 口直し 】
つづいて珍味の皿が運ばれてきた。もしもぼくのいうことを信じてくれるなら、そのことを思ってみただけで気持が悪くなろう。つぐみの代りに肥えた鶏肉がぼくらの前にならべられ、また帽子をかぶった鵞鳥の卵〔生卵の一端に穴をあけて煮るとき、出てくる白味に小麦粉をまぜて帽子をかぶったようにしたもの〕を骨を技いた鶏だといいながら、トリマルキオはしきりに食べてみなさいとすすめたのである。
【 第三幕 デザート 】
小憩後、トリマルキオはデザート〔ラテン語ではデザートのことを「第二の食卓」という。トリマルキオはしゃれ
て文字通り第二の食卓を運び込ませた〕を出すように命じた。そこで奴隷たちは食卓をすべて運び去って、他のもの
を持ってきた。そしてサフラン色と朱色に着色した鋸くずと、今までみたこともない
うんも
雲母の粉とを床の上に撒き散ら
した。
......
乾ぶどうとくるみとを詰めた捏粉製のつぐみがデザートとして運ばれてこなかったなら、われわれの困惑は容易に終わらなかったであろう。つづいてウニに似せてつくった一面にとげをさしたマルメロの実が出された。これだけならまだ我慢ができるが、さらにもっと異様な料理が運ばれてきたので、ぼくらはそれに触れるくらいなら餓死したほうがましだと思った。あらゆる鳥や魚を周囲にならべた肥えた鵞鳥のように思えるものが出ると、トリマルキオはいった。
「諸君がここに見られるものは、すべて一つの材料から出来ているのです」ぼくはいつもの機敏さで、ただちにそれがなんで出来ているかを知ったので、アガメムノンに振り向いていった。「もしこれらのものすべてが汚物か、あるいは少なくとも泥でつくられていたところで驚きはしません。ぼくはローマのサトゥルナリア祭のとき、このような模擬料理を見たことがあります」
ぼくが語り終えないうちにトリマルキオはいった。
「私はもっと大きくなりたいので――図体ではない、財産がですよ――料理人にすべてのものを一匹の豚からつくらせました。かれ以上に価値あるやつはおりますまい。お望みとあらば、牝豚の子宮で魚を、その脂でいかるが斑鳩を、腿肉で山鳩を、後脚で鶏をつくらせておめにかけよう。ですからかれにダエダルスというようなりっぱな名前をつけることを思いついた次第です。それくらい利口なやつですから、私は贈り物としてノリクム〔ドナウ何とアルプスとのあいだにある鉄と鋼鉄との産地〕の鋼鉄でつくったナイフをローマから持ってきてやりました」 かれはただちにそのナイフを持って入ってきて、それを吟味したり、賞めたり、またぼくらの頬にあてて刃の鋭さをためしてみることまでも許してくれた。
【 第三幕 無礼講 】
喧嘩をしているのをよくよく見ていると、牡蠣とほたて貝とが水がめからこぼれ落ちるのに気がついた。すると他の一人の奴隷がそれを拾って、皿の上に並べるのであった。あの賢い料理人がこの風流事の相手だったのだ。かれは銀の焜炉の上にカタツムリをのせてぼくらに出した
ここで一同は入浴を行い。それから再び食べ始めている。
【 第三幕 大団円 】
こうして酒気をふるい落してからぼくらは他の食堂へ案内された。そこではフォルトゥナタがすでに彼女自身のすばらしいご馳走を拡げていた。青銅の漁夫の小像をつけた食卓の上にかかっているランプや、純銀の卓や、周囲に黄金を塗った陶器や、目の前で漉してそそがれたぶどう酒などにぼくは目を見張った雄鶏がときをつくった〔とつぜん雄鶏がときをつくることは不吉な前兆と考えられた。ぶどう酒をこぼしたり指輪をはめ代えたりするのも不吉を逃れるため神に祈る迷信である〕
その雄鶏は近くのどこからか捕えられてきた。するとトリマルキオは殺して鍋に入れて料理してしまえと命じた。そこで先刻豚で鳥や魚をこしらえた腕利きの料理人によって切り裂かれて料理鍋のなかへ投げこまれた。ダエダルスが湯を煮立てるあいだにフォルトゥナタは黄楊の磨り臼で胡椒を挽いた。この珍味を食べ終えると...。
以上のように大量の食事が、様々な演出とエンターテイメントを交えて供されてゆく様子が、次々に描かれている。主人である解放奴隷トリマルキオンの、こうした贅沢により膨大なお金を遣い尽くしていく豪奢な生活ぶりが、この饗宴において描写されている。実はトリマルキオンのモデルはネロであるとされており、小説の中でトリマルキオンは派手好きの成金として描かれている。またそれだけでなくトリマルキオンの俗物ぶりを描写して描いたり、知識を語るが実際は間違えていたりと、こうした描写からペトロニウスが実際はネロをどう捉えてたかについて、その本心を伺い知ることができるだろう。
ネロの幼少期の家庭教師としても知られているセネカは「食べるために吐き、吐くために食べているのだ」とローマの饗宴を非難している。当時のローマでは食べる時には寝椅子に横になり、寝そべって食べるの姿勢が一般的であった。この方が胃に負担が掛からず、多くを食べる事ができるのである。また満腹になると喉の奥に羽毛を突っ込んで、嘔吐して胃を空にすると、再び食卓について飽食・暴飲を繰り返すのという方法も一般的であった。よって宴会場の横には、そのための洗面所が備え付けられていたという。
またローマ人には正餐の前には風呂に入る習慣があった。「トルマルキオの饗宴」でも途中で風呂に入る場面がある。これはその次に新たな饗宴が始まることを意味している。
サテュリコンには「一日を二日にすることは私にとってこのうえもない喜びです」あるいは「一日に二度正餐をとることはすなわち一日を二日にすることになる」という登場人物の言葉がある。こうした表現を見ると当時のローマ人たちの飽食に対する飽くなき熱意のようなものが感じられるのではないだろうか。
サテュリコン挿絵
夏目漱石の『吾輩は猫である』の2章にローマの饗宴について書いてある箇所がある。そこでは以下のように描かれている。
【 吾輩は猫である 】
「彼等は食後必ず入浴致候。入浴後一種の方法によりて浴前に嚥下せるものを悉く嘔吐し、胃内を掃除致し候。胃内廓清の功を奏したる後又食卓に就き、飽く迄珍味を風好し、風好し了れば又湯に入りて之を吐出致候。かくの如くすれば好物は貪ぼり次第貪り候も毫も内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両得とは此等の事を可申かと愚考致候……」
ここで食後に風呂に入るとあるのは間違いで、実際は食前にローマ人は風呂に入っていたのである。『トリマルキオンの饗宴』でも風呂に入るが、これは2回目の宴会のための前に入る風呂である。風呂に入ることによってその次の新たな饗宴が始まることを示唆しているのである。
ローマ人の饗宴
『美味求心』の観点からは、本来であればこうした飽食文化に対しては批判的であるはずである。木下謙次郎がペトロニウスを味を知る者として挙げた理由は定かではないが、もしかすると『美味求心』の書かれた時代には、ローマの饗宴文化が十分に理解されていなかったことが理由であるのかもしれない。あるいは飽食はさておき、『トリマルキオンの饗宴』描かれている手の込んだ料理の質に注目してそのように判断をしたのかもしれない。
ただし『トリマルキオンの饗宴』で供される料理は、どれも手が込み過ぎていて、しかも演出やエンターテイメント性を重視した料理であり、私には「大人のお子様ランチ」のようにしか思えない。成金で俗物として描かれたトリマルキオンが喜ぶような料理である。当然、味の追及というより見栄えや、自分の財力や地位を誇示するような小道具として料理は用いられているようにしか感じられない。
ローマの歴史的な詳細に関する文献が容易に入手でき、かつ理解できる現在においては、ペトロニウスの「味」をポジティブにとらえるか、あるいはネガティブに捉えるかは、評論者によるそれぞれの見解によって異なるのかもしれない。
これはローマの美食家であったアピシウスか、あるいはギリシャの美食家のアルケストラトスのどちらをより評価するのかという点にも関係していると私は思っている。アピシウスは非常に手の込んだ複雑な料理のレシピを残しており、それに対してアルケストラトスは非常にシンプルで素材の持ち味を生かす料理を良しとしている。
ここでどちらが優れているというような優劣を論じる気はないが、このような今から2000年~1800年前の料理の歴史に触れると、スクラップ&ビルドのようなタッキングを繰り返しながら現代まで料理は進歩してきたのであることを痛感させられる次第である。
こうした料理の変遷を垣間見るという点で、ペトロニウスが記した『トリマルキオンの饗宴』は歴史的な観点からも貴重な資料でもあると言えるだろう。
参考資料
映画:サテリコン : フェデリコ・フェリーニ
THE SATYRICON of Petronius, Vol.2 : Petronius
Annals : Tacitus
Naturalis Historia : Plinius