伊尹いいん


殷の宰相、伊尹


 伊尹は紀元前16世紀頃、殷王の「湯」に宰相として仕えた人物である。伊尹が特徴的なのは、始めは料理人として仕え、そこから有能な宰相として国を治めたという経歴である。この経緯に関しては幾つかの説がある。
 『史記』殷本記には伊尹に関して次のような記述がある。

【 史記:殷本記 】
 伊尹名阿衡。阿衡欲奸湯而無由,乃為有莘氏媵臣,負鼎俎,以滋味說湯,致于王道。


『史記』には「伊尹は湯に仕えようとしたが、つてがないため、有莘氏の娘が湯に嫁いだ時、媵臣(貴女の嫁入りに従う臣)となって商国に入った。伊尹は鼎や俎を背負って持参し、美食を作って湯王に近づき、王道を語るようになった」と記されている。つまり伊尹は元々は料理人であったことが分かる。

伊尹


 こうしたエピソードから「伊尹負鼎いいんふてい」という故事が生まれている。これは大きな望みのために、卑しい身分に身を落とすことを意味する。伊尹が、君主に仕えるという大きな望みために、 まずは料理人として雇われ、のちに宰相になったという史実に基づいた言葉である。

 料理人であった伊尹は宰相になる。さらに伊尹が使用していた料理用の鍋は政府の重要な象徴にされたとあるように、伊尹は宰相になっても、象徴的に料理について語ることで、国政に関する意見を湯に行っていた。「料理」の料は「はかり」、理は「おさめる」と読み、はかりが悪ければおさまりが悪いことになる。中国では良く料理と国を治めることは同じであると説明するくだりがあるが、まさに伊尹は料理において有能であることによって、宰相としても有能さを示すことが出来た人物だった。


料理から語る、伊尹の国政論


 伊尹の登用した後、殷王の「湯」は、宗廟で新しい宰相の伊尹の為にお祓いを行い、翌日の朝会で引見する。そこで伊尹は、天下の美食について、および天下を治める事について「湯」にその考えを論じている。この場面は『呂氏春秋・本味』に詳細が書かれているので、そこで伊尹が論じた内容を詳しく紹介することにしたい。

 まずは伊尹が天下の美食について話すと、湯は「そうした美味なものを手に入れることはできるのか?」と尋ねる。
 これに対して伊尹は「湯王の国はまだ小さいので、それらの物を準備することはできません。しかし天子になればそれは可能になるでしょう」と応じ、そこから調理の方法および様々な食材について論じ始める。
 伊尹はまず、その料理の方法を「湯」に語る。それが以下の内容である。

【 呂氏春秋・本味 】
 「君之國小,不足以具之,為天子然後可具。夫三群之蟲,水居者腥,肉玃者臊,草食者羶,臭惡猶美,皆有所以。凡味之本,水最為始。五味三材,九沸九變,火為之紀。時疾時徐,滅腥去臊除羶,必以其勝,無失其理。調和之事,必以甘酸苦辛鹹,先後多少,其齊甚微,皆有自起。鼎中之變,精妙微纖,口弗能言,志不能喻。若射御之微,陰陽之化,四時之數。故久而不弊,熟而不爛,甘而不噥,酸而不酷,鹹而不減,辛而不烈,澹而不薄,肥而不𦞕」


【 訳文 】
 「そもそも三種類の食材で、水中にいるものの味は鼻に来る生臭さ、肉食の動物の味はアンモニア臭く、草を食べる動物の味は特有の生臭さがある。 肉はこうした臭いを持っているにも関わらす、美味なのには理由がある。本来、味の根本は水である。また調味や加熱を駆使する調理においては火の扱い方が重要になってくる。 ある時は短時間で、ある時は時間をかけて火で調理を行い、臭味を減らし、アンモニア臭さと生臭さを除くのだが、それでも材料の良いところは残すようにし、決して素材そのものの本質を失うようなことがあってはならない。調味に関しては必ず甘酸苦辛鹹の五味をもって行い、どの味を先に加えるか後に加えるか、またその分量と味のバランスの微妙さは、それぞれがみな理屈に基づいたのもでなければならない。鍋の中での変化は精緻で微妙なものである為、これを言葉にして、うまく喩えることは出来ないが、それは例えば巧みな手綱さばきで馬を制して弓を射るようなもの、あるいは陰陽の変化や四季の数と同じものであると言わざるを得ない。それゆえに料理は長時間の加熱をしても材料の質を損なうことはせず、柔らかくても煮崩れず、甘くても濃くはなく、酸っぱくとも強烈ではなく、塩辛くても元の味は損なわれす、辛くとも激しくはなく、淡白でも薄くはなく、濃厚であっても脂濃くは無いのである」


 さらに伊尹は「湯」に種々の入手困難な食材について語る。

【 呂氏春秋・本味 】
 「肉之美者:猩猩之脣,獾獾之炙,雋觾之翠,述蕩之踏,旄象之約。流沙之西,丹山之南,有鳳之丸,沃民所食。魚之美者:洞庭之鱄,東海之鮞。醴水之魚,名曰朱鱉,六足,有珠百碧。雚水之魚,名曰鰩,其狀若鯉而有翼,常從西海夜飛,游於東海。菜之美者:崑崙之蘋,壽木之華。指姑之東,中容之國,有赤木玄木之葉焉。餘瞀之南,南極之崖,有菜,其名曰嘉樹,其色若碧。陽華之芸。雲夢之芹。具區之菁。浸淵之草,名曰土英。和之美者:陽樸之薑,招搖之桂,越駱之菌,鱣鮪之醢,大夏之鹽,宰揭之露,其色如玉,長澤之卵。飯之美者:玄山之禾,不周之粟,陽山之穄,南海之秬。水之美者:三危之露;崑崙之井;沮江之丘,名曰搖水;曰山之水;高泉之山,其上有涌泉焉,冀州之原。果之美者:沙棠之實;常山之北,投淵之上,有百果焉,群帝所食;箕山之東,青島之所,有甘櫨焉;江浦之橘;雲夢之柚。漢上石耳。所以致之馬之美者,青龍之匹,遺風之乘」


【 訳文 】
 「肉の美味なところは、猩々の唇、貛々の炙、雋燕の翠(ホトトギスの尾の肉) 、述蕩の孥、 旄象の約(旄は唐牛またはヤク、約は尾のことだが腎臓をも意味する)である。また流砂の西、丹山の南には沃民は食べている鳳の卵があるという。 魚の美味なのは、洞庭の鱄“毛の生えた亀”、東海の鮞“鮭の腹子”、醴水の朱鱉“すっぽん”と名つけられた六足をも持ちそこに珠のある生物。 雚水の鰩と名付けられた魚“トビウオ”、その形は鯉のようであり翼があるとされいつも西海から夜に飛んで、東海に移動する。野菜の美味なものは、崑崙のキノコ,不死をもたらすとされる壽木の花、指姑の東にある中容國に生える赤木・玄木の葉。餘瞀の最も南の崖に碧色をしたその名を嘉樹という野菜。華陽山の芸香菜。雲夢のセロリ。具區のカブ。浸淵の土英という草。 調味料の美味なものは、陽樸の生姜、招搖の桂、越駱の香菌、鯉と鮪からつくられる魚醤、大夏の塩、玉のような色をした宰揭の甘露、長澤の魚卵。飯の美味なものは玄山の米,不周の粟,陽山のキビ,南海の黒キビ。水の美味なものは三危山さんきざんの露、崑崙の井戸水、沮江の岸あたりの搖水と名付けられている水。曰山の水、高泉のの上にある湧水、冀州の一帯の水。果物の美味なものは、沙棠の実、常山の北にある投淵の上にある帝たちが食べたという多種多様な果物。箕山の東の青島にある甜橙、江浦の橘、雲夢の柚子、漢上の石耳。馬の美味なものは青龍の匹、遺風の乗である」


 伊尹は、このように種々の珍しい食材を列挙しているのだが、この中のリストを見みると、実際は入手不可能な「鳳の卵」や「猩々の唇」のような架空の生物の食材もいくつか混じっている。いずれにしても伊尹はこうしたまだ未知世界も含めて、殷の王である「湯」に天子になることで得られる、広大な領土についてのイメージを上手く持たせていると言えるだろう。さらにこうした料理を土台に語った後に、結論を以下のように述べている。

【 呂氏春秋・本味 】
 「非先為天子,不可得而具。天子不可彊為,必先知道。道者止彼在己,己成而天子成,天子成則至味具。故審近所以知遠也,成己所以成人也。聖人之道要矣,豈越越多業哉!」


【 訳文 】
 「天子であろうとするのであれば、こうした至味を、権力をふるって揃えるようなことはすべきではない。まずは天子としての道を知るならば、その道は人の内にとどまり、それが人の内に在るようになる。それが自身と一体化するのであれば、おのずからその人は天子になるのである。天子になれば、広大な領土からもたらされる貢によって至味は必然的に備わるのようになるであろう。
 このように近くを理解する事で、遠くを知ることになるのである。己を極める為には、人を極めることこそが道理である。よってこれこそが聖王となるための要であり、その為には益々多くの事に取り組んで行かなければならないのである」


 これが、最後に伊尹が「湯」に伝えたかった事である。つまり料理→国政について述べることで、「湯」が自ら、天子としての器となることにより、天子としての善政を行い、それによって必然的に天下の至味は得られるのであると説明している。
 天下の至味が得られる益というのは、単に、その味を楽しむ為だけのものではない。こうした至味は、当然、各地からの貢物によってのみ得られるものであるので、この事は、広い範囲の国々を治めるという事とも直結しているのである。至味を得ることは、天子として天下を治めることに繋がっているのである。

 このように伊尹は、料理を通して、料「はかり」、理「おさめる」ことの重要性を「湯」に伝えたのである。伊尹にとっては、料理であっても、国政であっても、その本質における核心的部分は同じものであったに違いない。


料理と国政


 実際に、中国においては、料理と国政について同時並行に語られる言葉が所々に散見される。
 例えば『老子』のなかには

【 老子 】
 治大国若烹小鮮


と述べられている。
 これは「大国を治めるには、小鮮を烹るがごとし」、つまり、大きな国を治める為には小魚を煮るように行わなければならないという意味である。つまり、小魚を煮る際に引っかき廻したら頭も尾も皆とれてしまうが、大国を治めるには形をくずさぬように無為自然に治めるほうがよいということを諭しているのである。
 大国は、通常、小国を複数征服して配下に治め束ねて大きくなったものである。よって支配下にある各地方には、有力な権威者や武将が多数おりその地方を治めているものである。しかしもし、彼らにある程度の裁量権や自治権を与えず、中央集権的な強いガバナンスを効かせた圧政を行い、手出し口出しを行うならばどうなるだろう。かき回し過ぎて、料理が駄目になってしまうように、国々もバラバラになってしまうのではないだろうか。
 よってこの「治大国若烹小鮮」という言葉は、料理と国政の高い相関関係を示唆している当を射た言葉であると云えるだろう。

 また前漢時代の陳平ちんぺい (前?~前 178)に関するエピソードもある。『史記』には陳平に関する以下のようなエピソードがある。

【 史記:陳丞相世家 】
 裏中社,平為宰,分肉食甚均。父老曰:「善,陳孺子之為宰!」平曰:「嗟乎,使平得宰天下,亦如是肉矣!」

【 訳文 】
 社の祭りで宰領役になった際には祭肉を迅速・公平に分配し名声を高めたが、陳平は「こんな物ではなく天下を与えられれば、たちどころに裁いてみせるのだが」と言って嘆息した。


 この後、陳平は世に出て、劉邦の名参謀として項羽を打ち破り、前漢の400年の礎として大きく貢献する事になる。また、その後も呂氏との闘いで功績をあげ、丞相を勤めることにもなった。こうした天下の大事において大きな功績を挙げた陳平は、同時に料理を上手にする人物であったことも、わざわざ事績の中に残されている。

 では陳平はどのように肉を取り分けたのだろうか。
 記述をみると、皆が満足し、大成功のうちにその会を終えることができた様子が伺える。陳平は頭が良く、配慮において優れていたものと思われる。若い人の席には少々は固いところでもいいから量を多く分配し、老人の席には、少量でもいいから柔らかい良質のところを盛りつけたのだろう。こうした誰もが満足する料理が、その場を良いものにして、陳平は称賛されたに違いない。
 この事は、単に陳平が料理を上手くしたという意味に留まらない。肉の取り分け方の塩梅が絶妙であったので、皆が満足したのである。これは大国が各地方を治めるための技術と共通していると云えるのではないだろうか。
 中国では料理が上手であるという事は、その人物を評価するににおいて重要なポイントとなっている。そして同時にこうした人物こそが、国を治め、国を統一するという場面においても有能な人物であることを示唆しているのである。


伊尹のスープ


 伊尹は薬学においても優れた人物であった。中国では良く「医食同源」と言われるが、食に通じているということは、医療にも通じているということでもある。
 伊尹は、薬材を煎じて、その汁を飲むなどの発明を行い、その事を『湯液経』というスープの本にまとめている。こうして伊尹は『湯液経』の中で薬効のある食材を煎じた湯液を紹介しつつ、食材には薬のような作用があることを明らかにした。
 こうした摂取方法は現代でも行われている中薬と同じである。さらにこうした方法は、後に薬膳スープに発展を遂げ、現代の中国料理の中に多くが取り入れられている。こうした功績を見ても、伊尹は中国の食療の元祖であるとも言える。


淄澠の水を見分ける能力


 『美味求真』には「伊尹は淄澠の水を見分けることが出来た」と述べられている。淄澠とは、斉の国(現在の中国山東省)にあった淄水しすい澠水じょうすいという二つの河の名前である。

 伊尹がこの二つの河の水の味を見分けたかどうかに関して、私は中国の古典から、その出典を探したが見つからなかった。しかし『列子』には孔子の語った次のような一文がある。

【 列子:說符 】
 孔子曰:「淄、澠之合,易牙嘗而知之。」

【 訳文 】
 孔子曰く「淄水と澠水を混ぜても、易牙(斉の桓公の調理人)は嘗めて見分けるであろう」


 多分、木下謙次郎は、易牙が淄澠の水を見分けたというエピソードを、伊尹と混同し、間違えて記述したのではないかと考えている。つまり正確に淄澠の水を見分けたのは易牙であり、伊尹ではない。以下にその根拠を示しておきたい。

 伊尹は、殷の宰相であった。殷の首都は「殷墟」であり、現在の「河南省安陽市」である。それに対して易牙のいた斉の首都は「臨淄りんし」であり、現在の「山東省淄博市臨淄区」である。リンク先の地図を見て頂くと分かるが、かつての斉国の首都であった「臨淄」の中心には淄水が流れており、さらにその北部には澠水も見える。よってこの二つの河は、かつての斉国人にとって重要かつよく知られた河であった。

 この地理的な観点からも、淄澠の水を見分けたのは明らかに易牙の方であると言える。当然、料理人にとって水は重要なものであり、日常的に料理に使う水の味を見分けるというのは、料理人の易牙にとってはあまり難しい事ではなかったに違いない。

 それに対して、伊尹の居たであろう場所は、淄澠から400km以上も離れており、伊尹が淄澠の水を見分けたというのは地理的にどうかと感じられる。よって『美味求真』の記述はやはり間違いであろう。


伊尹の料理


 伊尹の料理の味は、美味であったに違いない。もし、その味が優れたものでなければ湯王の目に止まることもなく、結果的に宰相にまで昇りつめることは無かっただろう。このことは、伊尹の料理の味が確かなものであったことを証している。その味の確かさ故に、伊尹は取り立てられたのである。
 また、もし伊尹の料理の腕が良くなければ、宰相としての伊尹の能力も大したことは無かっただろう。伊尹自身も料理に託して、国政を語っているように、料理における真髄のようなものは、国を治めることと共通しているものがあり、それ故に、伊尹は名宰相として歴史に名を残したのである。

 袁枚の著した『随園食単』では、その第一巻「須知單」の先天須知のなかで、まずは知っておくべき事として「天の与えた性質を知ること」を説き、以下の様に述べている。

【 随園食単 】
 司廚之功居其六,買辦之功居其四


 ここで袁枚は、美食の功績は、料理人が6割、素材の購入4割であると述べて、料理人の腕と、料理の素材の双方が重要である事を示している。
 伊尹が湯王に述べた、料理を下敷きにした論でも、まずは料理の手法について語り、それから様々な料理素材について、その産地を含めて語っている。こうした論理展開の方法や、その詳細な説明を見ても、伊尹が優れた料理人であったこと、さらに味においても才能をもっていたことを確信できるに違いない。





参考資料



『夏殷史と諸夏』 吉本道雅

『天空の舟』  宮城谷昌光