デュクセル (Duxelle)

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デュクセルとは


デュクセル(Duxelle)は、刻んだマッシュルーム(シャンピニオン)にエシャロット、タイムやパセリ等のハーブ、黒胡椒を細かく刻んで混ぜ、バターでソテーしてペースト状に煮詰めたものである。デュクセルはペイストリーのフィリング(詰め物)、さらにはソースに加えて用いられている。このようにデュクセルは料理そのものと言うよりは、フランス料理のベースとなる応用性の高いパーツのひとつとして加えられる場合が多い。

デュクセル (Duxelle)

デュクセル (Duxelle)



デュクセルの由来


デュクセルを考案したのは、17世紀フランスの料理人のラ・ヴァレンヌ(François Pierre de la Varenne:1618-1678)であると考えられている。ラ・ヴァレンヌは1615年あるいは1618年のいずれかの年にブルゴーニュのシャローヌ・シュル・ソーヌで生まれたと考えられている。料理人となったラ・ヴァレンヌは、デュクセル侯爵に仕えるようになる。つまり料理のデュクセルとは、ラ・ヴァレンヌが仕えたデュクセル侯爵に由来しているという訳である。

当時、新しいい料理には王侯貴族の名前を付けることが流行していた。こうした時代に登場した料理名に、ベシャメル、コルベール、マントノン、スービーズなどのが残されており、これらはいずれも王侯貴族の名前に由来している。こうした料理は、いずれも彼らが抱えていた料理人が考案した料理であり、当時の料理人たちは自分の主人の名前を自身の料理に冠することで主人に対する敬意を表していたのである。つまりラ・ヴァレンヌが考案したデュクセルも、そうした料理法のひとつであったと考えてしかるべきであろう。

デュクセル侯爵は世襲的に引き継がれる称号で、ラ・ヴァレンヌの仕えた当時のデュクセル侯爵はコルマタン領主、ラ・ヴァレンヌが生まれたシャロン・シュル・ソーヌ県知事も務めたルイ・シャトン・デュ・ブレ(Louis Chalon du Blé)である。

Vincent La Chapelle『The Modern Cook』1733年

『Le Cuisinier François』1712年新版:ブリュッセル版


ラ・ヴァレンヌの著書で1651年刊の『フランスの料理人:Le Cuisinier François』を確認すると、ラ・ヴァレンヌはデュクセル侯爵の元で10年間仕えていることを次のように述べている。

【 フランスの料理人 】序文
高貴とは言いがたい私の生い立ちは、私に偉大な精神をもたらさなかったが、それでも自分の責務を決して忘れることのない気構えを授けてくれました。あなたの屋敷で10年間働き、私は精妙な料理の秘訣を発見しました。僭越ながら申し上げると、王侯・貴族、フランス軍の元帥を始め、多くの高貴な人々の賛同を得ながら、この職務を果たしてきたのです。
...
あなたに仕えた名誉を文字にするため、筆をとることにしました。こうして「あなたの台所のエキュイエ」と題するささやかな書物を書き上げました。


ここからラ・ヴァレンヌが自身の料理書をデュクセル侯爵に献じた理由を確認できる。当時の料理書では仕える主人に対する献辞が示されるのが常だったが、ラ・ヴァレンヌの料理書にも御多分に洩れず、主人のデュクセル侯爵について言及されている。タイトルページを確認しても、著者ラ・ヴァレンヌの名前と共に、主人のデュクセル侯爵の名前が併記されており、ラ・ヴァレンヌとデュクセル侯爵の関係を裏付けるものとなっている。


どのデュクセル侯爵に仕えたのか


デュクセル侯爵は、デュ・プレ家に代々受け継がれる爵位であり、歴史を紐解くと3人のデュクセル侯爵が存在していたことが分かる。ラ・ヴァレンヌが仕えたデュクセル侯爵は、ルイス・シャロン・デュ・ブレ(Louis Chalon du Blé, marquis d'Uxelles:1619-1658)である。しかしこのデュクセル侯爵はさしたる歴史的な事績がないことからか、あまり取り上げられることがなく、誤ってフランス軍元帥となった息子のニコラ・シャロン・デュ・ブレ(Nicolas Chalon du Blé:1652-1730)にラ・ヴァレンヌが仕えたと記述しているものが多い。

デュ・プレ家の紋章

デュ・プレ家の紋章


この辺を明確にするために、もう少しデュ・プレ家に関する歴史を深掘りすることにしたい。デュ・プレ家は13世紀には既にブルゴーニュ地方のコルマタン領主として歴史に登場しているが、デュクセルの敬称を名乗るようになるのはもっと後世になってからである。それは1560年に、ペトラルク・デュ・ブレがデュクセル館(Château d'Uxelles)を得てからであり、この時代頃からデュ・プレ家当主はデュクセル男爵(Baron d'Uxelles)となる。

デュクセル侯爵(Marquis d'Uxelles)となるのは、ジャック・デュ・プレ(Jacques du Blé)の時代からである。ラ・ヴァレンヌが仕えたルイス・シャロン・デュ・ブレは2代目のデュクセル侯爵であり、良く間違えてラ・ヴァレンヌが仕えたとされているのが3代目のニコラ・シャロン・デュ・ブレである。

・初代 :ジャック・デュ・プレ(生年不詳‐1629)
・2代目 :ルイス・シャロン・デュ・ブレ(1619-1658)
・3代目 :ニコラ・シャロン・デュ・ブレ(1652-1730)

以下にデュ・プレ家の家系図も示しておくことにしたい。

デュ・プレ家の家系図

デュ・プレの家系図


さらなるデュクセル侯爵の家系詳細については「Geneanet」で確認するようにして頂きたい。


2代目デュクセル侯爵

ルイス・シャロン・デュ・ブレ


ラ・ヴァレンヌが料理人として仕えたのは、間違いなく2代目のニコラ・シャロン・デュ・ブレである。なぜならラ・ヴァレンヌが『フランスの料理人』を出版したのは1651年であり、この時、既に10年間デュクセル男爵に仕えているとラ・ヴァレンヌ自身が述べているからである。こうした年代に合致するデュクセル男爵は、2代目のルイス・シャロン・デュ・ブレのみである。

ウィキペディアを含む多くの記述が、ラ・ヴァレンヌが料理人として仕えたのは3代目のニコラ・シャロン・デュ・ブレだとしている。しかし彼の誕生年は1652年であり、ラ・ヴァレンヌが『フランスの料理人』を出版した翌年にあたるため、このデュクセル侯爵に彼が既に10年間も仕えたということはあり得ないということになる。つまり料理のデュクセルの由来を、ニコラ・シャロン・デュ・ブレに求めるのは間違いなのである。こうした簡単な年代的な誤りは今後、是非とも正される必要があるだろう。

結論としてラ・ヴァレンヌが仕えた主人は、やはり2代目のルイス・シャロン・デュ・ブレであり、またデュクセルという料理はこの人物に由来していると考えるべきだということになるのである。


3代目デュクセル侯爵

ニコラ・シャロン・デュ・ブレは間違い


2代目デュクセル男爵のニコラ・シャロン・デュ・ブレは歴史的事跡が少なく、記録があまり残されていない。それに対して息子のニコラ・シャロン・デュ・ブレは、戦功を挙げ元帥にまで昇りつめたことから、料理のデュクセルに由来する人物だと誤って解説されることが多い。こうした解説には合わせてニコラ・シャロン・デュ・ブレの肖像画が掲載されており、ラ・ヴァレンヌが誰に仕えていたのかをさらに混乱させる原因になっている。

間違えられた肖像画

(左)ニコラ・シャロン・デュ・ブレは主人ではない
(右)この肖像画はラ・ヴァレンヌのものではない 


これに加えてラ・ヴァレンヌの肖像画も誤って掲載されていることも指摘しておきたい。上記の肖像画をラ・ヴァレンヌのように掲載している記事を良く眼にするが、これはフランス人医師のピエール・フランソワ、ペルシー男爵(Pierre-François, Baron de Percy:1754–1825)の肖像画であり、ラ・ヴァレンヌとはまったく無関係である。デンマークにある「MAD」のような料理教育機関でさえこの肖像画を間違えてラ・ヴァレンヌと取り違えているので注意が必要である。


料理のデュクセル


デュクセルは一般的にはラ・ヴァレンヌが考案したと言われているが、実際にはラ・ヴァレンヌが直接「デュクセル」の名前でレシピを掲載している箇所は『フランスの料理人』のなかを見てもどこにも存在していない。ラ・ヴァレンヌは「シャンピニオン・ア・ロリウィエ:Champignon à l'Oliuier」のレシピを掲載しているが、これが後にデュクセルと呼ばれる料理になったと思われる。

【 フランスの料理人 】p.113
74. Champignon à l'Oliuier
シャンピニオンの汚れを落としてよく洗った後、4等分に切り、水にさらして土を落とす。2枚の皿で玉ねぎとフェルジを挟んで火にかけ水分を飛ばす。バターを準備して、新しく加えたパセリとシブールを加えフリカッセする。その後に煮込み、よく火が通ったら、クリームあるいはブラマンジェを添えて提供する。


確かにマッシュルームをバターで炒め、煮込んでいることから、これが後に「デュクセル」として知られるようになっていったようである。しかし当時、ラ・ヴァレンヌははっきりとこれを「デュクセル」と命名していないことから、後代になって、便宜上ラ・ヴァレンヌの主人のデュクセル侯爵から「デュクセル」と付けられたのだろう。

現代でもデュクセルはまだフランス料理のなかで用い続けられている手法であり、古典的でありながらかつ基本的なレシピとして作り続けられている。デュクセルは、パテアンクル―ト(pâté en croûte)やビーフ・ウェリントン(Beef wellington)の詰め物の一部として使われることが多い。

ビーフ・ウェリントン(Beef wellington)

ビーフ・ウェリントン(Beef wellington)


中心となる肉の部分をデュクセルで覆い、肉とパテの皮の部分の間になるようにしてパテアンクル―トもビーフ・ウェリントンもつくられる。もちろん味の面でもデュクセルは貢献しているが、こうした料理の場合は肉がパテのなかに収まり易くし、隙間ができないようにするためにも重要な役割を果たしているという訳である。

パテアンクル―トもビーフ・ウェリントンも古典的な料理であるが、こうした料理を食べる際にはデュクセルがどのように効果的に用いられているのか、あるいはデュクセルの由来にも想いを馳せて食してみるのも一興だろう。







Referrence:参考資料


La Varenne, François Pierre de. (1651). Le cuisinier françois. P. David. Paris.