ダゴン「Dagon」
古代フェニキアの神、ダゴン
ダゴンは古代フェニキアの神で、旧約聖書にも数多く言及されるペリシテ人(フィリステア人)と古代中東全域で崇拝されている豊饒の神である。紀元前2500年ほど前から崇拝されていたことが知られており、ダゴンという神の名前は、ヘブライ語の「穀物」、 セム語の「トウモロコシ」という言葉から派生したと考えられている。
もともとの存在が穀物と関係した神であり、農耕の創始神として崇拝されていた神であのだが、キリスト教の神学者ヒエロニムスによって、ヘブライ語のダグ(דָּג [dag]、魚)と、ダゴンが誤って関連された為に下半身が魚形の海神と考えられるようになったとブリタニカ国際大百科事典では説明されている。
ダゴン「Dagon」
美味求真で語られるダゴン
『美味求真』では人魚について説明する中で、ダゴンについても述べている。そこでは「頭および肩まで魚鱗で覆われている」と描写してある。ダゴンのイメージは幾つかあり、上記のイメージよりはむしろ、以下の図が『美味求真』で説明されているイメージにより近いように思える。
図の中央がダゴンである
旧約聖書中で語られるダゴン
旧約聖書の中では、ダゴンは異教の神として描かれており、肯定的ではなくむしろ否定的な存在として、さらに邪悪な神としての印象の存在として描かれている。なぜならばヘブライ人と、ペリシテ人は同じ地域に住んでおり度重なる戦争の歴史を有しているからである。
旧約聖書で述べられているダゴンについて説明を加えておきたい。
【 サムエル記上5:2 - 5:9 】
そしてペリシテびとはその神の箱を取ってダゴンの宮に運びこみ、ダゴンのかたわらに置いた。アシドドの人々が、次の日、早く起きて見ると、ダゴンが主の箱の前に、うつむきに地に倒れていたので、彼らはダゴンを起して、それをもとの所に置いた。その次の朝また早く起きて見ると、ダゴンはまた、主の箱の前に、うつむきに地に倒れていた。そしてダゴンの頭と両手とは切れて離れ、しきいの上にあり、ダゴンはただ胴体だけとなっていた。それゆえダゴンの祭司たちやダゴンの宮にはいる人々は、だれも今日にいたるまで、アシドドのダゴンのしきいを踏まない。
そして主の手はアシドドびとの上にきびしく臨み、主は腫物をもってアシドドとその領域の人々を恐れさせ、また悩まされた。アシドドの人々は、このありさまを見て言った、「イスラエルの神の箱を、われわれの所に、とどめ置いてはならない。その神の手が、われわれと、われわれの神ダゴンの上にきびしく臨むからである」。そこで彼らは人をつかわして、ペリシテびとの君たちを集めて言った、「イスラエルの神の箱をどうしましょう」。彼らは言った、「イスラエルの神の箱はガテに移そう」。人々はイスラエルの神の箱をそこに移した。彼らがそれを移すと、主の手がその町に臨み、非常な騒ぎが起った。そして老若を問わず町の人々を撃たれたので、彼らの身に腫物ができた。
ペリシテ人がヘブライ人から「主の箱」つまりArk(アーク)を奪い取り、ダゴンの元に運んできた時のエピソードが述べられている。ここでは人の眼に触れない時に、アークの前にダゴンが2度も倒れ破壊されていた事が述べられている。上記の引用はセプトアギンタ約に基づいたものであるので記されていないが、他の翻訳では、下半身だけが台座の残されていて魚の形が残っていたと訳されている。(ここからもダゴンには魚のイメージが太古からあったと考えられる)
さらにはアークを他の場所に移したところ、その町の住民がヘブライ人の神に打たれ、腫瘍(痔)が出来るという災難に見舞われたことが述べられている。
アークとは聖櫃、つまりヘブライ人にとってもっとも重要なもので、この箱の中にはこの中へマナを納めた金の壺、アロンの杖、十戒を記した石板が収められていた。神殿の中の至聖所と呼ばれるもっとも奥に安置されており、日本でいうところの所謂「御神体」のような存在であると考えて良いだろう。
ヘブライ人は戦いに負け、このアークがペリシテ人に奪われて7ヶ月間、ペリシテ人のものとにあった際の出来事が上記のサムエル記5章に記載である。ペリシテ人たちはこうした災厄から逃れるために、金の痔の像(どんな像だ?!)と、とびねずみの像を付けて、ヘブライ人にアークを返還したことが続く6章で述べられている。
聖書のこの記述は、最終的にヘブライ人の神が、ペリシテ人の神ダゴンを打ち負かしたことが主旨であろう。
契約の箱 :Ark of the Covenant
もうひとつの記録は、サムソンという怪力をもった人物に関する記録である。サムソンはペリシテ人の女性、デリダを妻にするが、裏切られてその力の秘密が暴かれ、捕らえられてしまう。そしてダゴンの神殿に連れてこられたエピソードが以下の引用である。
【 士師記16:23-30 】
さてペリシテびとの君たちは、彼らの神ダゴンに大いなる犠牲をささげて祝をしようと、共に集まって言った、「われわれの神は、敵サムソンをわれわれの手にわたされた」。民はサムソンを見て、自分たちの神をほめたたえて言った、「われわれの神は、われわれの国を荒し、われわれを多く殺した敵をわれわれの手にわたされた」。彼らはまた心に喜んで言った、「サムソンを呼んで、われわれのために戯れ事をさせよう」。彼らは獄屋からサムソンを呼び出して、彼らの前に戯れ事をさせた。彼らがサムソンを柱のあいだに立たせると、サムソンは自分の手をひいている若者に言った、「わたしの手を放して、この家をささえている柱をさぐらせ、それに寄りかからせてください」。その家には男女が満ち、ペリシテびとの君たちも皆そこにいた。また屋根の上には三千人ばかりの男女がいて、サムソンの戯れ事をするのを見ていた。
サムソンは主に呼ばわって言った、「ああ、主なる神よ、どうぞ、わたしを覚えてください。ああ、神よ、どうぞもう一度、わたしを強くして、わたしの二つの目の一つのためにでもペリシテびとにあだを報いさせてください」。そしてサムソンは、その家をささえている二つの中柱の一つを右の手に、一つを左の手にかかえて、身をそれに寄せ、「わたしはペリシテびとと共に死のう」と言って、力をこめて身をかがめると、家はその中にいた君たちと、すべての民の上に倒れた。こうしてサムソンが死ぬときに殺したものは、生きているときに殺したものよりも多かった。
ここでもダゴンの神とその信者のペリシテ人に壊滅的な被害をもたらしたことが述べられている。このように聖書の中でダゴンは、ヘブライ人の神に対抗する異教の神として否定的に描かれている。
現代に残るダゴンのイメージ
このように聖書においては異教の神であるダゴンのイメージは、ローマにおいてキリスト教が国教化される過程において、土着の様々な異教の習慣と相まってキリスト教の中に取り込まれていったようである。
カトリック聖職者とダゴン
聖職者の衣装でもカトリック司教が特に頭にかぶる司教冠のことをマイター(Miter)というが、その意匠はダゴンからもたらされたものであると考えられている。
ラルフ・エドワード・ウッドロー( Ralph Edward Woodrow )の著書、『The Babylon Mystery Religion』では、歴史学者のウィリアム・ダラント( William James Durant )の「聖職者の礼服は...異教徒のローマの遺産であった」という言葉を引用している。
【 The Story of Civilization 】
"The vestments of the clergy and the papal title of 'pontifex maximus' were legacies from pagan Rome. "
『The Babylon Mystery Religion』では、カトリックに取り入れられている多くの意匠の中に、かつてヘブライ人が異教の神として排除していた、モレク、バアル、ダゴン、タンムズやアルテミスなど、本来であれば異端視されて毛嫌いされてきたはずのイメージが、キリスト教的なものに置き換えられて取り入れられていることが述べられており大変興味深い。
旧約聖書中で、あれほど他国の神々を異端視して排除してきたはずなのに、キリスト教のなかに、いとも簡単にこうしたイメージが象徴的なものとして入り込んでいることにはそれなりの深い理由があるに違いない。
では、どうしてそのような異端の意匠がキリスト教に入り込んだのだろうか。それはローマが国教化するにあたり、それまで様々な地域で崇拝されてきた神々を信じる、それぞれの国に属する信徒たちを取り込む必要があったというのがその理由である。
西暦325年5月20日から6月19日まで小アジアのニコメディア南部の町ニカイアで「ニカイア公会議」が開かれる。この会議を契機にローマ皇帝コンスタンティヌス1世はキリスト教の国教化を推進してゆくことになる。これまで激しく迫害されてきたキリスト教が、なぜローマの国教とされたのか。それはローマ帝国という広大な帝国に属する国々を効率的に治める為には、ひとつの宗教思想的なもので統一することが必要だったからである。よって、その当時に急速に信者を増やし、大きな広がりを見せていた新興のキリスト教が選ばれ国教化されていったのである。
しかし、各地にはすでに昔から崇拝の対象となっていた神々が存在していた。こうした神々を異端として排除して、キリスト教の神を崇拝させることが容易でない事は想像に難くないだろう。それぞれの神は、それぞれの民族や国々のアイデンティティや歴史と深く結びついているものだからである。
よってカトリックはこうしたローマの属国で昔から信仰の対象となっていた異端の神々に対する信仰もある程度は容認し、あるいは、むしろそれら異端の神々を取り込むことで、キリスト教を支配国全体に導入する必要があったのである。こうした理由からカトリックには、現代でもその当時の異端の神々のイメージが、様々な意匠の部分に残され定着してしまっているものと考えられる。
人魚とダゴン
『美味求真』で述べられているように、人魚とダゴンのイメージは重なる。またこうした半魚半人の生物は世界中に伝説や、土着の民話などのなかに存在してる。ただ東洋ではこれを食べられる生物として扱い、西洋では畏敬の念や恐怖の対象として扱っていることの違いがあることが非常に面白い。八百比丘尼では日本の伝説で、人魚を食べてしまったために不死を得た女性の話を分析しているので、こちらも参考して頂ければより興味深く知見を深めて頂ければ幸甚である。
ダゴンのレリーフ
参考文献
『The Babylon Mystery Religion』 Ralph Edward Woodrow
『The Story of Civilization』 William James Durant
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』 2014 Britannica Japan
『旧約聖書 士師記16:23-30』 旧約聖書