長崎糟煮鯛
長崎糟煮鯛のレシピ
長崎糟煮鯛は、江戸時代の1785年に出版された『鯛百珍料理秘密箱』に掲載されている47番目のレシピである。『鯛百珍料理秘密箱』原文には以下のような説明がある。
【 鯛百珍料理秘密箱 】長崎糟煮鯛
是ハ後藤流也。
中鯛のうろこ、ゑら、わたを、能とり、一夜塩押をして、翌日水にてあらひ、よくよく雫をたらし、亦、酒の粕に、二日ほと漬、よくおしつけをきて取り出し、水にて洗らひ、鍋に平昆布をしき、こげぬようにする也、扨、酒を沢山に入れ煮也。酒の汁なきようになりたる時、だしを入る也。扨、ましたましたに入れ、煮返しをき、右の鯛を南京の大鉢に入れて、右の糟と、青のりのこ、ごまを沢山にかけ出す、外のかやくは、こせうの粉ばかり、折紙包二して出す。小皿を引く。
【 長崎糟煮鯛 訳文 】
これは後藤流の料理である。
中鯛の鱗、エラ、腸を良く取ってから一夜塩押をして、翌日水で洗い、水気を切る。これを酒粕に二日ほど漬け、よく押し付けおいてから取り出し、これを水で洗って鍋に平昆布を敷いて焦げないように酒を沢山に入れて煮る。酒の煮汁がなくなった時に出汁を入れる。
他の鍋で酒粕を良くすりほどき、水をひたひたに入れて煮返しをしておく。
鯛を南京の大鉢に入れて、煮返しておいた酒粕と、青海苔の粉、胡麻を沢山かけて出す。外の火薬はコショウの粉だけを折紙包みにして小皿で出す。
レシピ解説
これは後藤流の料理であるという但し書きがある。『鯛百珍料理秘密箱』には他にも以下の後藤流の料理法が記載されている。
・ 長崎てんふら
・ 長崎後藤流漬鯛
・ 後藤流酢煎鯛
・ 長崎後藤流鎧煮
『鯛百珍料理秘密箱』によると後藤流という料理流派があったことが分かるのだが、後藤流がどのような流派だったのかを調べてみても、他の記録のなかには唯一『万宝料理秘密箱 』に言及があるだけで、これは薬酒について述べられているものであって料理についてではない。しかも『鯛百珍料理秘密箱』と同様に『万宝料理秘密箱 』も同じ作者:器土堂主人によって著されたものなので情報の出所としては同じであり、この流派が当時一般に知られたものだったのかについてはやはり良く分からないのである。ただ器土堂主人は長崎と関連付けて、後藤流に何度も言及していることから高い評価には違いない。
後藤流について考察は長崎てんふらで述べているので、後藤流について詳しく知りたい方は参考にして頂きたい。
長崎の料理
料理の名前に長崎を冠していることからも、この料理は長崎の料理であることは明らかだろう。後藤流も長崎に由来しており、ここからもこの料理が強い長崎との相関性があることが感じられる。長崎の調理の特徴に油で揚げるという方法があるが、この料理では油が使われていない。ただ酒粕に漬け込んだ鯛を、酒粕で煮るという手のかかる二段階の手法が取られており、こうした方法は当時長崎で行われていた料理の特徴を示しているように思える。
また出来上がった料理は、大ぶりの鉢に入れて出されるところは、長崎:卓袱料理の影響が感じられる。大鉢に入れて出された料理は必然的に卓上で各自で取り分けて食べられることになる。江戸時代は通常は個々にお膳で料理は運ばれ個々にそれを食していたので、卓袱料理のように取り分けて食べる料理のスタイルは珍しかった。
料理方法や、その料理の提供方法を見ても、やはりこの料理には長崎料理の特徴が感じられる。
酒粕漬け
通常は酒粕で漬け込んだ魚は、煮るよりも焼く調理方法が一般的であるように思える。現代では粕汁や鍋に粕を使うが、粕漬けを、さらに粕を用いて煮るという料理方法は特徴的であると言えるだろう。長崎糟煮鯛という料理名が示すように、粕に漬けてから粕で煮るというところがこの料理の肝要な部分である。
酒粕
粕漬けは奈良時代から行われてきた方法であり、『延喜式』にも粕漬けについて以下のような詳しい言及がある。
【 延喜式 】
糟漬瓜九斗
料鹽一斗九升八合、汁糟一斗九升八合、滓醤二斗七升、醤二斗七升
ここには汁糟に瓜を漬けるとあるが、他にも冬瓜、茄子、生薑等の漬け方も説明されている。しかし『延喜式』で説明されているのは野菜の粕漬け方法だけで、あくまでも「漬け物」としての範疇に留まっており魚を粕漬けにする方法については言及されていない。魚を粕漬けにするという方法が行われるようになった時期ははっきりとは分からないが、熟鮓が昔からあったことを考えると古くから粕漬けは行われていた調理法であるはずだと考えられる。
熟鮓は炊いた米で魚を漬ける。粕は酒造りで酒を絞った後の米の残り滓であるので、なれずしのように米で漬け込むのとはあまり変わりはない。ただし熟鮓の場合は数年漬け込むのに対して、粕漬けの方は短期間の漬け込みしか行われないという違いがある。これは前者は発酵熟成を目的としたものであるのに対して、後者は魚の臭みを除き酒粕の風味を魚に付けるのを目的としているからである。漬け込み期間は数日あっても粕に漬けることでアスパラギン酸やグルタミン酸などのうま味を魚に移すことが出来るので、これによって魚の味をより美味しくすることが出来るのである。
調理方法
「長崎糟漬鯛」の作り方は煩雑な手順があるので、以下段階的に説明することにしたい。
1. 塩漬け
「長崎糟漬鯛」のレシピによると、一夜塩押をすることになっている。この塩漬は魚体重量に対し10%の食塩で撒き一晩の清け込みを行う。長期の漬け込みであれば塩を増して20%とする方が最適だが、1~2日程度であるため10%位が最適であろう。
2. 塩抜きと乾燥
漬込みの後は「水で洗い、水気を切る」とある。塩抜きは塩分調整のために行う必要があり、塩漬した魚と同じ重量の淡水に漬けて1時間半程行う。この段階ではまだ塩分がかなり残っているが、後に行う粕漬けによって塩分は半減することになる。
3. 粕漬け
漬粕の使用量は魚体に対し ほぼ同量の漬粕の中に魚が直接埋まるように2日間漬込む。これによって粕の風味を移すことが出来る。また粕に漬け込むことで塩味を抜く効果もあり、塩味を調整することにもなる。
4. 煮る
粕を洗い落とし、昆布を引いた鍋に酒を入れて煮る。この煮汁がなくなる頃に、今度は出汁を加え入れて煮る。
5. 仕上げ
大ぶりの鉢(深皿)に鯛を盛り、別の鍋に水を加えて酒粕を煮ておいたものを加える。そこに青海苔の粉と胡麻を沢山かけて出す。胡椒を別皿で添えて出す。
参考資料
『鹿児島県水産技術のあゆみ: 第2編 流通・加工部門』 鹿児島県水産技術開発センター
『C』に見える古代の漬物の復元 土山寛子 他
『延喜式』内膳寮