五色鯛
五色鯛のレシピ
五色鯛は、江戸時代の1785年に出版された『鯛百珍料理秘密箱』に掲載されている16番目のレシピである。『鯛百珍料理秘密箱』原文には以下のような説明がある。
【 鯛百珍料理秘密箱 】五色鯛
是は鯛の片身を、三枚におろし、扨、染色、白はそのままにてよし、赤は紅鯛の通り、黄はくちなしの汁にて染る。青は大根の葉か、菜の葉をこまかにし、此汁をしぼりて、鯛を漬く、黒は黒豆の汁に鍋炭を合わせ、酒を少し入れてよし、扨、白身をさきへ、ひろげ、其の上へ、葛粉を、ふりかけ、たまごの白身をぬり、段々にかさね右之ごとく、葛と卵のしろ身をぬり、一枚一枚づつかさね、五色合わせ候て、笋の皮にて、とくと巻、しめあげ、布にて包み、こしきにて、むしあげ、取出し、水に冷し候、切やうは、遣ひ方次第也。
【 五色鯛 訳文 】
鯛の片身を三枚におろす。染め色は、白はそのままでよく。赤は紅鯛の方法。黄はくちなしの汁で染め、青は大根の葉か、菜の葉を細かくし切ってその汁を絞って鯛を漬けておく、黒は黒豆の汁に鍋炭をあわせた汁に漬ける、これに酒を少し入れても良い。さて白身をまずは広げて、その上に葛粉をふりかけ、卵の白身を塗って段々に重ねる。さらに葛粉をふりかけ、同じように卵の白身を塗り、一枚ずつ重ねて、五色合わせて竹の皮で巻いて締めて、布で包んで甑で蒸し上げから取り出して水で冷ます。切り方は提供の仕方次第である。
レシピ解説
『鯛百珍料理秘密箱』では故実料理がいくつも取り上げられているが、日本料理は「陰陽五行」の影響を受けており、セオリーの多くは陰陽五行説に基づいて決められている。
「五色鯛」は鯛に様々な色を付けることが主となっている料理方法である。着色する五色は、赤、白、青、黄、黒である。この配色が陰陽五行に基づいたものであると考えられる。
陰陽五行
五臓六腑という言葉があるが、これは中国医学において人間の内臓全体を言い表すときに用いられる総称である。先の述べた5色や5つのエレメントが、同じように臓器や内臓にも対応しているというのが陰陽五行の考え方である。
古代の中国医学では、体が悪くなるとその悪くなった臓器と同じ臓器を食べることで治癒することが出来ると信じられていたが、これには陰陽五行の考え方が影響していたからかもしれない。五臓六腑に対しても大きく陰陽に分けられており、「臓」は陰、「腑」は陽に当たるとされている。
五臓六腑
陰陽五行で色とエレメントと臓器の関係を示すと以下のようななる。
● 赤 → 火 → 心
○ 白 → 金 → 肺
● 緑 → 木 → 肝
● 黄 → 土 → 脾
● 黒 → 水 → 腎
料理と陰陽五行(臓煮)
「医食同源」という言葉があるが、これは食べ物と健康が密接に結びついていることを意味している。それを示すように陰陽五行と料理と臓器も密接に結びついている。1714年(正徳4年)に刊行された『當流節用料理大全』では雑煮に関する次のような記述がある。
【 當流節用料理大全 】初献雑煮の事
一、雑煮は魔王の五臓をかたどったものである。
一、心生(心臓)は赤く舌を象って鰹
一、脾生(脾臓)は土で黄色なり、脾臓を象って串鮑
一、肝生(肝臓)は木で青色、眼爪に象った芋は丸く長く削る
一、肺生(肺臓)は金で白、気に通じる餅
一、腎生(腎臓)は水で黒く、耳に通じて煎海鼠
この記述から雑煮には、色とエレメントと臓器が陰陽五行に紐づいて調理されていることが分かる。雑煮の具材は陰陽五行に基づいて5つの具材が入れられることになっており、このような多彩な具材が入る事こそが「雑煮」の語源であると考えられるが、その具材が臓器にも関係していることからすると、本来は「臓煮」に通じるものがあったのではないかと考えてしまうのである。
魔王の臓器(雑煮とお屠蘇)
『當流節用料理大全』が説明する魔王の臓器の意味も考察しておきたい。魔王とは何を意味しているのだろうか?冥界の王として死者の生前の罪を裁く冥界の主である「閻魔大王」を、ここで言う魔王に当てはめると、その臓器を食らうことで寿命を延ばすという意味でしっくりくるように思える。
しかし魔王の歴史を遡ってみると、単純にそのように考える訳にはいかないようである。インド仏教によると、「第六天」という欲界の頂に第六番目の天があり、その主が「他化自在天」ということである。これはサンスクリット語でマーラ・パーピーヤス(Māra Pāpīyās)のことで、修行中のブッダ邪魔をしたのがこのマーラである。マーラは漢字では、天魔波旬、魔羅、天魔、悪魔と記されるが、これが日本にも伝わり、中世以来、魔王の存在は認識されるようになったとされている。
かつて織田信長は自身のことを「第六天魔王」と信玄に書き送ったと宣教師のルイス・フロイスは書いている。この「第六天魔王」がサンスクリット語で言うマーラ、つまり魔王のことである。サンスクリット語のマーラの語義は「殺すもの」であるので、やはり雑煮で魔王の臓物を食らうのは、死に打ち勝つことに通じるものであると言えるのだろう。
雑煮は正月に食べられるが、同じくお屠蘇も飲まれる。お屠蘇は、一年間の邪気を払い長寿を願って正月に呑む縁起物の酒だが、屠蘇という言葉の意味は「蘇」という悪鬼を屠(ほふ)る、あるいは、悪鬼を屠って魂を蘇生させるという意味があり、こうした由来から考えてゆくと、正月に魔王の雑煮を食らい、お屠蘇を飲むのは相関性のある儀礼であることが見えてくる。
お屠蘇
かつての宮中では、一献目に屠蘇、二献目に白散、三献目は度嶂散を一献ずつ呑むのが決まりであった。それが時代が下がって室町幕府の時代になると白散だけで三献となり、江戸幕府の時代になると屠蘇だけを三献飲むというスタイルに代わっていった。
もともと式三献という儀礼は武家に強く紐付いたもので、将軍を自宅に招いてもてなす御成などの饗応においては、まず式三献というお酒を酌み交わす儀礼から始められる定めになっていた。1504年(永正元年)に小笠原政清によって伝えられた『食物服用之巻』では、この式三献において初献では雑煮を出すと案内しており、式三献と雑煮の深い関係を示すものとなっている。
式三献では、打ちあわび、勝ち栗、昆布が儀礼的に出されることになっていたが、これは武家ならではの縁起を担いでの理由があった。出陣前の式三献では「敵に打ち(打ちあわび)勝って(勝栗)喜ぶ(昆布)」という意味となる。それと同様に式三献で雑煮がまず出されることも、魔王や鬼に打ち勝つ、つまり死を回避するという意味があるように思われる。
雑煮に関しては『食物服用之巻』には次のような説明がある。
【 食物服用之巻 】
家によっては具材の数が少ない場合もある。式三献で盃が交わされた後に出される肴というのは雑煮のことである。また亀甲に盛られたものは口を付けない。
煎海鼠(イリコ=なまこ)。丸アワビ。かつお。いも。餅。
これら五色(五つの具材)は例式の時に出されても良い。
おなじ図
雑煮の具材は、煎海鼠(イリコ)。串アワビ。里芋。餅。かつお。これら五種類である。盛り付け方は、一番下に里芋、次の串アワビ、三番目に餅、四番目に煎海鼠(イリコ=なまこ)、五番目に餅。その上にまた煎海鼠と串アワビをうまい具合に盛り、その上に鰹節を細く削ったものを散らす。
『食物服用之巻』は、『當流節用料理大全』よりも200年以上も前に出された書であるにも関わらず、既に五臓に対応する、五つの具材が取り上げられているのは興味深い。
先に、中国の医食同源の考え方では、体の悪くなったところがあれば、それに該当する部分を食べて治癒すると述べたが、日本では肉食が実際には一般的に行われなかったことから、他のものを臓器に見立てて食べることが行われていたものと考えられる。よって式三献で食べられる雑煮も、魔王の五臓に見立てて、それらを満遍なく食することでバランスを取り、年の始まりに健康と長寿を願うという意味があったのである。
陰陽五行の食と健康
本来であれば、わたしは食材に不必要に着色することには疑問を感じる。しかし『鯛百珍料理秘密箱』の五色鯛を始めとした、昔の料理における着色という調理方法を考えると、それには単に料理の見栄えを良くすることが目的だったというよりは、むしと陰陽五行のセオリーに倣うことが目的だったのではないかと思えるようになった。つまり昔の人々は食材をこうした五色にすることで、陰陽五行に基づいた食材を揃えてバランスを取り、そしてそれが満遍なく健康に必要な栄養を取ることにつながると考えたのではないだろうか。
現代になってビタミンや炭水化物、タンパク質や脂質などの様々な栄養成分をバランス良く摂取することが人体の健康に必要であることが明らかとなったが、昔の人にはそのような知識はなく、食と健康がどのように結びついているのかを探る試行錯誤の時代もあったことだろう。そうした中で陰陽五行のように自然界にはバランスがあり、お互いを調和させたり、また相反するものを摂ることでバランスを実現するような方法があることを暗黙のうちに理解していたのである。その分かりやすい目安として、まずは食品の色を基準にして、食における健康と栄養のバランスを見ようとしたのは、昔の人のある種の知恵でもあったと言えるだろう。
吉田兼好は『徒然草』で次のような逸話を述べている。
【 徒然草 】第40段
因幡国に住む何の入道とか言う者の娘がとても美しいと噂を聞いて、多くの男達が求婚に来たが、この娘、ただ栗ばかり食べて米類を食べないので「こんな異様な娘を誰かと結婚させるわけにいかない」といって親は結婚を許さなかった。
この段は、様々に解釈可能でよく取り上げられている段である。親がこの娘を嫁に出したいとは思わず、偏食を言い訳に断った等の解釈が成り立つと思うが、あまり語られていない観点からこの段について考察してみたい。
まずこの娘の親は入道ということなので、貴族かあるいは上級武士が出家した人物が、その親ということになるだろう。つまりこの一家は上流の階級にあり、栗だけしか食べないことは、嗜好の問題であって、経済的な問題ではないことは容易に推測できる。上流階級であれば食も豊富で、幾らでも様々な食材を口にすることが出来たであろう。
こうした背景と照らし合わせても、この当時の上流階級の娘が栗しか食べないのはかなり異様ということになる。なぜなら、様々な品目の食材を食べることはこの時代では裕福さと紐付いていたし、また栄養学の存在しないこの時代には、色を基準に(陰陽五行を基準に)あえて異なる色を組み合わせて食べることで、結果的に異なる栄養価のものを食べ、必要な栄養摂取が実現できるような食生活が行われていたはずだからである。
つまり、この娘のように偏食することが異様とされたということから見て、この当時の人は、どんな食事でもとにかく食べて空腹にならなければ健康を保てるのだとは思っていなかったことや、食べたものがエネルギーに変わるのであれば、それだけで健康的に長生きできると思ってはいなかったことが理解できる。
現代ではタブレットやカロリーメイトや栄養バランスの良い機能性食品があり、肉中心で野菜を全く食べないなどの偏食を行う人であっても健康状態を維持できるようになっているが、昔は栄養バランスそのものの概念が定かでなかったはずである。そうした中で、陰陽五行などを基準にしてバランスを考えることで食は発展し、それが健康維持にも寄与するものとなっていたのである。
こうした観点から考えると、この入道の娘に対する栗しか食べようとしない偏食の異様さは、現代人の我々が考える以上に、吉田兼好の時代の人々にとっては異様なものに映ったと思われる。それが事実だったのか、あるいは親が娘を手元に置いておくための言い訳だったのかはさておき、求婚者を退けるための理由としては、こうした偏食というものがかなり異様だと思われる価値観にあったことを、この逸話は現代に示すものとなっているかもしれない。
さて『鯛百珍料理秘密箱』とは103種類もの鯛だけのレシピが収められた本であるが、こうした百珍物の料理本というのは、ひとつ間違えれば偏食本であるというレッテルを貼られてしまうものであるのかもしれない。確かに鯛だけを執拗に使う料理だけを紹介しているのでそのように見られてもおかしくはないだろう。
その中でも興味深いことに『鯛百珍料理秘密箱』には21種類もの着色に関係した料理レシピが、上巻の特に前半の方に集中して多数掲載されており、色を使った鯛料理のバリエーションを紹介することからまず始められている。
この理由は、単に色を使うことで表面上のバリエーションを増やすためというような小手先のものであるというよりは、むしろ昔から伝えられてきた、色に基づく満遍なく栄養摂取するための方法や、それによって実現される健康維持と深く結びつく食事方法が、その根底には昔からあったからかもしれない。
例えば、同じ鯛を素材とした料理ばかりを食べるよりは、それに着色色することによって陰陽五行に基づくバランスを取るならば、栄養の面においてもバランスが保たれるようになると考えていた可能がある。実際にはそのようなことは無いのだが、そのような心がけを普段からしているのであれば、異なる様々な色の食材をバランス良く食べる習慣となり、それが知ってか知らずか様々な栄養価を持った食品からバランス良く養分摂取することにつながり、結果的にはそれが健康をサポートするものとなっていたとも考えられる。そうした観点から、食材への着色という料理方法を捉えるのであれば、頭ごなしにその方法を否定するようなことが出来ないように思えてくるのである。
参考資料
『當流節用料理大全』 四條家 高嶋氏 撰
『食物服用之巻』 小笠原政清
『第六天魔王と中世日本の創造神話(上)』 禰永信実
『第六天魔王と中世日本の創造神話(中)』 禰永信実
『第六天魔王と中世日本の創造神話(下)』 禰永信実
『雑煮から見た食文化』 吉川誠次
『色から見た食文化』 高宮 和彦
『お椀ひとつで一汁一菜 雑煮365日』 松本栄文