エスカベシュ

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エスカベシュとは?


エスカベシュ(escabeche)とはスペインなど地中海沿岸の地域で良く食べられている、魚を揚げて酢漬けにした料理のことである。日本の 南蛮漬 がほぼ同じもので、これはイベリア半島で食べられていたエスカベシュが、南蛮貿易やキリスト宣教師によって伝えられ定着した為である。

エスカベシュ(escabeche)

エスカベシュ(escabeche)


エスカベシュという料理名はカタロニア語の「escabetx」に由来しており、そもそもこの料理の源流には中世のペルシアで食べられていた シクバージ(sikbāj) という料理にあることが定説となっている。この料理が伝搬する過程のなかで「sikbāj」というアラビア語が「iskebech」のように聞こえるため、やがてイベリア半島では「escabetx」または「escabeche」という名前で定着するようになったものと考えられている。


エスカベシュはどのように伝わったのか


エスカベシュは、ペルシアの支配下にあったムーア人(北西アフリカのイスラム教教徒の呼称で主にベルベル人)が、イベリア半島に侵攻することでこの地域に伝えられた料理だった。7世紀にウマイヤ朝ペルシャは勢力を拡大し、その支配地域を北アフリカ、またジブラルタル海峡を越えてイベリア半島にまで拡張していた。

TACUINI

ムハンマド下の領土拡大, 622年–632年
正統カリフ時代の領土拡大, 632年–661年
ウマイヤ朝時代の領土拡大, 661年–750年


上図はウマイヤ朝の勢力範囲を示しているが、このようにイスラム勢力はイベリア半島に影響を及ぼしてきたのである。こうしたイスラム勢力に対するキリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動はレコンキスタと呼ばれ718年から1492年までに行われた。以下の図は、時代によってイベリア半島のイスラム勢力がどのように縮小していったかを示している。

レコンキスタ

年代別イスラム勢力図


一時期はイスラム勢力はイベリア半島全域を支配していたが、キリスト教勢力はレコンキスタによってイスラム勢力を南方に追いやり、最終的には1492年のグラナダの陥落をもってイベリア半島からイスラム勢力は排除されることになった。

1492年は、イベリア半島の歴史的において大変重要な年である。なぜならイスラム勢力を排除して以降、イベリア半島は強固なカトリック信仰国家を確立してゆくことになるからである。1492年にレコンキスタを完成させたのはスペイン・カスティリャの女王だったイサベル1世と、同じくスペイン・アラゴンの国王のフェルディナンド5世のふたりで、彼らは結婚して夫婦となり共同統治を行うことになる。イスラム教徒をスペインから追い出したこのカトリック両王はカトリック教会の保護を積極的に推し進めていったのである。

レコンキスタによって宗教的あるいは政治権力的にはイスラム勢力は排除されることになったが、それでも文化や食習慣はその後も残り続けたはずである。現在でもグラナダに残されているアルハンブラ宮殿はそうしたイスラム文化の名残であり、エスカベシュという料理もまたしかりである。もともとは肉を酢で煮込んで冷ましてから食べられていたシクバージは、やがて魚に代わり甘酢に漬けて冷まして翌日に食べられる料理としてイベリア半島で生き続けたのである。

シクバージがどのように変化していったかについては、ダン・ジュラフスキーの『ペルシア王は天ぷらがお好き?』で説明されており、どのように呼び名が変り、料理のスタイルが変っていったかが説明されている。以下のその変遷図を示しておく。

シクバージ

sikbāj → escabeche の伝搬図


先に北アフリカのベルベル人を通してシクバージがイベリア半島に伝わった可能性を述べたが、上図からはペルシアで産まれたシクバージが地中海北側のギリシャやイタリアを経てスペインまで伝わったように読むことができる。実際にはどのようなルートだったかは定かでないが、イスラム教圏由来であれば前者、キリスト教圏由来であるならば後者と考えるべきだろう。ただこうした食文化は宗教や支配権を越えて伝搬するものなので、名前の由来はさておき、地中海沿岸の地域であればどのようなルートであったとしても必然的に受け入れられ、食べられるようになっていったと考えるべきであろう。よってわたしは南側ルートであっても北側ルートであってもそのどちらもが伝搬ルートであったと見做すべきであると考えている。


ラテン語:スカペータ(Scapeta)


ここからはキリスト教圏のルート、つまり地中海北岸沿いにエスカベシュがイベリア半島にまで到達したと思われるルートを説明しておきたい。現在はスペイン語由来のエスカベシュ(escabeche)が広く知られた料理名・料理方法であるが、中世まではまだその呼び名は存在しておらず、ラテン語ではいわゆるエスカベシュなるものをスカペータ(Scapeta)と呼んでいた。

13~14世紀に記されたと考えられている『Liber de coquina』はラテン語で書かれた料理書である。翻訳するとこの書籍のタイトルは「料理の本」ということになる。14世紀初頭につくられた写本が2種類フランスのパリにある国立図書館に保存されており、現在ウェブですべてを閲覧することが可能である。

『Medieval Cuisine of the Islamic World』

『Liber de coquina』
Latin manuscripts # 7131, fol. 94r-99v,
Bibliothèque nationale, Paris (ca. 1304-1314)


またドイツの大学 Justus Liebig University Giessen が『Liber de coquina』の活字版全文をウェブで公開しているので、こちらも貴重な情報源となっている。 この『Liber de coquina』にはスカペータ(Scapeta)という料理の説明がラテン語で次のように記されている。

【 Liber de coquina 】 IV, 2
De scapeta piscium : ad scabetiam, recipe piscem bene lotum, sicut decet, et cum oleo habundanti frige. Postmodum infrigidatur. Deinde, cepas incisas per transuersum frige in oleo remanenti. Postea, habeas uuas siccas, zenula et pruna, et frige cum cepis predictis simul, et oleum superfluum tollatur.
Accipe ettiam electas species et safranum : tere bene simul cum amigdalis mondatis et distempera cum uino et aceto moderato posito, ne sit nimis acrum. Tunc misce simul cum aliis. Et loco amigdalarum, potes ponere micam panis in uino madefactam et postea trittam. Postea, pone super ignem quousque bulliat et statim depone. Et cum piscis in cissorio concauo ordinatus fuerit, saporem predictam sparge desuper. Quod si uolueris ipsum acrum dulce facere, ponas mustum coctum uel zucaram competenter.

【 意訳 】
魚のスカペータ(Scapeta):魚をそのままたっぷりの油で炒め、その後に冷ましておく。 玉ねぎを切り、魚を炒めた残りの油で炒める。 次に、乾燥させた葡萄、ゼネ、プラムを前述の玉ねぎと一緒にオリーブオイルで炒める。
選択したナッツとサフランを用意しておく。 これらをアーモンドと一緒によく挽き、ワインと適度な酢を混ぜて苦くなりすぎないように和らげておく。アーモンドの代わりに、ワインに浸してからみじん切りにしたパン粉を混ぜることも出来る。その後、火が沸騰するまで火にかけて魚に前述のソースを振りかける。もっと酸っぱく甘くしたい場合は、よく調理されたワイン(強いワインヴィネガー)またはズカラム(甘味)を使うことが出来る。


このラテン語書籍『Liber de coquina』に記載されている魚料理は、明らかにエスカベシュに則った料理方法である。しかしこの時代にはまだエスカベシュという名称は存在しておらず、後で取り上げる1525年にトレドで出版されたルパート・デ・ノーラ(Ruperto de Nola)の『Libro de los Guisados』のような書籍が出版される時代まで、その名称で呼ぶことは待たなければならない。

13~14世紀の段階で、世界的な公用語だったラテン語でエスカベシュがスカペータ(Scapeta)と既に呼ばれていたのは非常に興味深い事実であると言える。『Liber de coquina』の作者の名前は伝えられておらず不明とされているが、ナポリ地域のイタリア人によって書かれたものではないかと考えられており、ここからペルシャのシクバージが、中世の時代になると地中海沿岸に伝わり食されるようになっていた様子がうかがえる。

現在、イタリアのナポリではエスカベシュのことをスカペーチェ(scapece)と呼び、またリグーリア州にはスカベーチョ(scabeccio),「scabecio」,「escabecio」といった異なる呼び名がある。これらはラテン語のスカペータ(Scapeta)に影響を受けたものであると考えられ、同時にシクバージ(sikbāj)により近い音感を残したものであるように思える。

またフランスには「Aspic」という肉や魚をゼラチンで固めた料理があるが、これもまたシクバージ由来の料理であると考えられている。アスピックのように冷めてゲル化させる料理の源流にシクバージ(sikbāj)という料理が存在していることは、アンナ・マルテロッティ(Anna Martellotti)が2001年に著した『Il Liber de Ferculis di Giambonino da Cremona』でも指摘されている。この本では略語でないAl-sikbājという名称が、やがてアスキピキウム(Askipicium)という名称を経て、アスピック(Aspic)となりフランスで食べられるようになったということが説明されている。ここからシクバージは肉を冷まして食べていたことから煮凝りのようにゲル化した料理だったのではないかということも考えられているのである。

いずれにしても、ラテン語のスカペータ(Scapeta)に示されるように、地中海北岸には料理名にもシクバージの痕跡が残されているように感じられることは確かで、イタリアやフランスを経て、スペイン北部に伝わりカタロニア語の「escabetx」という名前になった可能性も考えられるのである。こうした名称の推移からも、どのようにシクバージが変化したのかを辿ることが出来るというのも興味深いことであり、それがエスカベシュにへと変化した経緯をたどるヒントになっているのかもしれない。

また本来シクバージは肉料理であったが、やがてラテン語圏でスカペータ(Scapeta)という名前も得て、「肉」料理から「魚」料理にへと変化し広く普及し始めているのも見過ごせないポイントである。

さらに『Liber de coquina』に記載のスカペータ(Scapeta)のレシピの興味深いところは、ドライフルーツやアーモンドなどのナッツ類、さらにはサフランなどのスパイスが使われているところである。こうした材料が入っていることから、スカペータ(Scapeta)はシクバージ(sikbaj)とかなり近いものであったことがうかがえないだろうか。こうしたフルーツやナッツやスパイスの使い方はイスラム特有のものであり、シクバージがエスカベシュに変化してゆく過渡期には、やはりシクバージに近い味付けが行われていたことを理解できるのである。


スペイン語:エスカベシュの初出


1525年の中世トレドで出版されたルパート・デ・ノーラ(Ruperto de Nola)が記した『Libro de los Guisados』は最初にエスカベシュ(escabeche)という料理名が登場するスペイン語の料理書である。これがエスカベシュの初出であり、そういう観点からはこの料理書は貴重な書物であると言える。

現在のエスカベシュは魚の料理だが、もともとシクバージ(sikbāj)に由来する肉料理であった。やがて時代を経てそれが魚を用いた料理方法にへと変化するようになるが、昔の料理書を見てゆくと過渡期には肉のエスカベシュの存在も散見される。実際に『Libro de los Guisados』には肉と魚を用いたエスカベシュのレシピが記されている。よってこれもまたエスカベシュが、もともとはシクバージという肉料理に由来していることを示すものとなっているのかもしれない。


これから紹介する『Libro de los Guisados』に収められている以下の3つのレシピは、それぞれウサギ肉、ニシキ鯛、鯛を用いたエスカベシュである。これらの中世料理に見られる料理の特徴から、もともとエスカベシュがどのような料理だったのかを紐解くことにしてみたい。

【 Libro de los Guisados 】
BURN ESCABECHE(ウサギ肉のエスカベシュ)
ウサギをローストして関節を切り、鍋に酢:水を2:1の割合で入れる。塩を加え味を調整する。油を加えて、好みの量の甘さを加える。沸騰させてから、ウサギを鍋に入れる。 冷ましてから、生姜、クローブ、サフランを加え数日間漬け込む。

エスカベシュ

BURN ESCABECHE(ウサギ肉のエスカベシュ)

【 Libro de los Guisados 】
PAJELES(ニシキ鯛)
ニシキ鯛は揚げてから煮込んだり、ローストによって調理が行われる。最もよく食べられている方法は、揚げたものをオレンジ果汁とコショウ、あるいは酢と油で漬けるエスカベシュの調理方法である。さらに酢とコショウと生姜とサフランとクローブと魚とオレンジジュースとローレルの葉と蜂蜜に漬ける調理方法もある。

エスカベシュ

PAJELES(ニシキ鯛)

【 Libro de los Guisados 】
BESUGO(鯛)
鯛は、オレンジ果汁、スープ、胡椒、生姜で調理して食する。 またグリルで油を使いローストして調理し、オレンジ果汁とコショウで味を付けを行う。また油で揚げてオレンジ果樹と胡椒に漬け込みエスカベシュにしたものを、ニシキ鯛と同様に煮込んでから食する。

エスカベシュ

BESUGO(鯛)

これらの特徴を見るといずれも酢あるいは酸味のある果汁に漬けこまれていること。さらにスパイスが用いられていることや、漬汁には甘味が加えられているところが特徴である。また魚は油で揚げてから漬込みが行われていることも共通点である。これらは先に挙げたシクバージ(sikbāj)に由来した特徴を持つ料理であることは明らかで、やはりシクバージ(sikbāj)がイスラム教徒によってペルシャからイベリア半島に伝わり、やがてエスカベシュと呼ばれる料理になって拡散したことに間違いない。

『Libro de los Guisados』が出版されたのは1525年である。ローマカトリック教徒が、レコンキスタ(国土回復運動)によってイベリア半島からのイスラム教徒を排除したのは1492年であり、『Libro de los Guisados』はそれから30年後ぐらいに書かれた料理本ということになる。当時のキリスト教徒たちはレコンキスタによってイスラム教徒をイベリア半島から追放することは出来たが、その料理までは排除することが出来なかったということになるのだろう。発音誤りか、あるいは意図的なのかは定かでないが、その料理名を「エスカベシュ」と呼ぶことで、かつてのイスラム由来の料理を自分たちの新たな食習慣として取り込んだとも言える。『Libro de los Guisados』に掲載されているレシピを参照するならば、エスカベシュはスペイン・ポルトガルに既に根付いた料理となっていたことを非常に良く理解できる。


エスカベシュの食べ方


ペルシャ生まれのシクバージ(sikbāj)が冷まして食べられていた料理だったことは注目すべき点である。これはアッバース朝カリフの首都だったバグダードでこの料理が好んで食べられていたことに関係があるのではないだろうか。バグダードは6月~9月まで平均気温は40℃を超える砂漠気候の都市である。こうした気候ゆえに調理後の温いまま食べるよりは、調理後に時間を置いて冷まして食べる方が好まれたのではないか。

このように冷まして食べられるという料理の性質は、その後、ヨーロッパに伝搬したエスカベシュ系の料理全般に共通して見られる特徴となった。これはシクバージ(sikbāj)が食べられていた料理温度が、そのままエスカベシュにも引き継がれた為だと考えられる。


エスカベシュの味の構造


エスカベシュはシクバージ由来の料理であるということは、味の構造からも明らかにすることが出来る。その味の構成を、中世ペルシャ料理のシクバージ、中世のスカペータ、スペイン・ポルトガルのエスカベシュ、日本の南蛮漬と比較したので以下の図に示しておく。

香味 酸味 甘味

シクバージ

スカペータ

エスカベシュ

南蛮漬


スパイス

サフラン

玉葱・唐辛子

葱・唐辛子


ヴィネガー

ワイン酢

柑橘果汁・酢

米酢


はちみつ

ズカラム

砂糖

味醂・砂糖

 

ここから分かることは、いずれの料理も香味、酸味、甘味を柱とした味の構成であり、各料理は時代や素材は違えど、同じ味の構成で料理が組み立てられているということである。10世紀のペルシャの料理書に記されたシクバージは、地中海沿岸に伝搬してイベリア半島でエスカベシュとなる。やがて800年以上もの時代を経て遠く離れた日本にもたどり着き、それが南蛮漬となって日本の料理として定着することになったのである。
しかしながらいずれの料理においても、アラブの中世料理シクバージの持っていた料理の味の特性、味の構成は時代を越えて保持され続けることになり、エスカベシュあるいは南蛮漬のなかに現代の我々はそれらの構成要素を確認することが出来るようになっている。香味、酸味、甘味を引き出すための料理素材は地域や時代によって変わっているが、こうした遺伝子を持つ料理の味覚の在り方が、現代でもそのストラクチャーを保ちながら連綿と食べられているということは非常に興味深い事実であると言うべきであろう。


エスカベシュと南蛮漬


エスカベシュと南蛮漬は兄弟関係にあると言っても良い。当然ながらエスカベシュが兄、南蛮漬が弟である。なぜならスペインやポルトガル人宣教師たちがエスカベシュを日本に伝え、それが南蛮漬として定着したからである。

さらにこの兄弟(エスカベシュと南蛮漬)には親とも言える料理が存在し、それが シクバージ(sikbāj) というペルシアの料理だったのである。こうした料理が昔から存在し、世界中を駆け巡って食べられてきたことは非常に興味深いことであるし、こうした食べ物を軸とした関係や、地図のようなものが出来るとより興味深いものとなるに違いない。そして今後はこうした異なる角度からの歴史的な考察も、新たな知見の発見には必要なことなのかもしれない。

健康志向の現代人は、野菜などの食品の生産地や生産者の顔が見えることを好んで消費する傾向にある。よって料理にも安全・安心と結びついたトレーサビリティに関心を持つ消費者は少なくない。しかしそうした素材を使って作られる料理に関する由来についてはどうだろうか。それがどのような経緯を経てあなたの口に運ばれるようになったのかを歴史的に知ること、つまり料理の起源のトレーサビリティにもまた関心を持つのならば、より食卓に載せられる料理の美味しさも増すのではないだろうか。今度、エスカベシュ、あるいはもっと身近な料理の 南蛮漬 を食卓で食べる時には、ぜひとも世界を駆け巡って伝えられたその料理の歴史を感じながら頂くことにしたいものである。







参考資料


『ペルシャ王は「天ぷら」がお好き?』  ダン・ジュラフスキー 著 小野木明恵 訳

『The Language of Food:A Linguist Reads the Menu』  Dan Jurafsky

『Liber de coquina』  作者不明

『Il Liber de Ferculis di Giambonino da Cremona』  Anna Martellotti

『Libro de los Guisados』  Ruperto de Nola

『天麩羅』  河田容英

『シクバージ(sikbāj)』  河田容英

『フィッシュ & チップス』  河田容英