浅黄鯛
浅黄鯛
浅黄鯛のレシピ
紅粉鯛は、江戸時代の1785年に出版された『鯛百珍料理秘密箱』に掲載されている2番目のレシピである。『鯛百珍料理秘密箱』原文には以下のような説明がある。
【 鯛百珍料理秘密箱 】浅黄鯛
黒豆弐合ほど、汁の黒くなるまで焚、こしらへおき、鯛は、うす塩をあておけば、能染り申候。是も熱湯にざぶと入れ、直にあげ、右の汁へ漬申候。此遣ひ方も、前書の通り、料理人のこころにまかすべし。
【 浅黄鯛 訳文 】
黒豆を二合ほど、汁が黒くなるまで炊いておき、鯛は良く染まるようにうす塩を振っておく。これを煮え湯に漬けてから直ぐに引き上げ、黒豆の汁に漬ける。料理への使い方は、さしみ、小皿もの、提重など、料理人のそれぞれの調理方法にまかせて行っても良い。
レシピ解説
浅黄鯛のレシピでは鯛に色付けするための方法が説明されている。ここでは黒豆の煮汁を使って染める方法が述べられているが、実際は真っ黒に染まる事はなく、浅黄色に染まるようなので「浅黄鯛」という料理名になっている。
『鯛百珍料理秘密箱』には他にも鯛を黒色に染めるレシピが他にも二つ掲載されている。ひとつは「五色鯛」であり、鯛を五色に染める方法の中に黒色も含まれている。もう一つは「巻鯛」のレシピである。この両方のレシピでは黒く染める為の方法として鍋炭で着色する方法が記されており、こちらの方が鯛により濃く黒色を付ける方法だったと考えられる。
なぜこのような着色が行われたのかを簡単に説明しておくと、日本料理には陰陽五行の思想が根底にあり、陰の要素と陽の要素、さらには五色でもって料理のバランスをとり調和させようとするからである。まだ栄養素について理解されていなかった時代には、タンパク質、炭水化物、ビタミンなどをバランス良く摂取することは難しかった違いない。そこで五色のような目に見える方法を通して、偏りなく様々な食品を食べることで、必要な栄養素をバランス良く摂取するための分かりやすい方法がとられていたのだと考えられる。
陰陽五行と日本料理の関係については「五色鯛」で説明しているので、改めてそちらを参照して頂きたい。
日本の黒色料理
ここで日本の料理のなかで黒い料理を取りあげて、どのように黒色に染められているのかを参考にする。ここでは、黒豆、イカスミ料理、ごぼう料理の三つを取り上げてどのように黒い料理が作られるのかを見ることにしよう。
黒豆
よく黒豆は丹波産の「丹波黒」という黒色の大豆品種をもって最高の品質であるとされている。丹波黒は栽培期間の長い晩生の品種で、しかも繊細で作業に機械を使用するとキズ豆や割れ豆が多くなってしまうため、植付けから収穫まで主に手作業で収穫・出荷される。また丹波黒大豆は、極大粒の黒豆で直径が10〜11mmあり、普通の黒豆よりもひと回り大きい品種である。
正月になると黒豆を煮たものがおせちに加えられるが、その黒豆はシワがなく、ふっくらと、艶やかに、深い黒色で仕上げることが期待されている。これには大変に時間も手間もかかるのだが、そのような方法でしっかりと煮られた黒豆は非常に美しく美味しい。
黒豆は初めから黒いのでそのまま煮ても黒い料理にはなるが、より黒い黒豆に仕上げるため鉄釘と少量の重曹を加えて煮る方法がとられる。黒豆の皮にはアントシアニン色素が含まれているが、それに鉄分が反応することで、より黒々となるのである。
ごぼう
㈳日本料理研究会は「黒板牛蒡」という料理を紹介している。これはゴボウを炒める料理で、特に黒い色素を加える訳ではないが黒色に仕上がるのである。その方法の特徴は調理の際に鉄鍋を使用することである。鉄鍋によってアクをゴボウに還元させて、空気に触れている部分にアクが絡んで黒く染まるのである。
ゴボウにはポリフェノールの主要基質であるクロロゲン酸が多く含まれている。そのゴボウを鉄鍋で炒めることで、鉄鍋から出る鉄イオンと、ゴボウのクロロゲン酸が反応して第二鉄化合物ができるのでゴボウは黒く染まるのである。
クロロゲン酸
この現象は「after-cooking discoloration」と呼ばれる。例えばじゃがいもを茹でた時に水煮黒変といって暗褐色になる場合があるが、これも同じような現象で、じゃがいもの鉄分の含有量が多いときに、クロロゲン酸とが結合して起こる。「黒板牛蒡」はクロロゲン酸と鉄との反応から、黒色が強く引き出された料理ということになるのだろう。
いか墨
いわゆる日本料理と呼ばれるなかでイカスミを使って調理される料理はないが、郷土料理にはイカスミが使われた料理が存在している。ここで有名な各地のイカスミ料理を取り上げておく。
① 長崎:イカの黒みあえ
「イカの黒みあえ」は長崎県平戸市の生月島の郷土料理である。『聞書き長崎の食事』には、1550年に平戸にやってきたフランシスコ・ザビエルが、キリスト教の布教活動の助けとして日本人にイカの黒みあえを伝授と伝えられていることを記している。その後も1558年頃にはイエズス会宣教師のガスパル・ヴィレラ、また1561年にはルイス・デ・アルメイダ布教を行い、約2,500人の島民のうち800人ほどがキリシタンとなったことが『キリシタン史考 - キリシタン史の問題に答える』には記されている。こうして生月島のキリシタンは増加を続け、最終的に6世紀末には、ほぼ生月島の全島民がキリシタンになっていたとされている。こうしたポルトガル人宣教師の布教活動とともに、ポルトガル由来のイカ墨を食する文化がこの地域に伝えられ、やがてはこの地域に根付いて郷土料理化したものと思われる。
イカの黒みあえ
「イカの黒みあえ」は「くろまえ」とも呼ばれている。平戸や近隣の島々では祭りの日にこの真っ黒な和え物を食べる。9月ころから獲れるミズイカ(あおりいか)や、モンコイカを開いて、墨の袋を破らないように取り出して口の方を墨が出ないように括ってから煮立った湯の中で茹でておく。身の方はさっと茹でて、短冊か輪に切る。ソースの方は、すり鉢に胡椒と胡麻を入れて摺り、その後に味噌・砂糖を加えてさらに摺ったものに、先ほどの茹でた墨袋を入れて黒く艶が出るまでさらに摺る。最後にこのソースにイカを和えれば「イカの黒みあえ」は完成である。
② 石川:イカの黒煮(黒作り)
能登半島の石川県七尾市小島町に戦国のキリシタン大名だった高山右近ゆかりの本行寺がある。この寺は隠れキリシタンの寺として、禁令下でのキリスト教信者の崇拝の場でもあったが、そこに宣教師由来の「イカの黒煮」という南蛮料理が伝わったとされている。
黒作り
高山右近は牛肉を食したことでも知られているように、西洋の食に対しては進取の気性を示す人物であったのだろう。よって高山右近は、イカの黒煮のようなポルトガル由来の真っ黒い料理も抵抗感なく食したものと考えられる。その後もこのイカの黒煮は、能登の地域に影響を与えて、この地域ではクリスチャンに限らずイカ墨料理を食べる風習が根付いたとされている。
江戸時代になり加賀藩の包丁侍だった船木伝内が『料理無言抄』という書籍を書き記す。船木伝内は映画「武士の献立」で取り上げられた実在の人物で、映画では二代目の舟木伝内包早を西田敏行、三代目の長左衛門安信を高良健吾が演じていた。そこで船木伝内の名前にはピンとこなくても、映画でご存知の方は多いかもしれない。
二代目の舟木伝内包早(1685-1759)は、加賀藩の御料理人として仕え藩主の「御膳方」となった。また息子の舟木長左衛門安信(生年不詳-1779)も御料理人として仕え「御膳方」からさらに出世して「御膳方棟取」になっている。この親子が共著で食材に関する書を記したのが『料理無言抄』であり、このなかの烏賊の項で「イカの黒煮」について説明がある。
【 料理無言抄 】
能列名産,御献上御進物ニ出,醢之所ニ詳也 可見合越中越後之山ノ下ニテモ認ル,正二月賞味す,其外他国に無之
【 訳文 】
能登の名産である。御献上品や御進物として出され「醢」の項に詳しい説明がある。この料理は越中や越後の山ノ下でも正ニ月に食されている。その他の地域にはこの料理は無い。
さらに『料理無言抄』の醢の項には黒作として、以下のように説明がある。
【 料理無言抄 】
黒作:越中魚津滑川ヨリモ出能列最上トス,十二月作込也,正二月賞翫也,御献上御進物ニ出,他国二ハ無之物也,柔魚ヲ以作ル黒味ハ,イカノ墨黒汁也
【 訳文 】
黒作:越中、魚津、滑川でも作られるが能州のものを最上である。十二月に仕込まれ、正二月に食べられる。御献上品や御進物として出され、他国にはこのような料理は無い。柔魚(するめいか、たちいか)で作られ、黒色はイカの墨汁である。
ここでは黒作と呼ばれるイカの黒煮がスルメイカやタチイカ(アオリイカ)で作られると説明されている。このまたホリセイカという種類のイカに関する説明のなかにも黒作について述べられている。
【 料理無言抄 】
ホセリイカ
江戸二無之,春秋御国ニテ有之宮ノ腰浦,能列越中ニテモ夜中釣ナリ,釣揚ルト人ノクサメノ如ク音シテ黒味ヲ吐,未多吐サル内二煮ル是ヲ黒煮ト云,風味最良,腹ハ子多シ,筒煮ハ丸ノ一煮ヲ云,山椒入味ヲ増ス黒作カキコミ二モ是ナリ。
【 訳文 】
ホセリイカ
江戸には生息していない烏賊であり、春と秋に加賀の宮ノ腰浦や、能登、越中でも夜中に釣れる。釣り上げると人がクシャミをするような音をたてて墨を吐く。あまり多く墨を吐かないうちにこれを煮たものを「黒煮」と云い風味が非常によく美味である。腹には卵を多く持っている。丸一杯をそのまま煮たものを筒煮と云い、山椒を入れ味を増して黒作として食べられているのもこの料理のことである。
よってこのホセリイカという種類の烏賊もイカの黒煮(黒作り)で食べられていたようである。いずれしても加賀・能登ではイカスミ料理がこの定着して郷土料理として受け入れられていたことがよく分かる。船木伝内は加賀の各地を回って、料理素材についても記録を残したとされており、そうした仕事の功績によって、この料理のルーツが分かるようになっているのも大変興味深い話である。
③ 沖縄:イカ墨汁
沖縄にはイカ墨汁という郷土料理がある。沖縄は長年にわたって続けられてきた中国との交易によって大陸の文化の影響を強く受けており、中国でもない、日本でもない琉球王国独自の食文化がつちかわれてきた。中国の料理の根本には「医食同源」という考えがあり、その影響を受けた沖縄・琉球王国の料理には多くの薬膳食が含まれているのが特徴である。そうした薬膳食の一つが「イカ墨汁」であったと考えられている。
これとは別に、ポルトガルからの宣教師がイカ墨汁を伝えたという異なる説も伝えられている。このようにイカ墨汁のはっきりとした起源は定かではないのだが、文化と交易の交差点である沖縄で様々な要素が混在した結果、生み出され食べられるようになった料理であることには間違いないだろう。
イカ墨汁
地中海料理に代表されるイカスミパスタは、コウイカから取られる、ねっとりとした粘性のある墨が使われている。それに対して沖縄料理のイカ墨汁では粘度よりはコクが重要視されるので、シルイチャーと呼ばれるスミイカを使うのが定番となっている。スミイカは身が大きく、墨の量も多いことがイカ墨汁には向いているようである。
イカ墨の色素成分はメラニンであり、アミノ酸が含まれていることで粘性がある。またムコ多糖類という糖質が含まれており、健康にも非常に良い食品であるとされている。やはり沖縄料理のイカ墨汁には「医食同源」というコンセプトが根底にある健康食なのである。
日本のイカスミ料理
上記3つのイカスミ料理を見てきたが、そのいずれもが日本由来の料理ではなく、何らかのかたちで他国から持ち込まれた料理が発展して郷土料理として根付いたものだったことが分かる。イカスミの利用はキリスト教徒と共に宣教師がもたらした食習慣でもあり、宣教師由来の各地域にイカスミ郷土料理が残されているのは大変に興味深いことである。
調理方法のポイント
浅黄鯛は黒豆の煮汁で染めるため、実際は先の述べた幾つかの料理とは違い真っ黒に染まる事はない。実際には浅黄色に染まることから「浅黄鯛」という料理名になっている。
この浅黄色は、同じ読みをする浅葱色と間違われることがあり、混同しないようにしておかなければならない。以下に二つの色の違いを示しておく。
浅黄色(#FFCC33) : 浅葱色(#00A4AC)
浅黄色は黄系統の色であるが、黒豆の汁を使って色付けをするところに意味があったのだろう。黒豆を使って着色し、黒の要素をその素材(鯛)にまとわせることで黒い料理と見立てたのである。
浅黄鯛のレシピには「煮え湯に漬けてから直ぐに引き上げ、黒豆の汁に漬ける」とある。これは表面に熱が入り少し煮えることで色が付きやすくなる為である。そこで煮え湯に漬ける代わりに、寿司でマグロの漬けのためなどにも用いられる、湯引きの方法を用いても良いのではないかと考えている。
鯛を湯引きにする際には、松皮造りにするために表面の皮にだけ熱湯をかけるが、浅黄鯛の目的は着色にあるので表面全体にまんべんなく熱湯がかかるようにして湯霜としたほうが良い。湯をかけた後には氷水につけて粗熱をとり、身にまで熱が入らないようにすべきである。江戸時代の浅黄鯛のレシピには氷に漬けてないが、氷がまだ貴重だった時代背景を考えるとそれも納得いくことであるが、氷が容易に作れる現代では、熱を入れた後は、必ず氷水に漬け、クッキングペーパーなどで水気を無くしてから黒豆の汁に漬ける手間が必要だろう。
黒豆の汁に漬けるだけだと、どうしても水っぽくなる恐れがある。よって黒豆の汁に醤油と少量の味醂を加えて漬け込む方法が良いのではないだろうか。その目的は色も付けるが味も含ませて調味するためである。ただし黒豆の汁ではあまり色は付かず、あまり濃い醤油に漬けると塩辛くなってしまうため、漬ける時間には特に細心の注意を払う必要がある。表面が少し色づき浅黄色になる程度の1〜2時間ぐらいを目安にすると良いだろう。
現代のレシピ
黒豆を二合ほど、汁が黒くなるまで炊いておく。
黒豆汁には醤油を味醂を加えて少し煮てから冷ましておく。
おろした鯛の身に薄く塩を振っておく。
↓
鯛の身の表面にまんべんなく熱湯をかける。
熱湯をかけてからすぐに氷水に漬けて熱をとる。
キッチンペーパーで鯛の身の表面の水気を取る。
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表面が湯霜になった鯛を黒豆の汁に漬ける。
(目安は1〜2時間)
↓
浅黄色がついたら黒豆汁から引き上げる。
↓
鯛の身を刺身にして盛り付ける。
参考資料
『食物の配色』 高宮和彦
『聞き書長崎の食事』 「日本の食生活全集長崎」編集委員会編
『武士の献立』 大石直紀
『包丁侍舟木伝内 : 加賀百万石のお抱え料理人』 陶智子, 綿抜豊昭 著
『料理無言抄』 舟木伝内・舟木安信