プロフィットロール

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プロフィットロールとは?


プロフィットロール(Profiterole)とは、ペイストリークリームあるいはクレーム・シャンティイやアイスクリームを詰めたシュー菓子で、表面はチョコレートソースで覆われている。日本人には親しみのあるシュークリームの小さいものがプロフィットロールと言うと伝わりやすいかもしれないが、こうした説明も時には混乱を招くことがある。なぜなら世界で使われているこの菓子名は、それぞれの地域でニュアンスや表現が多少異なっているからである。

プロフィットロール(Profiterole)

プロフィットロール(Profiterole)


そもそも日本で一般的なシュークリームという菓子の名称は完全な和製外来語であって、日本でしか通用しない。英語圏でシュークリームと言うと、間違いなく靴磨き用のクリーム(Shoe cream)のことだと勘違いされるはずである。

本場のフランスでは、日本人がシュークリームと呼ぶ菓子のことは「シュー・ア・ラ・クレーム:choux à la crème」と呼ぶ。もともとフランスで誕生した菓子なので、この名称が一番正しいと言えばそれまでなのだが、日本人がシュークリームと呼んでいるのと同じく、世界中の様々な各地域で、それぞれ異なる名称でこの菓子は呼ばれているのである。よってフランス語のシュー・ア・ラ・クレームという名前が、必ずしも世界の主流になっているという訳ではない。

例えばアメリカでは、シュークリームのことは「クリーム・パフ:cream puff」と呼んでいる。さらにイギリスではサイズの大きい小さいに関わりなくシュークリームのことは「プロフィットロール:Profiterole」と呼ぶ。

さらにプロフィットロールを小さいシュークリームとして呼び分けようとするのも違うようで、フランスでは大小のサイズを問わずシュー・ア・ラ・クリームと呼び、必ずしも小さいサイズのものをプロフィットロールと呼んでいる訳ではない。例えばクロカンブッシュやサントノレといった小さめのシューを使う菓子があるが、フランス語で書かれたレシピを見てもこれをプロフィットロールと説明してはいない。敢えて小さいシュー・ア・ラ・クレームの名称を言う場合は、シューケット:Chouquette)、あるいはプチ・シュー(petit choux)などと呼ぶようである。これに対して英語で書かれたレシピを確認すると大小を問わずプロフィットロールとあり、当然のごとくクロカンブッシュやサントノレに用いるのはプロフィットロールだと説明している。

加えてややこしいことに現代のフランスでは、バニラアイスクリームを詰めて上からチョコレートをかけたシュー菓子のことをプロフィットロールと呼ぶのが一般的になっている。つまりフランスではシュー・ア・ラ・クレームとプロフィットロールは全くの別物であるが、イギリスではシュー・ア・ラ・クレームとはそれすなわちプロフィットロールのことなのである。一方、フランスではサイズに関係なく大きいものも小さいものもアイスクリームが詰められていればプロフィットロールと呼ぶ。

最近では日本でも、シューにアイスを詰めてチョコレートソースをかけたものがプロフィットロールとして認識されるようになってきているように思われる。しかしこれは高級感のあるスイーツとしてであって、一般的には、まだこうした菓子はシューアイスという方が伝わりやすい。このようにプロフィットロールは、世界でも良く食べられる一般的な菓子であるにも関わらず、その呼び名とレシピがバラバラで一致していない、実にややこしいことになっている菓子なのである。


プロフィットロールに関する文献


現代のプロフィットロールの表記は「Profiterole」であるが、昔の文献などを調べると「prophitrole」、「profitrolle」、「profiterolle」、「pourfiterolle」といった幾つかの異なるスペルで記載されている。ここからは歴史的な文献や辞典を紐解きつつ、プロフィットロールの名前の起源、さらにプロフィットロールがどのように変化してきたのかを追ってみることにしたい。




16世紀プロフィットロール文献


料理史を見てゆく中で16世紀の重要な出来事は、1533年にイタリアからカトリーヌ・ド・メディシスが、アンリ2世に嫁いでフランスにやって来たことである。この時に様々なイタリアの料理文化がフランスにもたらされ、こうした影響を受けてフランス料理が洗練されていったというのが定説のようになっている。この時にフランスに伝えられた菓子が、アイスクリーム、フロランタン、マカロン、ホイップドクリーム、そしてシューであるとされているが、これらには文献的な証拠は残されていない。その由来を語る際に、何でもカトリーヌ・ド・メディシスを起源とする傾向があり、わたしはそこに違和感のようなものを感じることがある。

この時にシューが伝えられたというのも定説のようになっていることから、それに類するプロフィットロールも、イタリアから伝えられたのでなければカトリーヌ・ド・メディシス由来の説は全体的に整合性を持たないことになる。こうした由来説への検証の意味も含めて、プロフィットロールがどのように16世紀の文献で説明されてきたのかを年代を追って確認することにしたい。


England
1515年:『Egloges』


詩人で英国国教会の聖職者だったアレクサンダー・バークレー(Alexander Barclay:1476–1552)が、1515年に書いた『Egloges』がプロフィットロールの文献初出である。ここには以下の記載がある。

【 Egloges of Alexander Barclay 】4巻, p32  To toast white sheuers, and make prophitroles, And after talking oft time to fill the bowles.

【 訳文 】
白い生地を焼いて、しばしば会話しながらボウル一杯のプロフィットロールをつくって満たす。


アレクサンダー・バークレーは5巻の『Eclogues』を書き、その一部は1518年頃に印刷され、1570年版で全文が印刷・出版された。今回引用している上記画像は、その1570年版をそのまま再出版した1885年版である。

Egloges of Alexander Barclay

『Egloges of Alexander Barclay』
Alexander Barclay 著


ここにはプロフィットロール(prophitroles)がどういったものかの詳細はないが、プロフィットロールという食べ物に関する最初の言及であることから、重要な記述となっている。こうした記録からプロフィットロールは16世紀から既に存在していたことが確認できる。


France
1549年出版:『Dictionnaire françois-latin』


『Dictionnaire françois-latin』はフランス・パリで出版された仏羅語辞典(フランス語‐ラテン語)である。ロベール・エスティエンヌ(Robert Estienne:1503-1559)が1549年に出版したもので、プロフィットロールについて簡潔ながら以下のように記している。

【 Dictionnaire françois-latin 】p499
Profiterolle, Turunda subcineritia, vel focacea.

【 訳文 】
プロフィットロール、焼かれた粉、または焼かれた小麦粉のもの。


ここでも、イギリスの『Egloges』と同じで、食品としてプロフィットロールが説明されている。この辞書からプロフィットロールが小麦を焼いたもの(パンの一種)であることが分かる。

『Dictionnaire françois-latin』

『Dictionnaire françois-latin』
1549年刊:Robert Estienne 著


この辞典で示されている、プロフィットロールが灰で焼かれるという要素は、後に出版されるあらゆる書籍が行うプロフィットロールに関する説明のなかに、必ずと言って良いほど入ってくる要素になっている。




17世紀プロフィットロール文献


17世紀のフランスは太陽王ルイ14世の治世のもと、宮廷文化が開花し、洗練されたフランス特有の料理文化が生まれたグランド・キュイジーヌの時代であった。またこの時期には、ラ・ヴァレンヌ、L・S・R、フランソワ・マシアロといった料理書を書き残した名シェフたちも登場した。ラ・ヴァレンヌとマシアロはプロフィットロールのレシピを残しているので、後の説明のなかで詳しく取り上げることにしたい。


England
1611年出版:仏英辞典


次に挙げるのはイギリスの辞典編纂者だったランドル・コットグレイブ(Randle Cotgrave:?-1634)が、1611年にロンドンで出版した仏英辞典である。この辞典のタイトルは、『A Dictionarie of the French and English Tongues compiled』であり、この辞典にフランス語の「プロフィットロール」が掲載されており、その意味が英語で以下のように説明されている。

【 A Dictionarie of the French and English Tongues compiled 】
Profiteroll: as Prourfiterolle ;
and in the plurall (Profiterolles) be the small vayles, as drinkingmoney, point, pinnes, & c, gotten by a valet or groome in his maisters service.

【 訳文 】
Profiteroll もしくは、Prourfiterolle ;
また、複数形(Profiterolls)では、主人に仕える近侍や従者が得る、酒代、ポイント、ピンなどの小銭を意味する。


ここではプロフィットロールに新たな意味が付け加えられる。このフランス語辞典では、プロフィットロールとは、主人から近侍や従者に与えられる「駄賃やチップ」のようなものであると説明しているのである。
しかしこの辞典では、16世紀の文献で示されていたような食べ物としてのプロフィットロールの説明が抜け落ちている。よって「主人が召使に与えるチップ」という今までになかったこの意味は、この時代になってフランスからイギリスへと伝えられたと考えられるのかもしれない。

Egloges of Alexander Barclay

『A Dictionarie of the French and English Tongues compiled』
Randle Cotgrave著:1611刊


この時代頃から、プロフィットロールはふたつの意味を持ち始めるというところに注目すべきである。ひとつは焼いたパンという食べ物、そしてもうひとつが「ちょっとした駄賃あるいはチップ」という意味である。


France
1651年出版『Le Cuisinier François』


ラ・ヴァレンヌ(François Pierre de la Varenne:1618-1678)は、17世紀フランスの料理人である。ラ・ヴァレンヌは料理人としてだけでなく、料理書の著者としても優れていた。そのことは1651年に出版した『Le Cuisinier François:フランスの料理人』で、料理名をアルファベット順にするなど今までにない新しい掲載方法を採用していることからも理解できる。この料理書は中世由来の料理方法を脱却し、現代的なフランス料理の基礎を築くことになる重要な一冊なのである。

Le Cuisinier François:フランスの料理人

『フランスの料理人』1651年刊 初版


1651年初版の『Le Cuisinier François:フランスの料理人』p.8には「ポタージュ・ド・プロフィットロール:Potage de Profiterolles」のレシピが掲載されているので引用しておく。

【 フランスの料理人 】1651年初版 p.8
Potage de Profiterolles
作り方は以下の通りである。まずは小さなパンを5、6個ンを取り、上部に小さな穴を開けて中身を取り除く。その後、パンの蓋と側を乾燥させし、パンを軽く油で焼くかラードで炒める。次に良質のブイヨンでパンを煮込み、このパンをポタージュに入れて、鶏冠、仔牛の胸腺肉、ベアティーユ、トリュフ、シャンピニオンをパンに詰める。パンが浸るまでブイヨンを注ぐ。供する前に上に余分の油を捨てる。


中身をくり抜いて中に様々な具材を詰めてポタージュに入れるとある。これは以前のプロフィットロールとは異なる用い方で全く新しい調理法である。それまでのプロフィットロールはあくまでもパンとして食べられていたが、ラ・ヴァレンヌはポタージュの一部としてこれを用いたのである。

プロフィットロールをポタージュに入れるということから、クルトン(浮き身)のような感じを想像するが、実際は沢山具材が入っているポタージュというイメージである。かつて食卓には大きなスープ鉢が置かれ、各自がレードルですくって食べるようになっていた。このポタージュには、複数のプロフィットロールがゴロゴロと入っており、加えてベアティーユ(肉の具材)も多種添えられていた。現代人の我々からするとポタージュというよりも一品料理のような感じになっていたことだろう。

またプロフィットロールのサイズ感を表すのに「小さい:petits」という形容詞が使われている。ラ・ヴァレンヌ以前はこうした記述がないので、プロフィットロールは普通のサイズだったと思われる。その後、プロフィットロールは小さなサイズでつくられるようになるが、これはポタージュの具材として使われるようになったことと深く関係しているのではないだろうか。サイズを小さくしたのは、プロフィットロールが大きすぎるとポタージュとして食べにくかったからかもしれない。

ラ・ヴァレンヌが考案した、プロフィットロールをポタージュに入れるという調理方法は、18世紀の料理人たちに大きな影響を与えた。こうした調理方法は、その後約300年程続けられることになるが、その最初のレシピはラ・ヴァレンヌのものだったことはプロフィットロールの歴史における重要なポイントである。


France
1690年出版:『Dictionnaire universel』


次に取り上げるのは『Dictionnaire universel, contenant generalement tous les mots françois, tant vieux que modernes』という百科事典的な性格をもったフランス語辞典で、アントワーヌ・フレティエール(Antoine Furetière:1619-1688)によって編纂された。フレティエールはフランス人の辞典編纂者だったが、フランスでの進まない辞書編纂作業に嫌気がさし、独自のフランス語辞書を出版しようとしたことからアカデミー・フランセーズから追放されてしまった。そのためフレティエールの死後になってアムステルダムで出版されることになったという経緯の辞書である。

出版された場所は国外ではあるが、内容や言語的な意味はフランスに基づいたものであり、プロフィットロールについては以下のように説明されている。

【 Dictionnaire universel 】
Profiteroles:
Ce mot se disoit autrefios d'une pate cuite sous les cendres. Maintenant les Cusiniers font encore des potages de profiteroles avec de petits pains degarnis de mie, sechez, mitonnez, & garnis de beatilles.

【 訳文 】
プロフィットロール:
この言葉は、灰の下で焼いた生地(pâte)を指す言葉として使われていた。現在では料理人たちが小さなプロフィットロールの中身をくり抜いて乾燥させたものを入れて軽く煮て、これにベアティーユ(beatilles:雄鶏のとさかや精巣、仔牛胸腺肉、マッシュルームなどの煮込み)を添えたポタージュをつくる。


ここにはプロフィットロールがどのように食べられていたか詳しく説明されている。まずプロフィットロールが灰で焼かれるという要素が過去の文献から共通して語られている。

Egloges of Alexander Barclay

『Dictionnaire universel』
Antoine Furetière著:1690年刊


また中身をくり抜いて乾燥させたものをポタージュに入れ、ベアティーユを添えて出すというのはラ・ヴァレンヌの方法と同じである。この辞書編纂者のアントワーヌ・フレティエールは間違いなく、ラ・ヴァレンヌの『フランスの料理人』を参照したものと考えられる。

料理書ではなく、辞書でもこのような説明が掲載されていることから、約40年前にラ・ヴァレンヌが考案したプロフィットロールをポタージュに入れて食べる方法は一般的になっていたことが理解できる。


France
1691年出版『Le Cuisinier roïal et bourgeoi』


ラ・ヴァレンヌがレシピを記して以降、他の料理書でもプロフィットロールをつかったレシピが掲載されるようになった。

Le Cuisinier roïal et bourgeois

『Le Cuisinier roïal et bourgeois』
『王室とブルジョワ家庭の料理人』


1691年に料理人のフランソワ・マシアロが出版した『Le Cuisinier roïal et bourgeois:王室とブルジョワ家庭の料理人』には、プロフィットロールを用いた以下のようなレシピが記されている。

【 Le Cuisinier roïal et bourgeois 】初版 p392
プロフィットロールのポタージュ
スープ・オ・クルートに使うような小さな丸いパン [petit pain rond] を用意する。それに詰め物をし、仔牛の肉汁と良質の牛肉で煮込む。火が通ったら、ウズラ肉か去勢鶏の端肉を少々添えて焼いたパンの上に並べる。肉汁を作った肉でクーリを作り、それを漉してポタージュに注ぎかける。皿に盛るときパンの上にアーティチョークをひとさじ、中にマッシュルームを数個入れ、フリカンドゥかリードヴォー(胸腺肉)を添える。


マシロアのプロフィットロールは、ラ・ヴァレンヌの方法にならったレシピである。ポタージュとして供されているが、多種多様な具材が入っていることから、ポタージュ(スープ)というよりはラグーのような一品料理に近い感じである。

マシアロは同書で「Potage de Profitrolle, garni de Poupiettes」というレシピも紹介している。これはプロフィットロールに仔牛肉のラグー、マッシュルーム、トリュフ、ムースロン、モリーユ、クレスト、アーティチョークを詰め、ポーピエット(肉料理)を添えた料理である。これに仔牛から取った白いクーリをかけるのだが、この料理名がポタージュであるので、かなり多めに浸るぐらいの量をかけたものと思われる。

さらに同書に含まれているプロフィットロール料理は、「Autre Potage de Profitrolle」である。これは最初の「プロフィットロールのポタージュ」の別ヴァージョンであり、プロフィットロールにハムを詰めたものと、去勢鶏を詰めたものを混在させて、他は同じようにポタージュとして供する料理である。

こうしたレシピを見てゆくと、17世紀のプロフィットロールはデザートではなく、あくまでも料理として食べる為のものだったことがはっきり見えてくる。17世紀のプロフィットロールは、必ずといって良い程、ポタージュとして供されており、その上にはクーリがかけられるという料理構造(構成)になっている。20世紀になってプロフィットロールは、上からチョコレートクリームをかけることが特徴となるが、こうした上からかけるという手法は過去から共通しており、料理の構成がそのままデザートのプロフィットロールにもスライドしていったのではないかという推測も出来そうである。


France
1696年出版『Le grand dictionnaire des arts et des sciences』


1696年にアムステルダムで出版されたフランス語辞典にプロフィットロールについての説明がある。

【 Le grand dictionnaire des arts et des sciences 】第4巻(M-Z)
PROFITEROLES. 1. m. Les Cuisiniers appellent Potage de profiteroles, Un potage fait avec de petits pains dégarnis de mie, sechez, mitonnez & remplis de beatilles. Ce mot s'est dit autrefois d'une paste cuite sous les cendres.

プロフィットロール。1. m. 料理人がプロフィットロールのポタージュと呼ぶのは、パンの中身を取り除いて乾燥させ、そこにビーティロスを詰めたポタージュである。この言葉は、かつて灰の下で調理されたペイストリィを表現するために使われていた。


ここでもプロフィットロールは中に詰め物をしたポタージュの具材であることが説明されている。




18世紀プロフィットロール文献


18世紀はフランス料理がひとつの頂点に到達した時期である。18世紀後半はフランス革命によって宮廷文化が終わりを迎えることになるが、それまでのルイ14世~ルイ16世の治世の期間は、アンシャン・レジーム(Ancien régime)と呼ばれる文化や料理の爛熟期であった。

18世紀には多くの料理書が出版されるようになり、大ベストセラーになったものも多い。王侯貴族だけでなく、裕福なブルジョワ階級の市民も、貴族階級に倣ってオート・キュイじーヌ(高級料理)に対する関心を示すようになり、料理書タイトルにもブルジョワ向けであることを意識したものが数多く出版されしかも重版し続けた。

例えば先に紹介したフランソワ・マランの『王室とブルジョワ家庭の料理人:Le Cuisinier roïal et bourgeois』は、18世紀に入ってもまだ新しいバージョンで出版され続けた。またムノンの記した『ブルジョワの女料理人:La Cuisinière Bourgeoise』は当時の驚異的な大ベストセラーであり、1746年から1800年までに67回も重版した。その後もこの料理書は売れ続け、19世紀に入ってもなお重版を続けている。

こうした18世紀の期間に、料理書や他の文献によってプロフィットロールがどのように説明されてきたのかを確認することにしたい。


England
1725年出版『Dictionaire oeconomique』


イギリス人の園芸家のリチャード・ブラッドリー(Richard Bradley:1688-1732)が、1727年に関係した辞典が『Dictionaire oeconomique, or, The family dictionary』である。ブラッドリーは生態学、園芸、自然史、料理に関する重要な著作を出版している。この辞典はそもそも僧職者のノエル・チョメル(Noël Chomel)が1718年にフランスで出版した『Dictionnaire oeconomique』第二版を英語に翻訳したものである。

実際にノエル・ショメル(Noël Chomel)の『Dictionnaire oeconomique』フランス語版を確認したが、プロフィットロールに関する説明はない。リチャード・ブラッドリーはこれにかなり手を入れ変更と改良を加えたことから、英語で書かれたこの辞典はほとんど別物と考えた方が良さそうである。

Dictionaire oeconomique, or, The family dictionary

『Dictionaire oeconomique, or, The family dictionary』
Richard Bradley編:1725年刊


この辞典の項目「Carp:鯉」項目のなかに、以下のレシピが掲載されている。

【 Dictionaire oeconomique, or, The family dictionary 】第1巻
You may have recourse for Petages of farced Carps or otherwise to the preceding Article of a farced Carp, or to what is elsewhere specify'd concerning the Potage of a farced Pike. The later may be garnish'd with Artichoak-Bottoms, fry'd Oisters Capers, Mushrooms in a Ragoe, and in Slices and Lemon Juice. They likewise make a Potage or Profitrolles with Carp Flesh minced.

【 訳文 】
詰め物をした鯉のポタージュに関しては、前出の鯉のポタージュの記事を参照してもよいし、あるいは詰め物をしたカワカマス(pike)のポタージュに関しても、別の場所に明記されているものを参照してもよいだろう。後者にはアーティチョークの芯、炒めたオイスター、ケイパー、マッシュルームのラグー、レモンの薄切りと汁を添える。これと同様の方法でポタージュや鯉のすり身を使ったプロフィットロールも作られる。


これは魚を詰め物にしたプロフィットロールである。カトリックは金曜日に肉断ちをして魚を食べるという習慣があったが、この魚のプロフィットロールはそうした宗教的な目的にかなう料理として辞典に記されたのだろう。


France
1739年出版:『Les Dons De Comus』


かなり人気のあったフランソワ・マシアロの料理書の初版が出版されてから約50年後、1739年にフランソワ・マランの『コーモスの贈り物:Les Dons De Comus』が出版された。フランソワ・マランは王侯貴族に仕えていた経験があり、プロフィットロールを含む新しい高級フランス料理をこの料理書のなかで提案している。フランソワ・マランの新しい料理は、ヌーベル・キュイジーヌと呼ばれフランス料理の転換点となった。


この18世紀に流行したヌーベル・キュイジーヌの、どのようなところが新しかったかというと、中世由来のスパイスを大量に用いる料理を止め、ナチュラルなハーブ類がより用いられるようになったことや、乳あるいは乳製品を積極的に用いているところである。マランはこの料理書のなかにプロフィットロールを用いたレシピを次のように掲載している。

【 コーモスの贈り物 】第1巻 p111
プロフィットロールの(古い)ポタージュ:
8個の小さなパン [petit pains] を取り、上部を切り取り、パンの中身を取り除く。その後、調理済みの鶏肉、仔牛の脂身、湯通ししたベーコンなどの具材を詰め、4つの卵黄でとじ、盛り付けるのと同じ皿で調理する。パンを少し脂肪のあるブイヨンでつないでコクと風味を出し、セロリ、アーティチョークの芯、仔牛や仔羊の胸腺肉、鶏冠や腎臓などを添える。非常に軽い仔牛のブロンドで覆って仕上げ、熱いうちにサービスする。このポタージュは濃厚で、ちょっとしたラグーのようである。

ブイヨンのプロフィットロールポタージュ:
上記のように調理し、他の具材を添えることなくリエゾンされた優れたブイヨンのみで仕上げる。

女王風プロフィットロールのポタージュ:
上記のように調理し、ヴィエルジュというクーリをかけて仕上げる。このソースの作り方は、先に「têtes d'agneau a la vierge」の記事で既に説明してある。


マランはプロフィットロールを用いた上記3種類の料理を記載している。最初のポタージュの料理は様々な具と共に供される料理であり、マランはこの料理名にわざわざ「古い:Ancien」という但し書きを付けている。このレシピは先に取り上げた50年前のフランソワ・マシアロのレシピと基本的には同じものであり、ポタージュに詰め物をしたプロフィットロールを始め様々な具材が入っていることが特徴である。

二つ目の料理レシピは、詰め物をしたプロフィットロールだけ入ったポタージュとなっている。現代ではポタージュに様々な具材を入れることは無いが、プロフィットロールだけのこのポタージュは、前世紀のかなりの具材が入ったラグーのようなポタージュと比べると、より洗練されたものになっていると言える。

三つ目は「女王風プロフィットロールのポタージュ」である。なぜこのような名前になっているかと言うと、これにはヴィエルジュ(vierge)と呼ばれるクーリがかかっているからである。このレシピは実際には「Potage d'issus d'agneau a la vierge」、あるいは「Coulis a la Reine」に書かれている、これは牛肉や野菜と煮込みクリームを加えて濾した白いクーリである。マランは「このクーリは必要に応じて、クルート、スープ、前菜、アントルメに使うことができる」と述べている。つまり、このクーリをプロフィットロールにかけることで女王風としている。

マランの記した、白いクーリ(ソース)で白く仕上げられたこのような料理は、新しく洗練された料理であるとして迎えられた。それまでの古い料理はスパイス過多の茶色く濃い色の料理だったが、新しい料理は料理のコンセプトはもちろんであるが、色合いにおいても新しかったのである。18世紀に興隆したこうしたフランス料理は「ヌーベル・キュイジーヌ」と呼ばれ、こうした新しい料理を支持する啓蒙主義者たちと、旧体制の保守的勢力との間に論争を巻き起こすことになった。

だこうした背景があり。一つ目のプロフィットロール・ポタージュには、「古い:Ancien」という断りを入れてあると考えられる。それに対して、二つ目、三つ目のプロフィットロールのポタージュは、現代的で洗練を加えたものだということである。こうした時代の料理の進歩がプロフィットロールを使った料理にも影響しているのは興味深いところである。


France
1751年出版:『百科全書』


1751年にディドロとダランベールを中心に編纂されたフランス最初の百科事典が『百科全書:Encyclopédie, ou Dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers』である。この中には料理についての項があり、それに関しては「百科全書:料理」の解説を参照して頂きたい。他にもプロフィットロールに関する説明もあり以下のように記されている。

【 百科全書 】第13巻,p428
ROFITEROLES, s. m. pl. (terme de Cuisinier.) Les cuisiniers appellent potages de profiteroles un potage fait avec de petits pains sans mie, séchés, mitonnés, & remplis de béatilles. Ce mot s’est dit autrefois d’une pâte cuite sous la cendre. (D.J.)

【 訳文 】
名詞、複数形、(料理用語):料理人たちは、小さなパン [d'une pâte cuite] の中身をくり抜き、乾燥させ、具材で詰めたスープを指してプロフィットロールと呼ぶ。この言葉はかつて、灰の下で焼かれたパン [d'une pâte cuite] を指すためにも使用されていた。(D.J.)


このプロフィットロールについての説明を担当したのは、ルイ・ド・ジョクール(Louis de Jaucourt:1704年-1779年)である。説明の後に(DJ)とイニシャルがあるのは「de Jaucourt」の略である。ちなみにジョクールは『百科全書』の25%、18,000もの記事を作成しており、『百科全書』のなかで最多項目の執筆者である。先に紹介した「百科全書:料理」も彼が担当していることから料理や食についても造詣が深い人物だったと思われる。


ここでも以前の説明と同様に、プロフィットロールは灰の下で焼かれた小さなパン [d'une pâte cuite] であること、さらに中をくり抜いてそこに詰め物をした料理であることが説明されている。


France
1759年出版:『Dictionnaire de la langue Françoise』


1759年にフランス・リヨンで出版されたフランス語辞典、『Dictionnaire de la langue Françoise, ancienne et moderne』には、プロフィットロールに関する次のような説明がある。

【 Dictionnaire de la langue Françoise, ancienne et moderne 】第3巻 p277
Profiteroles
Les Cuisiniers apellent potage de profiteroles un potage fait avec de petits pains dégarnis de mie , séchez, mitonnez, & remplis de béatilles. Ce mot s'est dit autrefois d'une pâte cuite sous la cendre , Acad. Fr. )

【 訳文 】
プロフィットロール
料理人たちは、「potage de profiteroles(プロフィットロールのポタージュ)」と呼んでいるが、これは中身をくり抜いた小さなパン [petit pains] を乾燥させ、そこに煮込んだ肉や他の材料を詰めて、ポタージュに入れた料理のことである。かつては、この用語は灰の下で焼かれたペイストリー [d'une pâte cuite] を指すためにも使用された。(アカデミーフランセーズ)


ここでも以前の説明と同様に、プロフィットロールは灰の下で焼かれた小さなパンであること、さらに中をくり抜いてそこに詰め物した料理であることが説明されている。



France
1767年出版:『Dictionnaire portatif de cuisine』


1767年にパリで出版された『Dictionnaire portatif de cuisine, d’office, et de distillation』には、幾つかのプロフィットロールを使った料理レシピが掲載されている。

【 Dictionnaire portatif de cuisine 】第2巻,p148
Perdreaux:
Perdreaux en profiterole. (Potage de) Faites cuire les perdreaux à la braise ; faites, d’autre côté, un ragoût de ris de veau, champignons, truffes, culs d’artichauts ; passez au lard fondu ; mouillez de jus de veau, & liez d’un coulis de perdrix ; assaisonnez de bon goût, & y mettez ensuite vos perdreaux ; vuidez des pains à l’ordinaire ; farcissez-les chacun d’un perdreau, avec du ragoût ; mitonnez-les avec jus de veau. Mitonnez d’autre part des croûtes, avec moitié jus de bouillon ; mettez les pains dessus, le plus gros au milieu des culs d’artichauts, entre & autour des crêtes, & ris de veau, ou des petits champignons farcis ; jettez par-dessus le reste du ragoût, & servez chaudement. Les profiteroles de cailles, pigeonneaux & tourterelles se font de la même maniere.

【 訳文 】
ヤマウズラのプロフィットロール。 (ポタージュ) 熾火の上でヤマウズラを調理する。 別の鍋で仔牛の胸腺肉、マッシュルーム、トリュフ、アーティチョークでラグーをつくり、これらを溶かしたラードで炒める。これに仔牛の肉汁を加え、ヤマウズラのクーリでつないで味を整えてから先に調理したヤマウズラを加える。
通常通りにパンをくり抜き、それぞれにヤマウズラとラグ―を詰め、仔牛の肉汁で味を調える。別の鍋に半量のブイヨンを入れ、これでパン粉を煮込んだものに、アーチチョーク、胸腺肉と小さなマッシュルームの詰め物をしたパンを盛り付ける。残りのラグーも上からかけて、温かいうちに提供する。ウズラ、鳩、キジのプロフィットロールも同じ方法で作られる。

【 Dictionnaire portatif de cuisine 】第2巻,p353
Truffes:
Truffes. (Potage aux) Pelez-les & les coupez par tranches ; mettez dans une marmite, avec jus de veau ; faites cuire à petit feu. Étant cuites, mettez-y un coulis clair de perdrix ; mitonnez des croûtes ; mettez au milieu un pain de profiterole farci. Jettez le ragoût par-dessus, & servez chaudement.

【 訳文 】
トリュフ(ポタージュ)皮をむいて薄切りにし、仔牛の肉汁と一緒に鍋に入れ弱火で煮込む。火が通ったら、軽いウズラのクーリを加え、真ん中に詰め物をしたプロフィットロールを置く。ラグーを上からかけ熱いうちに提供する。

【 Dictionnaire portatif de cuisine 】第2巻,p111-112
Ouille en maigre:
Faites cuire toutes les especes de racines, dont on a parlé dans les potages précédens, dans de bon bouillon de poisson, ou moitié bouillon de purée & de l’autre. Étant cuites, dressez votre ouille, un pain de profiterole au milieu. Garnissez les bords de racines, & servez à l’ordinaire.

【 訳文 】
オイユ・アン・メーグル(肉断ちの日のための大きなポタージュ)。まず、前のポタージュで言及したさまざまな種類の根菜を、魚のブイヨンあるいはピュレを加えて調理する。調理が終わったら、オイユ(ポタージュ)の中央にプロフィットロールを盛り付ける。周囲に根菜を散らし、通常通りに提供する。


いずれもポタージュ(あるいはオイユ)で、詰め物をしたプロフィットロールが使われており、温かい料理として供されていたことが分かる。





19世紀プロフィットロール文献


ここまで確認してきたように16世紀~18世紀にかけてプロフィットロールが食べられてきたのは、あくまでも料理としてであり、現代のようなデザートとして食べられていなかったということである。例えば18世紀の製菓に関する名著、1751年にジョゼフ・ジリエ(Joseph Gilliers)が出版した『フランスのカナメリスト:Le Cannameliste français』、あるいはマシェ J.(J. Machet)が1803年に出版した『現代砂糖菓子職人:Le Confiseur moderne』を確認しても、デザートとしてのプロフィットロールは登場しておらず、それどころかプロフィットロールそのものについてすら言及がない。

その理由はこれらの料理書が菓子だけを専門としており、やはり当時のプロフィットロールは料理として食べられていたからだろう。プロフィットロールがデザートとして登場するようになるのはようやく19世紀の始めになってからであり、その萌芽を次に紹介するグリモ・ド・ラ・レイニエールの著作に見出すことが出来るのである。


France
1809年出版:『Manuel des Amphitryons』


18世紀~19世紀に美食家と呼ばれる人々が登場した。1825年出版の『美味礼賛』を著したブリア=サヴァラン(Brillat-Savarin)は特に有名だが、他にもこの時代に双璧をなす人物としてグリモ・ド・ラ・レイニエール(Grimod de la Reynière:1758-1837)がいた。グリモは、18世紀後半にパリに誕生したレストランの最初の評論家であり、1803年~1812年にかけて8巻からなる年刊誌『食通年鑑:L'Almanach des gourmands』を出版した人物である。


グリモは食卓に人々を招き、凝った演出でもてなすことを好んだ。澁澤龍彦は『華やかな食物誌』のなかでグリモのことを「ひたすら奇をめざした美食家である。一種のミスティフィカトゥール(晦渋趣味のひと)といってもよいほど、他人を驚かせたり煙に巻いたりすることを好んだ、風変わりで辛辣な美味の探求者である」と評している。

グリモが1808年に出版した『招客必携:Manuel des Amphitryons』のなかでプロフィットロールを取り上げているのでその箇所を示しておくことにしたい。ただ先に断っておきたいのは、グリモはあくまでも評論家であり、料理人ではないということである。また『招客必携』という書籍は、フランス大革命以後に出現した新興ブルジョアジー向けに、鳥・獣・魚の具体的な切り分け方や、季節ごとの献立、食通が身につけるべきマナー等を記した指南書である。よってプロフィットロールを取り上げてはいるが、そのレシピについての詳細は記されていない。


『Manuel des Amphitryons』には、それまでの料理と、デザートという異なるふたつの分野でプロフィットロールが用いられている。まずは料理名にプロフィットロールが付いたふたつの料理名から挙げておくことにしよう。

【 Manuel des Amphitryons 】p153
Des profiteroles de carpe, a la flamande

【 訳文 】
フランドル風 鯉のプロフィットロール


グリモは宴会料理のメニューを説明する中で、32種類のアントレ(Trente-deux Eentrées)を掲載しており、その中の一つとして挙げられているのが「フランドル風 鯉のプロフィットロール」である。それまでプロフィットロールはポタージュに入れられるものだったので、コースの始め「ポタージュ」の時に出されるのが常識だった。しかしグリモはそうしたお決まりで変化の乏しいメニュー構成を嫌い、プロフィットロールの料理化をより推し進め、ポタージュではなくアントレで使うことに変えようとしたと思われる。

当時のメニュー構成は、まずポタージュが出され、その後にオードブルが続き、主役のメイン料理である「ロティ」の前に提供される料理が「アントレ」である。これは主役であるロティの「前菜」ということである。

アントレにプロフィットロールの料理を入れたのは今までにない新しい試みである。ちなみにフランドル風とは現代では、ジャガイモや芽キャベツをつかったり、あるいはビール煮にする料理のことである。こうした地方料理とオート・キュイジーヌ(高級料理)との融合もグリモの目指した新しさだったのかもしれない。

【 Manuel des Amphitryons 】p162
les profiteroles de filets de merlans

【 訳文 】
メルラン(タラ科の魚)フィレのプロフィットロール


グリモは先と同様、魚をつかったプロフィットロールの料理をアントレで挙げている。グリモは解説のなかでもこの料理が、普通のものではない(特別な料理)であることを強調していることからも、珍しいプロフィットロールを使った料理であることが理解できる。ここからも従来の既成概念に捕らわれないグリモの新しいメニュー構成をうかがえるように思える。


料理からデザート


グリモが画期的だったのは、それまで料理(ポタージュ)にしか用いてこなかったプロフィットロールを、新たにデザートにしていることである。以下にそのデザート名を示しておく。

【 Manuel des Amphitryons 】p197
Des profiteroles, au chocolate

【 訳文 】
チョコレートのプロフィットロール

【 Manuel des Amphitryons 】p241
Les choux en profiteroles

【 訳文 】
シューのプロフィットロール


グリモはこのデザート菓子がどのようなものだったのか詳細を説明していない。グリモ自身は料理人ではなく評論家だったので、このような新しいプロフィットロールの使い方(デザート化)の考案者は他にいたはずで、グリモはそれを良いアイディアだとして紹介したにすぎないと考えられる。

シューについては18世紀の終わりか19世紀の始めに、ジャン・アヴィスによって考案されたと考えられており、これをいわゆるシュークリームや エクレア のような菓子に完成させたのが弟子のアントナン・カレームであるとされている。グリモが取り上げたシューのプロフィットロールという菓子も、どのようなものか詳細までは分からないが、当時彼らが新しく作り始めていた菓子であると考えて間違いないだろう。これはチョコレートのプロフィットロールの方のレシピが、アントナン・カレームの出版した『Le pâtissier royal parisien』に掲載されていることからも裏付けられる事実であると考えられる。

こうした経緯は続くカレームの著作のなかで詳しく説明することにしたいが、いずれにしても、わたしが調べている限りでは、グリモが文献のなかで最初に菓子のプロフィットロールを取り上げた人物ということにはなりそうである。

ちなみにグリモはこの『招客必携:Manuel des Amphitryons』の前に、『食通年鑑:L'Almanach des gourmands』を出版している。前者が1809年出版であるのに対し、後者は1803年~1812年にかけて全8巻の出版となっている。この中にも菓子のプロフィットロールがあるかを確認してみたが、掲載はなかったのでやはり『招客必携』をもって最初の言及ということになる。


France
1814年出版:『L'art du cuisinier』


料理人でパリでレストランを経営していたアントワーヌ・ボーヴィリエ(Antoine Beauvilliers:1754~1817)が1814年に出版した『L'art du cuisinier』には以下のチョコレート・プロフィットロール(Pasitroles au Chocolatと記載)のレシピが掲載されている。

【 L'art du cuisinier 】第2巻 p152
Pasitroles au Chocolat:
「プロフィットロールを12個または15個用意する(これは一部のパン屋が注文に応じて作る小さなパンで、Coquillière通りのHeinzeという店で見つけることができる)。バニラチョコレート1ポンドを少量の水で削って溶かし、提供する用の皿の底にこれを少し入れてく。プロフィットロールから中身を取り除いた後、このチョコレートをプロフィットロールに詰める。プロフィットロールを皿に内側が下になるように配置し、細かい砂糖を振りかける。 オーブンか、上下に火を使うカントリー・オーブンに入れ約30分間、良く表面がキャラメリゼするまで熱し、オーブンから取り出して熱いうちに提供する。


チョコレートで詰め物をして表面をキャラメリゼした菓子である。小さなパンを12~15個準備するとあることに、数多くのシューを積み上げてツリー状にするクロカンブッシュの萌芽が感じられる。ただしここでは、それをまだ積み上げる方法ではなく、あくまでも平面的な方法しか紹介していない。やはり積み上げる方法はカレームによる考案を待たなければならなかったということだろう。


ボーヴィリエの料理書からも、プロフィットロールが菓子となったのがこの時代からであるということが理解できる。ここで紹介しているアントワーヌ・ボーヴィリエが出版した翌年の1815年にアントナン・カレームも最初の料理書を出版している。ここにもプロフィットロールのレシピが掲載れているので、次に詳しく取り上げることにしておきたい。


France
1815年出版:『Le pâtissier royal parisien』


アントナン・カレーム(Marie-Antoine Carême dit Antonin Carême:1784(?)‐1833)は、料理史を語るにおいて外すことの出来ないフランス料理の巨匠である。

貧しい家庭の出身だったアントナン・カレームは、幼少の頃から働かなければならなかった。やがてパレ ロワイヤル近くのヴィヴィエンヌ通りの有名なパティシエ、シルヴァン・バイイ(Sylvain Bailly)の店で働き始めるようになると、その実力をパティシエのジャン・アヴィスにも認められるようになる。当時のジャン・アヴィスがパティシエを務めていたのは、外務省の本拠地であり公邸だったオテル・ド・ガリフェ(ガリフェ邸)であり、外務大臣だったのがタレーランである。カレームの腕を見込んだジャン・アヴィスは、シルヴァン・バイイにカレームを昇進させるようアドバイスし、こうしてカレームは、シルヴァン・バイイの元で働きながら、絵を描いたり、帝国図書館で建築を勉強し、独立の準備を進めることが許されるようになった。

やがてカレームは、ジャン・アヴィスにも師事するようになり、また外務大臣としてオテル・ド・ガリフェに住んでいたタレーランとも知り合う。タレーランは、カレームをシェフとして召し抱えるようになり、外交交渉のための要として料理の才能を活用したのである。後にタレーランはフランスの国益を大きく左右する「ウィーン会議」の料理もカレームに任せ、それによって交渉を有利に進めることが出来たことは良く知られている話である。


前置きが長くなってしまったが、ここでカレームが1815年に出版した『Le pâtissier royal parisien』から、プロフィットロールの個所を引用することにしたい。

【 Le pâtissier royal parisien 】第1巻 p156
Profitrolles au chocolate:
まずコップ1杯の牛乳でクレームパティシエールを作る。その中にチョコレート4オンスを混ぜて、このクリームの半分を銀製皿に注意深く広げ、皿の底に焼き色がつくまで小さなオーブンで約30分間熱する。その後、小さなボウルでチョコレート2オンス、砂糖2オンス、卵白少々を混ぜ合わせ、全体がしっかりと仕上がり、少し柔らかくなったら、普通よりも少し大きめの8つの美しいシューにマスキングする。オーブンで数分間乾燥させ、その後、底に穴を空けて残りのチョコレートクリームを詰め、銀座らの焼いたクリームの上に配置する。中央に一番大きなものを配置し、その周りに他の7つを密に配置し、オーブンでさらに約15分間焼いてからすぐに提供する。
このデザートは「petits pains au chocolat :小さなチョコレートパン」と提供方法が違うだけで同じである。
これに関連したシュー生地を使用する菓子は幾つかあり、スイス風プリン、ププラン(poupe- lins)、プティシュー、ベニエ(beignets)、シュリンジ(seringues)など、特定の方法で区別されるこれらのデザートは、それぞれ異なる章に配置されています。
その他、シュー生地を使ったフラン・スイス(flans suisses)、ププラン、プティ・シュー、フリット、シリンジなど、この章に関連するものがいくつかある。これらのデザートは、各章の中で、非常に特別な方法で区別された部分に配置されている。


ここに記されている「チョコレートのプロフィットロール」は、先の述べたグリモ・ド・ラ・レ二エールが取り上げたものと同じであると考えられる。なぜなら、カレームは当時、フランス菓子界の巨匠と働いており、最先端の仕事をしていたからである。グリモはこうした料理や製菓における新しいアイディアには敏感だったはずであり、また既成の概念にないこうした方法を好んで受け入れたはずだからである。

カレームは18世紀の伝統を受け継いだ、革新的な試みにも挑む師匠たちとも仕事をしており、こうした環境の中でプロフィットロールを菓子に転用しようというアイディアが出てきたのではないだろうか。この前年にボーヴェリエが既に同じような「チョコレートのプロフィットロール」を紹介しているので、どちらが先だったのかについては何とも言えない。しかしながらこれをグリモが自著で取り上げたということは、今までにない新しいプロフィットロールの使い方、つまにこれをデザートにするという方法が、この時代から始まったことを明らかに示すものとなっているのである。

1809年、最初にグリモが「チョコレートのプロフィットロール」を料理書で取り上げたが、後発ながらボーヴィリエはその5年後、カレームは6年後に料理書に同じものを各々の自著に記すことになる。しかし実際はグリモが取り上げる前から、彼らはこうした新しい菓子を作っていたはずであり、それらがグリモの目に留まったということなのだろう。この時代にシューの完成と、プロフィットロールの菓子への転用が同時に進んだと言うことは興味深いところである。

プロフィットロールのが菓子化されることで、その改良のなかからシューが生まれたのか、あるいはシューが誕生して事で、同じくプロフィットロールも菓子に使われるようになっていったのか、その部分は今となっては定かではないのだが、それでも同時にこれらが進むことで、この時代の菓子技術やバリエーションが豊富になったことに間違いはない。

カレームの著書には、プロフィットロールの他にもシューや、ププランなどのレシピも掲載されている。それぞれは同じものであるかのように思えるが、それぞれに違いがあり、カレームはそれぞれの特徴をもってしっかりと分類しており、しっかりと目的に合わせて使い分けられている。現代ではこうした菓子は、シュー生地に統一されているが、イギリスではプロフィットロールの方が一般的になり、この名称が定着している。では次にイギリスでのプロフィットロールはどのようなものだったかを確認してみることにしたい。


England
1846年出版:『The Modern Cook』


19世紀中頃のイギリスに、フランス料理のシェフとして活躍したイタリア系英国人のチャールズ・エルミー・フランカテリ(Charles Elmé Francatelli:1805-1876)がいた。彼はパリの料理学校で学び、それからアントナン・カレームの元で働いてシェフ・パティシエとしての技能を習得した。イギリスに帰国してからもキャリアを積み、1841年にはヴィクトリア女王直属の料理長兼給仕長となる。その後も高級クラブやホテルなどの料理長を歴任し、イギリスを代表する歴史的な料理人となった人物である。


1846年に フランカテリが出版した『The Modern Cook』には以下のレシピがある。

【 The Modern Cook 】p405
No.1294. Profitrolles
プティ・シューを2ダース、前述の記事の最初の部分で指示したように用意する。焼き上がって冷めたら、それぞれの上部からシリング大の円形の部分を切り取り、次のようにしてつくったカスタードを詰める: - 小鍋に卵4個分の黄身と砂糖2オンス、小麦粉大さじ1杯、すりおろしたチョコレート2オンス、塩少々を入れ、生クリーム1/2パイントを加えてよく混ぜ合わせ、バター1パットを加え、全体を火にかけてかき混ぜ、約10分間沸騰させる; このカスタードを鍋からボウルにうつし、冷めたらテーブルスプーン3杯の生クリームを加える。盛り付て提供する。
このカスタードには、レモン、オレンジ、バニラ、オレンジフラワー、またはどんな種類のリキュールでも風味をつけることができる。その場合はチョコレートを加える必要は無い。


チョコレート・プロフィットロールのレシピである。この料理書では、他にもクリームやヴァニラやコーヒーのプロフィットロールについても言及しており、かつて行われていたような料理で使うプロフィットロールへのレシピはなく、そのような言及すら一切記載されていない。

このような菓子としてのプロフィットロールの用い方は、フランスから伝えられたが、この時代のイギリスはもう既にプロフィットロールはデザートだという認識が浸透して一般的だったのかもしれない。実際に同書の冒頭で示されている「用語集:Glossary」のなかでは、プロフィットロールは「軽いパスティの種類のもので、クリームが詰められる」と定められている。この定義であれば、完全にプロフィットロールは菓子という扱いである。

他にも同書p391には「Cakes in General:一般的なケーキ」として菓子のリストがあるが、このなかにもプロフィットロールは含まれている。ここからも当時のイギリスでは、プロフィットロールは良く知られた一般的な菓子だったということが分かる。

そもそもプロフィットロールとは料理に使われるパンだったはずであり、これがデザートになったのは19世紀に入ってからである。このような菓子としてのプロフィットロールの用い方は、フランスから伝えられたが、この時代のイギリスではもうすでにプロフィットロールはデザートのものだという認識が浸透していたのだと考えられる。


France
1873年出版:『Le livre de pâtisserie』


カレームの弟子のひとりに、ジュール・グフェ(Jules Gouffé )という有能なパティシエがいた。この人物が1873年に出版した『Le livre de pâtisserie』にプロフィットロールの説明がある。


【 Le livre de pâtisserie 】
チョコレートとバニラのプロフィットロールシュー
「公爵夫人風のパン」の生地を使ってシュークリームを作り(p89を参照)、表面に焼き色が付くまで焼く。
シューが焼き上がったら、上部に直径3センチメートルの丸い切り込み入れ、シュの周りをチョコレートでコーティングする。
オーブンで乾かしてから冷やす。
バニラのクレーム・サントノーレ(p.80参照)を詰めて提供する。

コーヒー・ププロフィットロール
上記と同様にシュー生地を準備する。
コーヒーのアイシングでコーティングし、コーヒーのクレーム・サントノーレを詰める。
盛り付けて提供する。

ストロベリー・プロフィットロール
上記と同様にシューを準備する。
ストロベリーのアイシング(p.82参照)でグラサージュする。
ストロベリーのクレーム・サントノーレを詰める。

ラズベリー・プロフィットロール
前と同じようにシュー生地を準備する。
上記のストロベリーの代わりにラズベリーを使用し、同じように仕上げる。


上記の4種類のプロフィットロールが連続で紹介されている。菓子化されたプロフィットロールも種類が増え、様々な味が加わっているところは興味深い。さらに別のページ(p416)には「POUDING PROFITEROLE A L'ABRICOT」というプロフィットロールにアプリコットジャムを詰め、生クリームとプロフィットロールとぶどうを層になるように型のなかに重ねて冷やし固めたデザートも紹介している。


このように19世紀にプロフィットロールは菓子に取り込まれ、料理で用いる材料からデザートとして用いられるパティスリーに切り替わっていったのである。現代ではプロフィットロールは菓子であるということが一般化してしまっているが、その始まりは19世紀からと、プロフィットロール全体から見るとまだ浅い歴史しかないのである。




20世紀プロフィットロール文献


前世紀の19世紀はプロフィットロールの使い方が大きく変わったが、20世紀はそうした傾向が進み、さらに大衆化するようになった。デザートとしてのプロフィットロールの詰め物はジャムやクリームだったものが、アイスクリームに取って代わるようになった。またプロフィットロールにはチョコレートがかけられるようになる。さらにクロカンブッシュまで高くは積まないが、低く三段ぐらいまで積んで、生クリームとチョコレートで固定した盛付けも一般的になってきた。


France
1903年出版:『Le guide culinaire』


20世紀のフランス料理の歴史を語るには、どうしても巨匠オーギュスト・エスコフィエについて触れなければならない。『Le guide culinaire』は料理の本でありデザートまでは扱われておらず、デザートのプロフィットロールの説明はない。しかしプロフィットロールを使ったポタージュを8種類も掲載している。最初の方にポタージュに入れるプロフィットロールそのものの説明があるので引用しておくことにしたい。

【 Le guide culinaire 】p.6
ポタージュ用のプロフィットロール
古典的な料理では、プロフィットロールは普通にボール状のパンだった。近代の料理は、それに代わりシュー生地をベースにした、はるかに繊細なプロフィットロールを生み出したのである。これらのプロフィットロールは、非常に小さなヘーゼルナッツの大きさで形作られ、シュー生地から取り出される他の要素と同様に調理される。 それらは常に何らかのピューレが詰められ、最終的な用途に関係なく皮は完全に乾燥していなければならない。
通常、一人前で30個入り。
100個のプロフィットロール用のシュー生地の比率:3デシリットル半の水、150グラムのバター、8グラムの細塩、220グラムのふるった小麦粉、5個の中サイズの卵。
生地は比較的しっかりとした状態にしておく必要がある。(準備方法については、オフィス用シュー生地を参照)


プロフィットロールの大きさはヘーゼルナッツ位とある。これを浮き実のようにしてポタージュに入れる。こうしたポタージュは飲むというより食べる感覚に近い。エスコフィエはプロフィットロールをポタージュに入れるという料理手法を紹介しているが、これはエスコフィエの古典料理に対する研究がベースにあってのことだろう。


エスコフィエの時代は、既にプロフィットロールはデザートでの使用がメインになっていたはずである。よって当時、プロフィットロールをポタージュに入れるのは古典的料理になっていたと考えられる。ちなみに現代ではポタージュにプロフィットロールを入れるというメニューはほとんど見かけることがない。

エスコフィエは続けて次のプロフィットロールを使ったポタージュの方法を紹介している。

 ・ Consommé à la Bohémienne
 ・ Consommé au Chasseur
 ・ Consomme à l’Infante
 ・ Consommé Monte-Carlo
 ・ Consommé à la Nelson
 ・ Consommé à la Rossini
 ・ Consommé à la Tosca
 ・ Potage La Vallière

18世紀までのレシピでは、詰め物をしたプロフィットロールと他にも様々な肉の部位を調理したものを合わせて、それにポタージュをかけるという、ラグーに近い料理に仕上げられていた。それに対して20世紀に入って書かれたエスコフィエのレシピを見ると、より洗練されたものとなっている。まずエスコフィエのレシピでは澄んだコンソメが中心であること、また色々な具材を入れるのではなく、それにプロフィットロールだけ(あるいは他にもうひとつだけ)を合わせていることである。これにより過去の料理のようなごった煮ではなく、それぞれの素材の味の特徴を際立て、洗練された料理に仕上げられている。


エスコフィエが1912年に出版した『Le livre des menus』は、カールトン・ホテルのディナーメニュー、国王や王妃に提供された豪華なディナー、バッキンガム宮殿、ウィンザー城で行われた国賓晩餐会、そして英国のエドワード7世に提供された豪華な食事メニューの数々を編纂した書籍である。このなかのメニューを見ると、エスコフィエが「コンソメのプロフィットロール」を何度も提供していることから、これが自信のある料理だったことがうかがえる。またデザートでは「チョコレート・プロフィットロール」も提供されており、エスコフィエは料理からデザートまでとプロフィットロールを幅広く多用していたことが理解できる。

よってエスコフィエがここで記しているポタージュ(スープ)に入るプロフィットロールは古典的料理ではあるが、実際には近代的な料理方法によるアレンジが加えられており、それがこの料理を洗練させているのである。当時は既にプロフィットロールはデザートで用いられるものとなっていたはずであるが、エスコフィエは古典料理も抑えるということからこうした料理を記したものと考えられる。もちろんエスコフィエならではの新しいスタイルにアレンジすることで、よりモダンで洗練された一皿に進化させているところは、エスコフィエならではの力量として評価すべきところである。


England
1909年出版:英語辞典


1909年にイギリスで出版された辞典 『A New English dictionary on historical principles : founded mainly on the materials collected by the Philological Society』 には次のようなプロフィットロールについての説明がある。

【 A New English dictionary 】第7巻
Profiterole
In Cotgrave pourfiterolle
'a cake baked vnder(under) hot imbers(embers)' , and profiterolle, the latter also explain (in pl.) as 'the small vayles, as drinking money, points, pinnes, &c., gotten by a valet or groome in his maisters seruice' . Te etymological sense is thus 'small gains'. Some kind of cooked food:

【 訳文 】
プロフィットロール
Randle Cotgraveの辞典に説明がある。
「熱い灰の残り火で焼いた菓子」であり、また複数形の場合は「主人に仕える、近侍や従者が得る、酒代、ポイント、ピンなどの小銭」と説明されている。したがって、その語源的な意味は「小さな利益:ちょっとした駄賃や手当」である。
ある種の調理された食べ物:語源と引用を参照
1515年 Barclay著『Egloge』4巻(1570年)‐「白い生地を焼いて、しばしば会話しながらボウル一杯のプロフィットロールをつくって満たす」
1727年 Bradley著『Dictionaire oeconomique, or, The family dictionary』Carpの項 ‐「これと同様の方法でポタージュや鯉のすり身を使ったプロフィットロールも作られる」


『A New English dictionary』(略称NED)は、オックスフォード大学の出版局が出版する『オックスフォード英語辞典』(略称OED)の前身であり、イギリスはもとより世界的にも権威のある英語辞典である。この辞典の説明によると、プロフィットロールとは利益を意味する「Profit」と「erolle」を組みあわせた言葉であるとしている。

かつてプロフィットロールは料理の為のパンだったことが、掲載されている二つの引用からも裏付けられている。ひとつは、1515年にアレクサンダー・バークレーが書いた『Egloges』、もうひとつは1727年にリチャード・ブラッドレイが編纂した『Dictionaire oeconomique, or, The family dictionary』である。これら両書は既に引用して紹介した通り、プロフィットロールがパンの一種でありどのように料理に使われてきたのかを示すものとなっている。しかしこのNEDはプロフィットロールを「菓子:cake」だとしており、一般的な認識としては既にプロフィットロールはデザートに属するものとなっていることを明らかにしている。

さらに「NED」には、ランドル・コットグレイブ(Randle Cotgrave:?-1634)が、1611年にロンドンで出版した仏英辞典 『A Dictionarie of the French and English Tongues compiled』から引用した説明もある。それはプロフィットロールズ(複数形)は、主人から近侍や従者に与えられる「駄賃や手当」のようなものであるとした説明である。しかし重要なことに、この仏英辞典を実際に確認してみると「食べ物としてのプロフィットロール」の意味については一切言及されていない。

プロフィットロールを説明するものの中に、「主人が召使にチップとして与えたのがこのような菓子だったから」としているものがある。しかしわたしはこうした説明に違和感を感じる。こうした説明が横行するようになったのは、1909年に出版された「NED」で、菓子(Cake)と「駄賃や手当」を意味するプロフィットロールというふたつの異なる意味が、辞書の中で一緒に説明されてからである。これはNEDの説明しているプロフィットロールという言葉の「ふたつの意味」を混同してしまっていることに原因がある。

実際に1909年刊「NED」を確認すると、このふたつの意味、つまり「菓子」と「主人が与える駄賃や手当」を混同してはおらず、それぞれを別にして扱っている。またNEDの引用する仏英辞典(ランドル・コットグレイブ編)もプロフェットロールを「主人が与えた菓子」であるとは一切説明していない。 つまりプロフィットロールの誤った説明がなされている原因は、プロフィットロールについて書かれた辞書・文献などの情報を混濁したり、あるいは出典元を当たらずに、伝言ゲームのように誰かが何処かに書いたものをそのまま引用し、勝手な解釈で説明されてきたことにある。

実際に良く考えてみると、主人が召使に与えたパンという説明はかなり不自然である。なぜならもしそうであれば、主人は常にプロフィットロール(パン)を携帯していなければならなかったということになる。保存や携帯性を考えると、明らかに「駄賃や手当」のような心付け(チップやコイン等)の方がよっぽど機能的で利便性が良いはずである。また近侍や従者がサービスする度に、菓子のような食べ物をもらったところで喜んだだろうか? また主人の側も、こうした菓子を与えることで、近侍や従者たちからの気持ちの良いサービスが期待できるはずだと考えるようなことがあるだろうか?

諸点を考えると、やはりプロフィットロールとは、灰で焼かれたパンという食品の意味と、全く別に、主人が召使に与える「小さな利益:手当」という意味があったということになるはずである。そして過去のどの文献をみても、この両方の意味は一緒にされていないので、これを混同して考えるべきでないということになる。

この部分は、本稿の最後に付録として説明する、16世紀にラブレーがプロフィットロールについて言及したのかどうかという論点とも関係しているので、些細ではあるが、わたしは重要なポイントであると考えている。




現在のプロフィットロール


18世紀にプロフィットロールはポタージュに入れて食べられていたが、19世紀にはデザートとして食べられるようになり、現在では料理の印象は薄れ、プロフィットロールとはデザートで出される一皿となっている。しかもかつてのようなジャムやクリームを詰め物とするのではなく、アイスクリームを詰め、チョコレートをかけたものが定番である。

profiterole

20世紀半からこうしたスタイルに変化していったようだが、正確に誰がいつからこの方法を始めたのかの定説はない。自然発生的に、アイスクリームのプロフィットロールは広がり定着したようである。プロフィットロールは16世紀から続く歴史のある食べ物であり、時代によって様々な用いられ方がされることでスタイルを変化させてきた興味深い食品である。

「シュー」あるいは、別項目で取り上げる「ププラン」、「グジェール」との比較からもプロフィットロールの特異性を語ることも出来る。かつてそれぞれ個別のものだったはずのププラン、グジェール、プロフィットロールであるが、現在これらはずっと後代になって誕生したシューに一括されてしまっている印象がある。しかし歴史的に見るとそれらの扱いや立場は明らかに異なっている。

 ・ プロフィットロール:16世紀から存在し、料理から菓子に変化した。
 ・ ププラン: 16世紀から存在し、一貫して菓子である。
 ・ グジェール:16世紀から存在し、料理として食べられてきた。
 ・ シュー: 18世紀に誕生し、一貫して菓子である。

他の生地に比べると、プロフィットロールはその用途が料理からデザートに変化したという点で得意である。また他の歴史ある生地は、現在ではあまり食べられることがなくなっているように思えるが、プロフィットロールは形態を変えながら、いまだにデザートではポピュラーなのである。

このように現代において変わり続けるプロフィットロールが、将来はどのように人々に受け止められてゆくのか、わたしはこれらにも注視しながら、改めてプロフィットロールを味わってゆくことにしたい。

 



 


付録
ラブレーとプロフィットロール


プロフィットロールに関係する料理書を読んでいると、16世紀のフランス人作家のラブレーが、プロフィットロールについて言及していると説明しているものが見られる。実際に16世紀の作家ラブレーがプロフィットロールについて言及しているとするならば、草創期の貴重な情報ということになるのだが、はたしてラブレーはどのようにプロフィットロールを取り上げているのだろうか。

ここからはラブレーが、自身の作品のどの個所で、どのような文脈のなかでプロフィットロールについて言及したのか、さらにこのプロフィットロールが何を意味しているのかを説明することにしたい。


ラブレーの作品


フランソワ・ラブレー(François Rabelais:1483年-1553)はリヨンの医師であったが、同時に小説家として幾つかの作品を残した。1532年に『ガルガンチュワ』を出版。続いて1534年に『パンタグリュエル』、1546年『第三の書』、1552年『第四の書』を出版した。これらラブレーの小説は奇想天外な物語で、簡単に要約すると巨人一族のガルガンチュワとその息子パンタグリュエルの冒険譚である。
しかしラブレーの作品は奇書と評されるだけあって、古典的な知識から下ネタや糞尿譚までも含み、これに風刺、権力批判、幻想が織り込まれた複雑多様で猥雑な内容になっている。こうした性格から発売当時は直ぐに禁書となってしまったが、それでも読み継がれ、現代ではフランス古典文学の重要書として認められている。


プロフィットロールについて言及している現代の料理書のなかに、「ラブレーもこれを取り上げた」と説明しているものがある。しかしラブレーのどの著書にプロフィットロールの言及があるのか、またどのような文脈のなかでプロフィットロールが登場しているのかをまともに説明しているものを眼にしたことが無い。そこで今回、ラブレーがどのようにプロフィットロールを取り上げているのかを詳しく述べておくことにしたい。

profiterole

まずプロフィットロールについての言及があるのは、『パンタグリュエル』第二之書,七章である。この章のタイトルは「パンタグリュエルがどのようにしてパリに来たのか、そしてサン・ヴィクトール図書館の選りすぐりの本について:Commest Pantagruel vint a Paris, et beaux livres de la librairie de Sainct Vistor」となっている。内容は、パンタグリュエルがオルレアンを離れ、パリで学問を修めたことが書かれているのだが、その中にサン・ヴィクトール図書館にあるという、本当は実在しない架空の書籍目録が付いていて、その中の一冊に『La Profiterolle de indugences』という書籍名がリストアップされているのである。

『La Profiterolle de indugences』を直訳すると『プロフィットロールの免罪符』という意味である。ひとによっては、これをもってラブレーが菓子のプロフィットロールについての言及であると説明をしているが、これがまったくの間違いなのである。

先にも辞書でどのようにプロフィットロールが説明されているかについて触れたように、これにはふたつの意味が存在している。ひとつは「灰で焼かれたパン」という食べ物としての意味である。そしてもうひとつが「主人が召使に与える酒代やチップ」という意味である。よって問題はラブレーがこのどちらを念頭において、ここでプロフィットロールという言葉を使ったかということになる。

先に結論を言うと、ここでのプロフィットロールは明らかに後者、つまり「主人が召使に与える酒代やチップ」のことである。よってラブレーの『パンタグリュエル』にあるこの箇所を理由に、料理・菓子のプロフィットロールを説明しようとするのは間違いである。なかにはこの前者と後者の意味を混同して、「主人が召使に与える菓子」としてプロフィットロールを説明するものがあるが、これも間違いである。前者と後者の意味は分断されており、この双方が混同して用いられた辞書は16世紀~20世紀のNEDに至るまで一度も存在していない。つまりラブレーがここで言及したプロフィットロールは、食とはまったく無関係なのである。なぜそう言えるのか、次にその根拠を示しておくことにしたい。

その根拠のひとつは英訳である。ラブレーの著したガルガンチュアとパンタグリュエルの物語は、1653年にトーマス・アーカート(Thomas Urquhart)によって英訳され、ロンドンで出版されている。ここでアーカートがどのように、フランス語の架空の書籍名『La Profiterolle de indugences』を英訳したかと言うと、"The Small Vales or Drinking Money of the Indulgences"という翻訳である。ラブレー的な要素も加えて訳してみると「免罪符のお駄賃(珍)」ということになるだろうか。つまりここで言うプロフィットロールとは「主人が召使に与える駄賃(チップや酒代)」という意味であって、料理や菓子の意味はそこには込められていないのである。

さらにもう一つの根拠は日本語訳である。『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の日本語訳を最初に手掛けたのはフランス文学者の渡辺一夫(1901-1975)であり、1943年~1965年にかけて全5巻の翻訳・出版が行われた。渡辺一夫は、この架空の書籍名を『贖宥符の御功徳』と訳しており、菓子や料理のプロフィットロールの意味を含まない翻訳をしている。この翻訳に当たって、当然ながらラブレーのフランス語原文だけでなく、トマス・アーカートの英語訳版も参考にしたと思われる。さらに『NED』や『OED』といった英語辞書に掲載されているプロフィットロールの意味も参考にしたであろう翻訳の足跡がしっかりと感じられ流石である。



免罪符


ちなみに宮下志朗の翻訳では、「免罪符のプロフィトロール」となっており、このプロフィットロールが何かまでははっきりと特定してはいない。いずれにしてもラブレーは免罪符に絡んで何かをこの架空の書籍タイトルから示そうとしていることだけは確かはなずである。

profiterole

教皇が免罪符発行を許可し、神父が署名し、販売された。


ラブレーは当時の宗教に対して、非常に批判的であり、彼の作品そのものもカトリックや僧侶に対する風刺によって成り立っている。よって免罪符に対してもシニカルで批判的な見解をもっていたことは明らかである。

そもそも免罪符(贖宥状)は、1515年にローマ教皇レオ10世の名の下、イタリアの聖ピエトロ大聖堂の建設費を集めるという名目で発行された有価証券のような性格を帯びたものであった。レオ10世はフィレンツェのメディチ家の次男で、就任するにあたり、「現世の享楽を謳歌する」と宣言してみせたほどの放蕩家で湯水のように金を使い、宴会、狩猟、戦争、賭博に明け暮れ、芸術の庇護者として振る舞っていた。その結果、法王就任から2年で法王庁の財政が危機に陥ったとも言われている。

こうした法王庁の贅沢をささえるために行われた免罪符の乱発に対して、1517年に神学者マルティン・ルターが異議を唱えたことが宗教改革の端緒である。当時、免罪符を人々はこぞって買い求め、カトリック教会も熱心にこの販売を促進した。そのなかのも「免罪符(贖宥状)を購入してコインが箱にチャリンと音を立てて入ると霊魂が天国へ飛び上がる」は有名な売り口上だった。

このように免罪符が教会で売られていた背景を踏まえて、ラブレーが挙げた架空の書『プロフィットロールの免罪符:La Profiterolle de indugences』を考えてみると、ここで言うプロフィットロールが食品のことでないことは明らかである。なぜなら免罪符には購入のための金銭が関係しており、ラブレーはそれで儲けようとする教会のことを揶揄しようとしているからである。そこに込められているのは、本来であれば罪の許しはもっと重いものであるはずなのに、二束三文で売られている免罪符を買えば、簡単に罪の許しが得られてしまうことの皮肉なのである。


ラブレーのプロフィットロール


ラブレーは『パンタグリュエル』のなかでプロフィットロールについて言及はしたが、それはちょっとした金銭についての意味であり、食べ物としてのプロフィットロールではなかった。よって、ラブレーが菓子のプロフィットロールについて言及したと説明するのは間違いである。

それにもかかわらず、こうした誤った説明が行われてきた理由は、説明者が自身で出典元に当たらず、安易な又聞きを根拠としてしまったことが原因である。

幸いなことに、先にも挙げたようにプロフィットロールについての文献言及は豊富である。今回はこうした文献を時代ごとに並べて、どのようにプロフィットロールという食品が変化してきたのかを示してきたが、ラブレーの言及個所のように、間違えてプロフィットロールの意味が捉えられているような個所もまだ存在している。今後はこうした理解が進むことで、改めてプロフィットロールという菓子がよりその歴史と共に知られるようになること、プロフィットロールが日本でも一般的に知られるようになることを期待したい。







参考資料


『Egloges of Alexander Barclay』  Alexander Barclay

『Here begynneth the Egloges of Alexander Barclay』  Alexander Barclay

『Dictionnaire françois-latin』  Robert Estienne

『A Dictionarie of the French and English Tongues compiled』  Randle Cotgrave

『Dictionnaire universel』  Antoine Furetière

『Le Cuisinier roïal et bourgeoi』  François Massialot

『Le grand dictionnaire des arts et des sciences』  Thomas Corneille

『Dictionaire oeconomique』  M. Chomel, Richard Bradley

『Les Dons De Comus』  François Marin

『Encyclopédie, ou Dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers』 

『Dictionnaire de la langue Françoise』  Pierre Richele

『Dictionnaire portatif de cuisine』  Chez Vincent

『Manuel des Amphitryons』  Grimod de la Reynière

『L'art du cuisinier』  Antoine Beauvilliers

『Le pâtissier royal parisien』  Marie-Antoine Carême dit Antonin Carême

『The Modern Cook』  Charles Elmé Francatelli

『Le livre de pâtisserie』  Jules Gouffé

『Le guide culinaire』  Auguste Escoffier

『A New English dictionary on historical principles』  Oxford University Press

『Oeuvres de Rabelais. Texte collationné sur les éditions originales avec une vie de l'auteur, des notes et un glossaire』  François Rabelais

『Gargantua and Pantagruel』  François Rabelais

日本語文献

『ガルガンチュワ物語』  ラブレー(著)渡辺 一夫(訳)

『ガルガンチュア―ガルガンチュアとパンタグリュエル 』  ラブレー(著)宮下志朗 (訳)

『サン・ヴィクトール図書館蔵書目録』  池田光穂

『フランス伝統菓子図鑑』  山本ゆりこ